音夢ちゃんのバレンタインデー
「♪るるるんるるるるる〜るん♪」
2月13日…。明日は女の子にとってはとても大切な日…。バレンタインデー…。朝早くに目が覚めた私はとても気分がいい。昨日作っておいたチョコレートがいい具合に固まったからだ。パンを焼いて、バターを塗り一口齧ると、私はふと写真立ての方を見た。
「…兄さん、今頃どうしてるかな…」
独り言でそう呟く。写真立ての向こう側に私の大好きな人が写っていた。テーブルの上…、出来上がったばかりのチョコレートを見る。冬の終わりの日差しに照らされて、きらきらと光っているかのようだった。
今日は日曜日。看護学校はお休みだ。パンを口に頬張るとう〜んと考える。しばらく熟考……。うん! やっぱり直接会って手渡そう…。その方がいいよね?
外出届を出すと私はバス乗り場へと向かう…。ちょうど8時半のバスがある。それに乗って行けば一時間もしないうちに私が暮らしてきた島、私の大好きな人のいる島、初音島だ。
バスに揺られている。連絡もしていないからびっくりするだろうな…。妹の突然の訪問にびっくりする兄…、か…。うふふっ。家の戸を空けたときの兄さんの表情のことを考える。考えると自然に笑みが零れた。微笑みながら初音島に向かうバスに揺られた。
約1時間後…。バスは橋を渡って初音島に入った。初音島の桜…。以前は1年中咲いている桜として有名だったけど、去年、突然散ってしまった。真相は原因不明のまま。……あれからもう1年も経つんだね…。一人バスの中でそう思いながら微笑んだ。
まだ桜の蕾は膨らんでいない。でも暖かくなったら花を咲かせるんだろうなぁ。この初音島を薄桃色に染めるくらいに…。桜並木をバスが通り過ぎる。私はそんなことを思いながら桜並木を眺めていた…。
島の大きなロータリーの所にバスは到着した。プーっとブザーがなるとバスに乗っていた乗客が降りる。私もその中の一人…。でも私が降りる頃にはみんなはもう降りてしまった後だった。
昇降口を一歩一歩確かめながら降りる。降り立って何気なく周りを見た。何も変わっていない。それはそうだ。年末に帰ってきたばかりなのに、そうそう街の景色が変わるはずもない。しばらくあたりを見回していた私は、歩き出した。私の家へと…。
家へと向かう途中で、兄さんのことを考える。兄さんはことりと付き合っているらしい。まあ、ことりは兄さんにはもったいない存在だと思う。でも、なぜだろう…。そのことを兄さんに告げられた日…、私は泣いてしまった……。
あれからもうすぐ一年、兄さんとは……。まあ、うまくやってるし、この島の友達ともお手紙とか交換している。ことりは兄さんのことをあれやこれやと書いてきてくれる。最近は愚痴とかも書いてきてくれるようになった。そんなことりに私は……、
“ぐうたらな兄だけどよろしくねっ!”
