クラゲ水族館


「貴明さん、もしよかったらでいいんだけど…。私と水族館に行きません?」
 金曜日の午後、自動販売機で買った温めの紅茶を飲みながら私はそう言う。生徒会の仕事も一段落ついて、ほっと一息ついたところ。でもまだ仕事は山積みに残っている。この前は体育祭の仕事で大わらわだった。またま〜りゃん先輩がいろいろ影で暗躍していることを知った私たち生徒会が、阻止すべく裏でま〜りゃん先輩と戦っていたことは表の一般生徒は誰も知らないだろう…。秋はイベントが盛りだくさんあるから大変だと思う。現にこれから文化祭の日程やその他諸々、決めなくてはいけない。ふぅ〜、と一つため息。
 そんな日々のひと時の休日を利用して、私は彼を水族館に誘っている。う〜んと考え込む彼の横顔は私の一番のお気に入り…。うふふっ。でも彼には幼馴染みの柚原さんがいるし、同級生の長瀬さんや小牧さんたちもいるし…。寺女の後輩の女の子だっているし…、それに最近じゃ近くの小学校の女の子も好き好き光線を貴明さんに出してきてるって言う噂もあるし…。ま、負けられない。そう思って少し色っぽく貴明さんに迫ってみる。“ね〜え〜、行きましょうよ〜” などと普段出さないような声を出してみた。貴明さんは…。
「あ、あ、あの…。久寿川さん? む、む、むむむ胸が背中に当たってるんだけど…」
 と言って顔を真っ赤にして俯いた。はっとなって一瞬離しかけたけど、今、“久寿川さん” って呼びませんでした? 二人っきりのときは、“ささら”って呼んでって毎回のように言っているのに…。こうなったら罰です。それにま〜りゃん先輩も、“こう言うときにはもっとくっつけて‘当ててんのよ’って言えば大抵の男はメロメロ…、すなわち、たかりゃんはさ〜りゃんのものだっ!! 頑張ってくれたまへ” って言ってましたっけ? そう思ってぷぅ〜っと頬を膨らましながらももっと背中に胸を押し付ける私。そうしてま〜りゃん先輩の言われたとおり、
「当ててんのよ……」
 と言ってみる。貴明さんは前にも増して、顔を真っ赤に…。って! 鼻血を噴き出して倒れてしまう貴明さん。そんなに効果があるだなんて思ってもみなかったから私自身びっくり。と、とりあえず貴明さんを何とかしなくっちゃ。濡らしたハンカチで顔についた鼻血を拭きつつ持っていたスポーツタオルで、目から鼻にかけて覆うように被せる。あと、枕が必要なんだけど…。と探してみるけどこんなところに枕なんて置いているはずもなく、どうしようと悩んだ挙句、膝枕をした。女の子が苦手な彼。そんな彼と人間不信だった私が、一緒にいることなんて彼が生徒会の仕事をしだした当初は考えもしなかった。これも向坂さんが彼を生徒会へ引き込んでくれたおかげだと思う。当の向坂さんは恨めしそうに私たち、特に貴明さんのほうを睨んでたけど…。
 あれやこれや考えてるうちに夕陽は山に沈みかけ…。もうそんな時間だったの? そう思いふと彼のほうを見ると、気がついたのか、タオルを取って私の顔をぼ〜っと見つめている。と意識がはっきりしたのか、“わっ、わわっ!” と言いながら私の膝から飛び退いた。もうちょっと膝枕していたかったのにな…。かなり残念……。
「久寿川さん。またタマ姉かま〜りゃん先輩にでも吹き込まれたんでしょ? もう…。素直に聞いちゃダメだっていつも言ってるのに…。はぁ〜」
「貴明さん! 二人っきりのときは、“ささら!!”」
 ぷぅ〜っと前にも増して頬を膨らませる私。もう! 約束全然守ってくれないんだから…。ぶつぶつ文句を言う私の頭に温かな手が伸びてくる。
「ご、ごめん。さ、ささ、ささら…」
 そう言うと耳まで真っ赤にした彼の顔があった。私はにっこり微笑んで、“よろしい” と言う。これが私と彼のいつものやり取りかな? と彼が私の顔を見て、“ねえ、さっきの話なんだけど…” と言ってくる。私は鞄からチケットを出して彼に見せる。実はこのチケット、向坂さんからもらったものだ。“いいの?” って聞く私に、“何を遠慮してるの? 久寿川さん。タカ坊はあなたのことを大切に思ってるのよ? それに応えてあげなくてどうするの!” ってにっこり微笑みながら言われた。恋のライバルであった私たち二人。だけど今は私の応援をしてくれている。そんな彼女がとても誇らしく思えた。もし逆の立場だったら私はあそこまで微笑みながらは言えないと思う。そんな向坂さんが正直羨ましい。
