神さまの贈りもの
〜続々・奇跡の価値〜
中編
コンコンと扉をノックする音が聞こえた。壁に掛けた時計を見ると夕方だった。
彼女のカルテを見ていた俺は立ち上がると部屋の扉へと向かう。きぃーっと言う金属音とともに扉は開いた。車椅子に座る少年が一人…、いた。
「待ってたよ…。さあ、中へ入って……」
「はい……」
航君は車椅子を、俺の椅子の目の前で止めた。ブレーキを掛ける。俺も扉を閉めて自分の椅子へと向かう。言う覚悟を決める。彼の妹、たった一人の大切な妹が、もう長くないということを…。椅子に腰掛けた。
「先生…、お話って…、鞠絵のこと……、ですよね?……」
俺が椅子に腰をおろし、彼の顔を見たとき、彼は真剣な目でそう尋ねてきた。俺はびっくりして彼に聞き返す。
「…何で…、分かったんだい?」
「今日…、鞠絵に会ったときに…。いえ…、この間、先生からお電話を受けたときから…、薄々気付いていました…。妹は…、鞠絵は、もう長くないだろうって…。先生…。鞠絵は? 鞠絵は、あとどれくらい生きられるんですか?…」
彼はそう言って俺の目を見つめている。真剣に俺の方を見つめている彼の目を見て、俺は自分が嫌になった。
何故こんなことを…、あまりに残酷なことを告げなくてはいけないのだろう…。もし神が存在するのなら、何故彼たちにこのような試練を与えるのだろうか…。俺は悔しかった。
だが、俺は医者だ…。ありのままを彼に告げなくてはならない。彼は混乱しないのか? …いや、そんなことはないだろう。
真剣に俺の目を見つめる彼の目を見て、俺はそう思った。少し間を置く…。どれくらいの時間が流れただろう…。
……言おう…。覚悟を決めたように俺は言った…。
「航君…。よく聞いてくれ…。鞠絵ちゃんの病気は急激に悪くなっていってる。このままだと、この夏を越えられないかもしれないんだ…。もし越えられたとしても冬には彼女の命は…。そんな状態なんだ…。手術をしても、成功率は20%未満だ……。だけど今の彼女の体力では10%も満たない…。体力さえ回復すれば20%でも助かる可能性は残っている。だけど、今の彼女の体力では…。……。どうすることも出来ない…。すまない…。医療も発達して治せなかった病気も治せるようになったって言うのに……」
そう言うと目を閉じる。瞼が熱くなってくるのが分かった。彼は何も言わない。じっと俺の方を見つめているだけだ。何分くらい経ったのだろうか? 彼はこう聞いてきた。
「鞠絵には? 鞠絵にはこのことを?」
俺は無言で首を横に振った。彼は一人、呟くように言う。
「鞠絵…」
そう言った彼の顔は、九年前、俺に縋って泣いた時の…、あの時の香里の顔に似ていた……。
突然、扉の向こうでがたっと音がした。嫌な予感が俺を襲う。とりあえず、俺たちは扉の方へと向かった…。
嫌な予感は的中していた。俺たちの目の前、放心状態で立っている彼女…、鞠絵ちゃんの姿があった。聞かれて…、いた…。
「うそ……、うそですよね?……。治るって…、治るって信じていたのに……。また兄上様と暮らせると思っていたのに…。そんな…、そんなことって…。……そんなことってありませんわ!!」
彼女の眼鏡越しの瞳からは止めどなく涙が流れていた。そして、彼女は自分の部屋へと向かって走っていく。俺たちは彼女の後を追いかけた。彼女の部屋の前、足は…、止まった…。
「鞠絵ちゃん……」
看護士はそう言うと扉を開けようとする。中から涙でくぐもった小さな声が聞こえた。
「開けないで……」
航君は、俺たちの方に向いて言う。悲しそうな顔だった。
「先生…。片瀬さん…。時間をくれませんか……。時間が経てば鞠絵も落ち着きますし……」
「ああ、分かったよ……」
