ちびっ子は禁句ですぅ〜
後編
和泉子の目は真剣だった。今までいろんな和泉子を見てきたつもりだった。だけど、あんな悲しい顔の和泉子は着ぐるみ以来、いや本当の彼女の顔では初めてだった。その時、俺は自分が言ったことの重大さを改めて気付かされたような気がした。
和泉子が帰っていく。その背中はとても寂しそうで……。悲しそうで……。俺は後を追うことが出来なかった…。
次の日…、学校に行くと和泉子はいなかった。気になった俺は暦先生に聞いてみることにした。
「先生…。和泉子…。いや、紫は?」
先生は、一瞬、俺を見ると…、
「はぁ? 何を言っとるんだ? 朝倉…。熱でもあるんじゃないのか?」
「へっ? だっていたでしょう? 今年の2月に、俺が「クマだーっ」て言って大騒動になったヤツが…」
「朝倉…、お前…。もう老人ボケが始まっているのか…。嘆かわしい……」
そう言って呆れ顔になる先生。みんなにも聞いてみるが和泉子だけの記憶がなくなってしまっているようだった。そんな、そんなことってあるかよ…。そう思った。和泉子がみんなの記憶を消したのか? それならなぜ俺の記憶だけは消えていないんだ?
前は、俺の記憶も消していったのに…。不思議に思った。そう思っているうちにふと気付いた。
和泉子は…。あいつは、俺だけには忘れて欲しくはなかったんじゃないかと…。俺だけには、覚えていて欲しかったんじゃないかと…。そう思うといてもたってもいられず、俺は授業も放って和泉子を探しに出かけた。暦先生が何か叫んでいるが気にしない。
一生懸命探した。あの公園のプロテクト外して家へと向かうが…、家どころか木が鬱そうと生い茂るだけだった。それでも俺は諦めなかった。聞き込みもした。和泉子の好きそうな所へも行ってみた。だけど和泉子は見つからなかった。
あちこちと和泉子の姿を探しながら、ふと空を見ると、日は西に沈もうとしている。もうそんなに時間がたったのかと思った。そして夜、月が出ていた。もう晩なのか? そう思う。ぐるぐると腹の虫がなった。
でも、どうにも食欲がなかった俺は、そのまま晩飯を買わず、月のよく見える所を探した。どういう心境かはわからない…。ただ月が見たかったんだ…。そう思い、しばらく歩く。しばらく歩くと公園に出ていた。街の方を見る。
月の光が夜を、そして街を照らしている。その光がとても綺麗で、俺は足を止めた。ふと見ると和泉子の家がある公園だった。戻ってきたのか…。家からは遠い所にあるこの公園。聞き込みをしながら、結局、この公園に帰ってきたのかと思った。
街路灯の点く公園。その公園の中、俺は月を見ながらある女の子のことを考えていた。女の子は異星人。地球に一人やって来た女の子。寂しい時も苦しい時も一人…。俺のことを好きって言って微笑んでくれた彼女…。小さくて可愛い俺の彼女…。
そんな彼女に…、紫和泉子に俺は…。俺は彼女の心に傷をつけてしまった。深く傷つけてしまった。俺は自分で自分が本当にバカなヤツだと思った。情けないと思った。今さらながら自分のしてきたことが悔やまれる。でも取り返せない。もう和泉子は帰ってしまう。そう思うと俺は……。
まるで堰を切ったように俺の目から涙が溢れてきた。ちくしょう! ちくしょう!! そう思って公園の木を殴った…。拳が割れたようだ。痛い。でもこんな痛さは和泉子の心の傷の痛さなんかとは比べ物にはならないと思った。
和泉子は…、彼女はもっと深く心を傷つけられてきたのだから…。辛辣な俺の言動で…。
血で木の幹は赤黒く変色していた。それでも俺は殴りつづけた…。こうやって見ると変人かと思われるかもしれない。でも、俺は殴りつづける。骨が折れるほど殴りつづける。