「水族館?」
「ええ、そうよ。都合が悪かったら諦めます。でもこの間の約束、忘れないでね? もし忘れたりしたらみんなの前で泣いちゃうから…」
 この前の誕生日の日はどこかに連れて行ってくれるはずだったのに急に貴明さんの都合が悪くなって行けなくなっちゃったの。せっかく楽しみにしてたのに…。って翌日、そのことを思い出してはぷぅ〜っと頬を膨らませて彼の顔を睨んでたっけ? そしたら貴明さん、“今度のお休みには連れてってあげますから、だからそのぷぅ〜っと頬をふくらませて睨むのは勘弁してくれないかなぁ〜” なんて言う。上目遣いに見つめてくる彼が無性に可愛い。そう思い睨む目をやめて、“じゃあよろしくお願いしますね?” と私。内心嬉しくて仕方がない私はこう言うとにっこり微笑む。彼の顔を見ると私と同じようににっこり微笑んでいた。“前回は用事で行けなかったけど今回は大丈夫よね? うん…” 心の中で大きく頷く私がいた。


 そして日曜日。予想以上に早起きした私はこうして駅前の大時計の前、彼を待っている。昨日はあまり眠れてないせいか目がしょぼしょぼしてくる。あっ、いけないいけない。せっかくの彼とのデートなんだもの…。ぺちぺちと軽く頬を叩く。噴水にある大時計を見ると8時半。彼との約束の時間まではまだ30分もある。空いていたベンチに腰掛けてゆっくり大時計の秒針が進むのを見つめていた。と私を呼ぶ声が聞こえてくる。その方向に振り返ると彼が走ってきていた。
「ま、待った? もう少し早く出ようとは思ってたんだけどさ…。ごめんね久寿川さ…じゃなかった。ささら」
“いつもの癖かもしれないけど二人でいるときは‘ささら!’。何でこうも間違えるの?”
 とは思ったけど彼の優しそうな微笑みには勝てないかな? だって今だって優しそうな微笑みで私を見つめているんですもの…。卑怯だわとは思うけどにっこり微笑む彼の顔を見ると誰も何も言えないと思う。
「と、とりあえず行こうか…。こうしてる間にも時間は過ぎて行っちゃうからさ……」
「ええ、行きましょう。貴明さん」
 そう言って歩き出す貴明さんと私。腕を組みたいな…。そう思って彼の腕に自分の腕を絡ませる。途端に彼の顔は真っ赤になる。それが面白くてもっともっと絡ませた。電車の中ではいつものことだけど他愛ない話で私を笑わせてくれる彼.。そんな彼がもっともっと好きになった。
 水族館の近くの駅で降りて、てくてく歩く。もちろん腕は絡めたまま。彼も状況に慣れてきたのか朝のように真っ赤な顔をして俯くことはしなくなった。やがて大きな建物が見えてくる。水族館。海の近くに建てられているせいか心地のいい秋風とともに、潮の匂いがかすかにしてくる。いい気持ち…。髪をかきあげながらそんなことを思っていると、“うん、絵になるよね?” と彼の声。ふと横を向くと彼がにっこり微笑んで、私の仕草を見つめていた。途端に恥ずかしくなり下を向く私。“これじゃあ、さっきの貴明さんと同じじゃない…” とは思うけど、何故か恥ずかしくて彼の顔を真正面から見ていられなかった。
「…もう! イジワルなんですから…」
 照れ隠しにそう言うけど彼は微笑んだまま。その顔にちょっとだけ腹が立った私は彼の手を引いてズンズン水族館の中へ入っていく。彼は“ちょ、ちょちょ、ちょっと待って! 服が伸びちゃうよ〜” って言いながらもついてきてくれる。私はそれが嬉しかった。
 水族館の中は魚や海洋生物がいっぱいだ。私の好きなクラゲもいる。海の上をふわふわと浮かんでいる姿を想像しただけでにこにこ顔になっちゃうもの……。貴明さんはそれほど好きではないらしいけどね? じ〜っとクラゲの水槽を眺めている私たち。他の人が見たら“変なカップル” って言う風に見えるかも…。でも許してくださいね? 貴明さん…。そう思いながらクラゲの水槽を見つめる私。手のひらサイズの小さなクラゲがひょこひょこ動くのがとても可愛かった。他にも10メートルほどの大きなクラゲや猛毒の触手を持つクラゲなんかもいたりする。貴明さんも10メートルのクラゲにはびっくりしていたみたい。