元々、第三者である俺たちではどうすることもできない。俺はそう言うとその場を離れた。やるせない気持ちでいっぱいになった。看護士もその場を離れていく。航君の優しい声が聞こえた。
「鞠絵……、入るよ……」
彼は静かに扉を開けて、部屋の中へと入っていく。彼女のすすり泣く声が俺たちの耳に聞こえていた。
「先生…。助かる可能性は1%でも残っているんですよね?…。全く助からないわけじゃ…、ないんですよね?…」
夜…。航君がそんなことを言った。俺は首を横に振りこう言う……。
「航君…。人間は博打の道具じゃないんだよ……。例え1%の可能性があったってその1%を間違ってしまうと……。俺だってこんなことは言いたくない。でも……。彼女は……、もう……」
「でも!!」
「駄目なものは駄目なんだ!……。分かってくれ……。航君……」
彼は拳をぎゅっと握った。顔を下げて…。沈黙の刻…、実際は1分くらいだったが俺にはもっと長く感じられた。目を伏せたまま航君は静かにこう言った…。
「美坂先生から、よく先生の事を聞かされます……。“彼は凄い人だ。彼のおかげであたしはこうしてやってるんだ。彼のおかげで妹とも少しの間だけだったけど、心を通わすことが出来たんだ”って…。美坂先生にとって先生は誇りなんですよ…。……僕は、僕は何も出来ない……。妹の傍にいて慰めてやることだって出来ない。妹が寂しい時だって…、すぐには会いに行けない…。悔しかった…。僕が障害を背負ってなかったら…、足が不自由でなかったら、どんなにいいだろう…。いつもそう思っているんです。僕の体は一生このままです…。でも!! 妹は……、鞠絵は……1%でも治る見込みがあるじゃないですか! 治る見込みが…。僕は…。僕は、その1%の可能性に賭けてみたい!! 賭けてみたいんですっ!! 先生!! どうか鞠絵を……。鞠絵を助けてください!! 僕の…、僕のたった一人…、たった一人の妹を……」
航君は、じっと俺の顔を見つめている。真剣な顔で…。1%の可能性を信じているような顔で…。それに比べて俺は……。
俺は航君に言われて、はっとなる。俺は肝心なことを忘れていたようだ……。医者として、いや、人間として最も肝心なことを…。
そう、それは例え治る見込みがなくても、また助かる可能性が0%に近くても、決して諦めないということを…。栞に教えてもらった心…。俺は肝心なことを忘れていた……。俺は、言った。
「……航君…。そうだよな。可能性が0%に近くても、ゼロじゃない…。1%でも治る見込みがあるのなら、その1%を10%、100%に増やしていくのが俺たち医者の努めだ…。それを諦めるだなんて…。医者として恥ずかしいよ…。……すまない…。航君…。君に教えられたよ……」
そう言って俺は頭を下げる。彼はにこっと微笑むとこう言った。
「先生…、頭を上げてください。本来なら僕の方が頭を下げなくちゃいけないのに…。これじゃ立場が逆ですよ…。……鞠絵には、僕から伝えておきますね? その方が鞠絵も安心できると思いますから…」
そう言うと彼は鞠絵ちゃんの部屋へと向かっていった。強いな…、彼は…。そう思った。
今日はもう遅いので泊まっていってくれと看護士が言う。彼もそのつもりだったんだろう……。こうなることが分かっていたんだろうな…。
鞠絵ちゃんは、ショックからかその日は部屋から出てくることはなかった。奈々ちゃんや他の小さい子達がつまらなさそうに絵本を読んでいるのが印象的だった…。
相沢君から電話があったのは日曜日の夜遅くだった…。きっと航君が鞠絵ちゃんに寂しがられて、帰れないということだろう。あたしはそう思っていた。だけど現実は違っていた…。
「香里…、航君は……、強いな……」