拳が血で真っ赤だ。ぼとっ…、と拳の血が地面に落ちて僅かながら血溜まりを作っている。痛いを通り越して感覚がなくなってきているように思えた。それに頭もふらついてきた。多分風邪でも引いたんだろう…。
はぁ…、はぁ…、と息をついて座り込む。空には下弦の月。その月を見ながら俺は……。
どんどんというかすかな音に、私は耳を済ませました。もう夜も11時…。こんな夜更けに何をやっているのでしょうか? そう思い私はセンサーを見ます。だけど暗くてよくわかりません。何もかもが地球用に設定されているので自分の目で見ないと分からないのです。幸い、どんどんという音は10分くらいして止みました。
見に行こうか、止めようか…。悩みましたがやっぱり見に行くことにしました。気になったんだと思います。だって、こんな夜遅くに私の家の近くでこんなことをする人なんて、あの人くらいしかいないじゃないですか…。
暗い林を通り抜けて公園に出ます。公園の中を一人、あの人を探して走り抜けます。あまり走ることが苦手な私でしたが一生懸命探しました。探しているうちに左前方、約120メートル先に熱源レーダーにあるものが見えました。
恐る恐る近づいてみます。だんだんと熱源レーダーに形が映し出されてきました。そして、50メートル…。肉眼でも僅かながら分かるような場所まで来て、私は気がつきました。すぐに走って駆け寄ります。予感は的中していました…。
「朝倉さん!! やっぱり朝倉さんじゃないですか!!」
「……」
彼は何も言いません。体を抱き起こしてみると、体はまるで火のように熱くなっていました。彼のおでこに手をもいっていきます。すると…。
「朝倉さん!! 熱があるじゃないですか!! なぜそんな無茶をなさったんですか?」
ふとそばにあった木を見上げます。木の幹は赤黒く変色していました。なぜ? と思い、手の方に目をやった私は、一瞬言葉を失いました。
朝倉さんの拳が血だらけで、一部は黒く固まっていたのです。服には返り血なんでしょう、血がついていました。言葉が出ませんでした……。しばらく放心状態だった私。そっと彼の手に触れてみました。そこで気がつきます。
“早く治療しないと…。朝倉さんが…。私の大好きな人が…。恋人が…。死んじゃう!!”
そう思って、彼の体を肩に担いでゆっくり歩を進めました。朝倉さんの体は冬の風に晒されて冷たく冷えています。
“なぜ? なぜそんな無茶をなさったのですか?!”
と文句の一つも言ってやりたい気分でした。でも、彼は今……。
ふぅ、ふぅと言いながら、家の戸を開けます。中へ入った私は治療台に朝倉さんを乗せます。治療のために開発された特殊チップを探しますが、どこにも見つかりませんでした。どうしよう…。こうしている間にも彼の体力は下がってきているっていうのに!!
モニター画面に映し出された彼の体力値は下降線を辿る一方でした。ああっ、私は…。大好きな人も助けられないの? 一体どうしたら…。あたふたとコンピューターの前で焦る私…。その間にも彼の体力値は下がってきてるって言うのに!!
ふと、恒星間移動のチップが目にとまります。そうだ! これを代用しよう! そう思いました。だけど…、このチップを失うと私は、もう二度と故郷には帰れません…。エネルギーがなくなった私の船で唯一エネルギーを残しているもの…。それが、この恒星間移動チップです。
……ふと、私を呼ぶ声がして、チップを持ったまま振り向きます。呼び声の主は、うわ言のように私の名前を呼んでいました。
「い…、和泉子…。…和泉子……」
うわ言のように私の名前を呼んでいる朝倉さん。それを聞いた私。チップを持ったまま立っている私。彼の体力値は危険域に達しようとしていました。なおも呼びつづける朝倉さん。私…、私は…、私はやっぱり好きな人を選びます!!