 お昼はヤックのハンバーガーで済ませる。お料理なんてしたことがない私は、向坂さんが羨ましく思えてしまう。だってあんなにきれいでリーダーシップもあっておまけにお料理まで上手いんだもの…。ちょっとジェラシー感じちゃう。…でもこれが私なんだって思うと何だかもやもやも吹き飛んだ。そう教えてくれた彼は今私の横でジュースを飲んでいる。ふと口の横を見るとソースがついている。“もう! だらしがないんだから…” といつも向坂さんが言っていることを思い出すと、ちょっとおかしくなって笑ってしまった。貴明さんはそんな私に終始はてな顔。ハンバーガーに備え付けのナプキンを取り出すと、“動かないで、貴明さん” と言って貴明さんの口元を拭いてあげる。ちょっと恥ずかしかったのか彼は、顔を真っ赤にして俯いてしまう。そんな彼の顔がとても可愛らしく思えた。


 いつの間にか空は雨雲に覆われてぽつぽつと細かな雫が見えていた。今朝方の天気予報で“曇り空から次第に雨になるでしょう” っていう予報も出ていたから、一応折り畳み傘は忍ばせておいたんだけど…。残念…。夕暮れの空、星でも見ながら手を繋ぎながら帰りたかったなぁ〜なんて思ってたのに…。彼も傘を……って彼はきょろきょろと辺りを見回してははぁ〜っとため息をついている。“傘、持ってないの?” って聞くと。
「生憎とね? でも駅まではすぐだしまだ降り始めのようだから走って帰れば……」
 と彼。“風邪でも引いたらどうするんですか?” といつものようにぷぅ〜っと頬を膨らませながら言ってやりたいけど生憎と大勢の人の前だし…。閉館時間の水族館前は家族連れの人やカップルで多少混雑していた。近くのコンビニエンスストアに傘を買いに行く人もいたりする。そんな中、私は傘を持っている。かなり恥ずかしいけど、この方法しかないかな? そう思った私は傘の取っ手を持つと、しゅぱっ! とボタンを押す。可愛いピンクの傘の花が雨空に開いた。ちょっと強引に彼の腕を取って私の傘の中に入れる。と私たちを見ていたカップルなんかから、“何か可愛いなぁ〜” なんて冷やかしが飛んでくる。私は顔を真っ赤にしながらその場を離れた。彼は、“ちょ、ちょちょちょっと待ってってば!” って言ってたけどこの際だ。無視することにした。
 やがて人通りもまばらなところに来る。私はまだ彼の腕を組んだまま。胸が腕に当たるたびに、彼はびくっとなる。途端にイタズラ心がむくむく沸いてくる。うふふっと微笑むと思いっきり彼の腕に体を摺り寄せてやった。貴明さんはどう言うだろう。ってこう言うに決まってるんですけど…。
「さ、さ、ささら? あ、あ、あの…。まま、ままままた、むむむ胸が俺の腕に当たってるんだけど…。も、もう少し離してくれない?」
 ってほらね? そう聞いた私はむぅ〜っと彼の顔を上目遣いに睨んでこう言うの…。
「却下。会長命令よ? 貴明さん。貴明さんの家に帰りつくまでこうさせて頂きます…」
 って。自分でも卑怯なことはわかってる。でも少しでも彼のぬくもりを感じていたいと思ったから…。彼は半分諦めたように、
「分かりました…。ささら会長様…」
 こう言うとはぁ〜っと深い溜息を吐く。その顔はどことなしか微笑んでいるようにも見えた。またしばらく歩く。彼の背は高い。だから手がだんだん疲れてくる。と彼がそのことに気付いたみたいに私から傘を取って代わりに差してくれる。また歩く。駅はもうすぐっていうとき私ははっと気づいた。傘だ。上を見ると傘が真上にあるように見える。と言うことはと彼のほうを見る私。私のほうに重点的に差してくれているのか彼の片半身は濡れっぱなしだった。“もう! これじゃ何のための傘か分からないじゃない…” そう思ってぴったり寄り添うように歩く私。寄り添うと真っ赤な顔をもっと真っ赤にして俯く彼。もうほとんど完熟トマトのように…。その顔にうふふっと微笑む私がいた。
 しとしとと降る雨。そんな雨もたまにはいいなと思った今日は私と貴明さんのデートの日。あっ、靄で見えなかった駅の建物が見えてきましたよ? 私の大好きな貴明さん…。

END