開口一番、彼は一言そんなことを言った。あたしは何のことだか分からず、彼に聞きなおす。
彼は詳しく話してくれた…。あたしは、ただ聞いていた。彼が話し終わる。あたしは言った。
「当然でしょ? だって、あたしの自慢の生徒なんだから……。ところで相沢君…、鞠絵ちゃんの手術日は?」
「ああ、6月30日にすることになったよ…。…って、ちょうど栞の命日だったっけか?…。八年か…。早いものだな…。この間、葉書が来た。もちろん法要にはそちらに伺わせてもらうことにするよ……。多分、墓の方までは行けないと思うけどな……」
「ええ、名雪たちも来てくれるそうだしね…。あたしとしては、栞の知り合いがいっぱい来てくれることに越したことはないんだけど……」
「ああ……、そうだな……」
あたしは、そこで聞いてみようと思った。だけど止めておこう。あたしは思った。
こんなことを言ったって彼のことだ…。一言で片付けられてしまう。しばらく無言が続く…。彼が心配して…。
「香里?…。どうした?…」
「あっ? え? ええ…。ちょっと考え事よ……」
「ああ……、今日はもう遅いし、切るな……。じゃあ、またな……」
「ええ…。また……」
そう言って受話器を置く。しばらく考えてみた。あたしが彼に聞きたかったことを…。
あたしが彼に聞きたかったこと…。それは…。
“今でも、栞のこと……、好き?……”
彼はなんて答えるだろうか……。きっと彼のことだ…。
“ああ…。好きだ……。俺がたった一人、愛した女の子なんだから……。って、当たり前だろ?”
って、こう言うに決まってる……。あたしは一人…、
「はあ…、栞、あなたも罪な女ね……」
そう呟いて、写真に手を伸ばす。写真には、八年前の妹の、元気だった頃の妹の姿が写っていた…。
鞠絵ちゃんの手術も間近に迫った6月26日。今日は栞の法要だった。去年・七回忌と同じくらいの人の列があった。親戚や栞が病院でお世話になった人達や、栞のお友達。相沢君や北川君、名雪や秋子さん、大勢の人達が訪れてくれた。
「栞…。良かったね……」
そう心の中で呟いて、遺影に手を合わす。ふと、横を見ると相沢君が手を合わせていた。僧侶の読経が響く…。静まり返った空間がそこにあった。しばらくして…、読経が終わった。
寺の方にも行かなければならないので、相沢君とは、ここで別れなければならない。名雪がちょっと残念そうに言う…。
「あ〜あ。せっかく祐一が帰ってきたのにな……」
相沢君は昨日この町に帰ってきたみたいだった。名雪の家で一泊したのだろう…。あたしは思った。
彼が帰ってくると決まって名雪はニコニコ顔だ。秋子さんもいつものポーズで微笑みながら、名雪と相沢君の話を聞いている。名雪と相沢君の話を聞いていた秋子さんは、名雪を諌めるようにこう言った。
「名雪…、仕方ないでしょ? 祐一さんはお医者さんなんだから…。ごめんなさいね…。祐一さん…」
「ははは。名雪らしいや…。秋子さん、構いませんよ? 久しぶりにぽわぽわ〜んな名雪が見られたことですから…」
「わたし、ぽわぽわ〜んじゃないよ〜。祐一、ひどいんだお〜っ!!」
名雪と秋子さんが相沢君と話してる。久しぶりに帰ってきたのだから話も弾むと言うものだ…。名雪は高校を卒業して陸上の推薦入学で関西の大学へ行っていた。
大学卒業後、こっちに戻ってきて地元の企業に就職した。それが秋子さんと同じ職場だったらしい(名雪は知らなかったらしいが…)。
今、親子で同じ職場に通っている。職場では姉妹に見られることが多いらしい。そう言った秋子さんの顔はとても嬉しそうだったが…。北川君は小学校の教師になった。
彼はあたしとは違う大学で教諭免許を取得したんだそうだ……。学校の評判もいいらしい。