“お父さん、お母さん。ごめんなさい…。今まで…、今まで育ててくれてありがとう…。私、わがままでしたね…。でも、許して下さい。私の大好きな人を助けたいって…、本当に助けたいって…、そう心から思ったんです。だから…、だから……”
そう心の中で思いながら、恒星間移動チップを治療用のコンピューターのチップ挿入口に入れます。ぶいーんと言う大きな音とともに治療器が動き始めます。私は、よろよろと治療器の方に歩き始めました。
治療器の中は暖かい空気でいっぱいになっていきました。朝倉さんの顔色がだんだんと良くなっていきます。両手の傷も治っていっていきます。良かった…。本当に良かった…。そう思うと安心したのか私は治療器にもたれかかります。疲れもあったのでしょう。そのまま眠ってしまいました……。
俺は目が覚めた。目覚めてしばらく考える。と、はたと気付く。ここはどこだ? 確か俺は月を見ながら…。そこからの記憶がない。気絶していたんだろうか…。ぼ〜っとした頭をもたげながらあたりを見まわした。
何やら見慣れない装置とかが置いてある。ふと、横を見ると女の子が俺のいる台に両手をつき、その手の上に頭を置いて眠っていた。
「和泉子……か?」
そう独り言を言って静かに起き上がろうとするとカプセル状になった蓋が、独りでに持ち上がった。ふと手を見てみる。手の傷は跡形もなく消えていた。体のダルさも、嘘のように消えていた。何故だと思った…。
しばらく、重たい頭を回転させながら考え込む。はっ、と気付いた。慌てて和泉子を今まで俺が寝ていた寝台に寝かせて、機械類をあちこちと見て廻った。そして…。
「あっ!! やっぱりそうか…。……和泉子…、お前、こんなことをしてまで俺を?…」
恒星間移動チップが治療器のメインエネルギー充填器の窪みにしっかりとはめ込まれていた。恐らくこれを治療器の代替エネルギー源にして使ってくれたんだろう。そう考えるとおれは自分で自分を殴りたくなった。これがないと和泉子は星に帰ることが出来ない…。
と…、和泉子が目覚めたようだ…。和泉子は、俺の顔を微笑ましそうに見つめるとこう言った。
「朝倉さん……。良かった……。本当に、良かった……」
と、そう言っている和泉子を見て俺は無性に腹が立った。これじゃあ、俺を助けるために和泉子は…、そう思うと優しく微笑んでいる和泉子に何だか無性に腹が立って…。自分自身にも無性に腹が立って…。
今まで、悪いことを言って困らせてきた、こんな俺のために、大事な、本当に大事な恒星間移動チップを使わせるなんて……。本当の意味で俺は俺自身を酷いヤツだと思った。俺の目から涙が溢れてくる…。
カチャッと音がした。チップを治療器から外す。チップを手に取り、彼女の方に振り返る…。俺は、怒鳴った。
「馬鹿! これはお前が星に帰るために…、そのために使う大切なチップじゃないか! 何で…、何で俺なんかのために使ったりしたんだ!!」
和泉子の顔を、ぐっ、と睨んだ。和泉子は、目にいっぱい涙を浮かべてこう言った。
「だって…、だって……。大好きな人が、本当に大好きな人が、苦しんでいたんですよ? 助けたいって…、助けたいって思うのが…、当然じゃないですか……。…当然じゃないですかぁ!!」
和泉子の目から涙がぽろぽろと零れ落ちる…。俺は言った。
「だからって…。宇宙船の動力エネルギーまで使うことはないだろう…」
そう言って、和泉子を見る。和泉子は両手を顔に押し当ててて泣いていた…。
「それしか、その方法でしか朝倉さんを助けられなかったんですよ?…。その方法でしか…。…私は、やっぱりあなたのことが好きだった。星に帰ろうと思った…。だけど…だけど…。公園で倒れているあなたの姿が見えたとき、私は…、私は…。助けたいって…。心から助けたいって…、そう思ったんですよ…。それなのに…。それなのに…。酷いですよ……。朝倉さん……」
和泉子の顔に押し当てられた手から、涙が流れ落ちるのが分かった。俺は馬鹿だ…。こんなに…、こんなに俺のことを思ってくれる子を泣かせるなんて…。そう思った。何か言おうと思った…。でも何も言えなかった…。
代わりに、泣いている和泉子の手を引っ張って、自分のほうへと寄せた。小柄な和泉子の体を立ったっままぎゅっと後ろから抱きしめる。身長差が20センチ以上あるのでかなり苦しかった。