と心の中でいつもそう思っている。やがて、路地が見えてきた。この先を曲がればもうそこは私の家だ…。何か心臓がドキドキする。家へと向かった。小走りに走ってきたせいか、ちょっと息が上がった。
玄関前、ふぅ〜っと大きく深呼吸……。多分兄さんのことだ。まだ寝てるんだろう。
合鍵を使って家の中へと入った。小汚い兄さんのこと、きっと家の中は汚れているんだろうと辺りを見回してみる。だけど、そんな心配をよそに家の中は意外にも綺麗に整頓されていた。あのぐうたらな兄がここまでするとはとても思えない。
きっとことりにでも手伝ってもらったんだろう。そう思いながら二階へと上がる。兄さんの部屋の前に立つと、何だか懐かしいような気がした。コンコンと部屋の戸をノックする…。当然のように何も聞こえてこない。部屋の戸をきぃ〜っと開けると中へ入る。
ベットの上には可愛い寝顔の兄さんがいた。私の大好きな兄さんが…。そ〜っと、兄さんの元へと向かう。まだ気付かない。我が兄ながら、ここまでぐうたらだとは…。最初は優しく揺って起こしてあげることにした。
ユサユサ……。
「お兄ちゃん、起きて。朝だよ…」
「う〜ん…。…もう少し……」
全く起きようとはしない。むしろその逆だ。それでも私は、優しく起こすことにした。以前ならすぐにかっとなっていた私も少しはおしとやかになったと思う。うん。でも、当の兄さんときたら……。
「グー……。スー……」
とまあこんな調子……。だんだんと腹が立ってくる。濡れタオルを絞ってきて兄さんの顔に被せてやった。と…。
「ぐ〜っ、んっ? んんんんんんんっ!! ん〜ん〜んっ!! ぶはっ?! だ、誰だっ?! 今俺を殺そうとしていたヤツはっ?!!」
寝ぼけ眼であっちこっちと見遣る兄さん。当然横にいる私には全く気付く気配はない。その兄さんの態度に、懐かしくも腹の立つ私。私は努めて優しく言う……。
「兄さん…。おはようございます…。あまり寝坊はよろしくないと思うのですけれど? 私は兄さんを殺そうだなんてこれっぽっちも思ってませんのよ? それにお話をする時は相手の顔をよく見ませんと…」
ぎぎぎぎっ……。とこっちを振り向く兄さん。その顔は恐怖に怯えていた。
「ね、音夢さんはどうして今日、こちらの方に来られたのでしょうか?」
「これを渡すためですっ!!」
ぷんぷん怒って手作りチョコを手渡す私…。兄さんの顔を見ると、死刑宣告を受けて今まさに13階段を登るようなそんな顔をしていた。し、失礼なっ!! 私だって料理の腕くらい上がってるんですからねっ!! う〜っと兄さんの顔を半眼で睨みつける私。
きれいにラッピングされた箱を解いていく兄さん。そして、包装紙を全部解くと箱を開けた。中を見た兄さんは私の顔を見て…。
「なあ、音夢? これって? チョコレートか? 俺にはチョコレートには見えないけどなぁ…。どこから見ても…」
「わーっ、わーっ、わーっ。兄さん!! それ以上言っちゃダメ〜!!」
今回は自分で味見もしたし大丈夫と思っていた。でも、やっぱりこうなるわけで…。はぁ…、と溜め息を吐く私。こればっかりはどうにもならない……。ことりと自分が比較されることに私は落胆した……。だが…、
「どこから見ても、“かりんとう”にしか見えないぞ? これ…。まあ、味は…むしゃむしゃ…そこそこ悪くないと思うけどな……」
へっ? もっと酷い言われようを予感していた私は拍子抜けだ。兄さんを見るとおいしそうに私が作ったチョコレートを食べていた。兄さんが私の顔を見る。私はぷいっとそっぽを向くと嬉しさを抑えて、わざと怒ったようにこう言った。
「うっ……。か、かりんとうなんかじゃありません!! チョ・コ・レ・イ・トなんですぅっ!! もう!! ……兄さんのバカ……」
そっぽを向いていた私は、ぷぅ〜っと頬を膨らまして上目遣いで兄さんを睨む…。そんな私にたじたじになりながら兄さんはこう言った。
「わ、分かった。分かったから…、そう怒るなって…。音夢…。お前も一口食べて見ろ…。どうせ味見する時に食べてるとは思うけどな…。でもほんとにうまいぞ? このチョコ…」
兄さんが私に勧めてくる。一個だけ貰うと、静かに口の中へ入れた。広がるチョコレートの風味は甘くて自然と口の中へ溶けていくようだった。
“ねえ兄さん…、私は義理の妹だけど、兄さんのことは本当の兄さんのように思ってるんだ…。だから、これからもよろしくねっ!!”
おいしそうに私の作ったチョコレートを食べる兄さんの横顔を眺めながら私はそう思った。外は冬の終わりの冷たい風が吹く。でも私の心はほかほかだ。そんな一日早い私のバレンタインデーだった。
END