あたしの学校の子が北川君の小学校に交流に行っているんだけど、その子が言うには、“とっても面白くて優しい先生”ということだった。
今にして思えば、高校持代から面白くて、優しかったな…。なるほど、あの子が言ったことが分かる…。こう言う先生がどんどん増えれば、いじめも不登校もなくなるのに…。あたしはそう思った。
「じゃあ、そろそろ俺は行くことにするよ……。香里、栞によろしく言っておいてくれるか?」
「ええ……。分かったわ……」
「なあ、相沢。また今度一緒に酒でも飲みに行こうぜ?……」
「ああ……、そのときはお前のおごりでな……」
「なっ、なぬ〜っ!!」
つかの間の楽しい時間…。それも終わりを告げた…。彼はにこやかに手を振るとあたしたちの前から去っていった。そう、それは、あたしの知らない、全く及びもつかない…。言うなれば彼の戦場へ…。と……。
“頑張って…。相沢君……”
去っていった彼の方を見て、あたしは心の中で、ぽつり、そう呟いた……。
俺が病院に帰ってきたのは、その日の夕方だった。看護士・片瀬雪希は忙しそうに子供たちの相手をしていた。彼女は鞠絵ちゃんの担当看護士で、しかも俺と同期に入ってきた。
ということは彼女ももう一年になるのか…。でも、そうは見えないんだけどな…。今じゃ、すっかり子供たちの人気者だし…。
彼女は地元の看護系の高校を卒業した後、ここにやってきた。元々、こういうことには憧れというのがあったらしい。
そういう彼女だが五年前に兄を亡くしている。元々兄とは血の繋がりはないらしい。でも、それを話してくれた彼女の目は、何とも言えない悲しい色だった。
「ああっ! せんせいだっ!」
一人の子がそう言うとやってくる。と同時に片瀬と遊んでいた子供たちも俺の方にやってきた。
「みんな、ちゃんとお利口さんにしてたかい?」
子供たちの目線にまで下げて、俺はそう聞く。みんなは一様にうんと頷いていた。
「じゃあ、みんながお利口さんにしていたご褒美だ…。仲良く食べるんだよ……」
香里や名雪や秋子さんからたくさんのお菓子を貰った。といっても、これは栞のお供え物なんだが……。
みんな、口々に“せんせいありがとう”と言う。一人ずつお菓子を配っていく。配り終わるとみんなは嬉しそうに、食堂の方に歩いていった。
後に残ったのは俺と片瀬の二人だけだった。……と、あることに気付いた俺は彼女に聞く。
「鞠絵ちゃんは?……。部屋か?……」
「……ええ、そのようですね…。奈々ちゃん…、とても心配してましたよ?…」
彼女から鞠絵ちゃんの詳しい状態を聞く。脈拍、血圧は一昨日と変わらない。しかし、彼女の心は…。とりあえず片瀬や他の看護士にみんなの世話を頼み、俺は鞠絵ちゃんの部屋を訪ねてみた。
部屋の前までやってくる。物音一つしない。彼女は大丈夫なのか?…。そう思い戸を開ける。
彼女は静かに編物をしながら地平線に沈む夕日を眺めていた。俺が来たことにも気付かずに、夕日を眺めるとまた目を編物の方へ戻した。ただ黙々と編物を編んでいる…。
俺はしばらく様子を見る。しばらくして、彼女は俺に気付くと…、
「…あっ、先生……、いらしてたのですか?…」
そう言って俺に向ける彼女の目は、まるで……、香里から聞いた、九年前の…、死の宣告を受けた時の栞の目と同じようだった……。俺は聞く。
「何を…、編んでいるんだい?」
「これですか? もうすぐ兄上様の誕生日ですから…。サマーセーターを編んでいたんです…。これがわたくしからの最期のプレゼントになると思うんです……。ですから……」
そう言いながら彼女は一つ一つ思いを込めてサマーセーターを編んでいく。俺は言葉に詰まった。…彼女は小さい声で言う。