だけど、俺は抱きしめた。和泉子は泣いていた顔を上げる。上げた顔…、目が真っ赤になっていた。しばらく抱きしめた。冬の寒い風をさえぎるかのようにしっかり抱きしめた。俺は…。
「ごめんな……。和泉子……」
一言そう言った…。そう言った俺の目からも涙が流れ落ちる…。知らず知らずのうちに泣いていた…。今までのことが蘇ってくる。今までの俺の言動。和泉子に言ってしまった、辛辣な言葉。そんな酷いことを言った俺なのに…、和泉子は、彼女はそんな俺を助けてくれた。
すまないと思った。本当なら号泣してしまいたい。そう思った。でも俺は男だ。こんな所で泣くわけにはいかない…。そうは思ったが涙は後から後から流れてくる。上を向いた。天井のライトが涙に滲む。眩しかった……。
私は見ました。彼が私を抱きしめて静かに泣いている姿を…。泣いている姿、見られたくないと思ったのでしょう。朝倉さんは上を向いていました。でも私には…。
彼の頬から流れ落ちた涙が、私の頭の上にぽたっと落ちてきます。そんな彼の体をぎゅっと抱きしめる私。彼の気持ちが抱きしめた体から伝わってくるようで…。私は、自然に目を閉じました…。朝倉さんはそんな私の肩を優しく包みます。
そして…、初めて、本当のキスをしました。唇と唇が触れ合うくらいのフレンチキス。
本当の私…、クマの着ぐるみじゃない本当の私…。嬉しくて…、心の中から嬉しくて……。上げた顔。嬉しいのに涙が零れ落ちます。そっと唇を離すと、朝倉さんは大きな手を私の頬にやって、親指でそっと流れる涙を拭いてくれました。
朝倉さんの顔を見ると、涙を流しつつも優しく微笑んでいました。私も同じように朝倉さんの涙を拭いてあげます。背伸びをして手が届くか届かないくらいの所…。拭こうと思い手を伸ばしたとき、すっと彼に抱きかかえられました。お姫様抱っこと言うのでしょう…。
彼は何も言わず表へ出ます。外は冷え込んで吐く息が白かった。そんな中、二人でしばらく黙って空を見上げていました。どれくらい経ったのでしょうか…。朝倉さんが言いました。
「ごめんな…。和泉子…。俺のために星に帰るために使うはずだった大切なチップを使わせてしまって…」
「そんな謝らないで下さいまし…。私は大好きな人を助けることが出来た…。それだけで満足です…」
私は星を見ます。故郷の星を…。朝倉さんも、私と同じように星を見つめていました。ふっと朝倉さんが私の顔を真剣な目で見つめます。こう言いました。
「なあ、和泉子…。もう少し大きくなって…、その、二十歳になったら、結婚…してくれないか?」
「えっ?」
私はびっくりしたようにそう言います。彼は真剣な眼差しでそう言いました。いきなりだったので私の心臓は高鳴りました。お姫様抱っこをされて、大好きな恋人からのプロポーズ。こういうシチュエーションはドラマでも見ませんね……。
でも、私は嬉しくて…、ちょっぴリ恥ずかしくて…。こくんと頷くことしか出来ませんでした……。
それから四年後…。
町の外れにある小さなチャペルで、今、結婚式がとりおこなわれようとしていた。新郎の名は朝倉純一。新婦の名は紫和泉子という。四年間、お互いを慈しみ励ましあってきた二人が今、結ばれる。
司祭を何年もやって来た私だ。だけど、これほど慎ましく幸せそうな顔は今まで結婚式を何度となく執り行なってきて初めてだった。式が始まる。賛美歌を歌う……。
聖書の一説を語る…。新郎の妹なんだろう女性は嬉しそうに新郎の後ろ姿を見つめていた。その他の者も一応に微笑ましく新郎新婦を見つめていた…。そうして宣誓式…、私は言う。
“汝、朝倉純一は、紫和泉子を妻とし、苦しい時も、病めるときも、この者を愛することを誓いますか?”
「はい。誓います」
“汝、紫和泉子は、朝倉純一を夫とし、苦しい時も、病めるときも、この者を愛することを誓いますか?”
「はい。誓います」
“では、誓いの口付けを……”
ヴェールを上へと持ち上げる。新婦は可愛く微笑んでいた。新郎はちょっと恥ずかしそうにしていたが彼の友達から散々に言われ、恥ずかしそうに唇をつけた。私は言う。
“おおっ、神の御名によってこの者たちは今夫婦となりました。神よ…。この者たちに末永い幸せとあなたの御心を……。アーメン”
そう言うと十字を切る。新郎新婦や参加者たちも私と同じように十字を切っていた。式が終わる。チャペルの重い扉を開けると真っ青な空が広がっていた。冬の澄んだ青空。彼らの行く末を神も祝福しているような冬の澄んだ青空だった……。
〜 Fin.〜