「……わたくしが逝ってしまったら…、兄上様は本当に独りぼっちになってしまう…。わたくしには、それがつらいんです…。ですから最期にわたくしの思いすべてを込めてお作りしようと思っているんです…。……こんなことくらいしか、わたくしには出来ませんから…」
そう言いながら、編まれていくサマーセーター…。じっと見つめた…。
俺はこれまで医者としていろいろな人の人生を見てきた。だが…、これほど哀れに思ったことはない。ご両親を失い、兄妹二人で頑張ってきたというのに…。しばらく沈黙が部屋に訪れる…。ふと、鞠絵ちゃんが聞いてきた。
「先生……。奇跡って……あると思いますか?」
「ああ……、1%でも可能性があれば、いや、例え可能性がゼロに近くてもゼロじゃない限り、奇跡はあるよ…」
俺は椅子に座り彼女の目を見てそう言った…。彼女は立ち上がると山に沈む夕日を見つめて…。
「……わたくしは…、わたくしは生きていたい……。生きていたいんです……。この病気に勝ちたいんです。負けたく……ないんです……。……でも、もう駄目でしょうね……。ずっと思っていました。次の手術で治るって…。でも現実は…そんな甘いものじゃないって…。痛くて怖い手術をしても、一向に体は元気にならない…。…ずっと…、ずっとこんなことの繰り返し……。…わたくしは、わたくしはいったい何のために生まれてきたの?…」
そう言うと、彼女はリノリウムの床に座り込み、悲しみを押し殺すようにして泣いた。俺はすぐに彼女の体を抱き起こす。彼女は涙に濡れた眼鏡越しの瞳を俺の顔に向けて…、涙声で尋ねる。
「先生…。わたくしを助けて…。手術が…、手術が怖いの…。今まで何回も手術をしたけれど…、良くはならなかった。だから手術が怖い…。怖いんです……」
そう言うと彼女は俺の白衣に縋って、涙で濡れた眼鏡越しの瞳を隠そうともせず、身を震わせて泣いた。
そんな彼女があまりにも哀れで、俺は直視することが出来なかった。俺は何かを言おうと思った。いや、言わなければならないと思った。
…だが、そう思っても言葉は出てこなかった…。しばらく沈黙の後、やっとの思いで言った…。
「……俺は…。俺はこの手術、必ず成功させてみせるよ。必ずだ…。だから君も栄養をたくさん取って頑張らなくっちゃ。ねっ? 鞠絵ちゃん……」
「本当に? 本当に成功するというのですか? これまで何回も手術をして、痛い思いをして、それでも治らなかったのに……。それでも先生は…、先生は治るとおっしゃるの? 治ると…おっしゃるのですか?」
俺は絶句した……。何回も手術をして、それでも治らなかった彼女の体…。そんな彼女に、いや、彼女の心に俺は何て無責任なことを言ってしまったのだろうか……。
でも、俺は彼女を助けたい。それが、神に反することになっても、俺は彼女を助けたい。そう強く思った。俺は言う…。
「ああ…。鞠絵ちゃん……、君は生きたい、治りたい、助けてって言ったじゃないか…。君の口からそう言ったじゃないか…。少しでも成功するって信じてるから、治るって信じてるから、君は助けてって言ったんじゃないのかい? 少なくとも、俺はそう思ってるよ……」
「……」
彼女は何も喋らない……。俺は続けて言う。
「昔、俺の彼女が言ってたよ…。“奇跡って…、起きないから奇跡って言うんですよ…”ってね…。でも、それは違うと俺は思うんだ…。奇跡は起きるものじゃない。起こすものだと……。1%の可能性さえ、いや、限りなくゼロに近くてもゼロじゃない限り奇跡は起こるんだ!!……。君の…、助かりたいっていう、その思いがあればね……」
俺がそう言うと彼女は何も言わず、こくんと頷いた。もう、涙はどこかに消えていた…。彼女の目を見る。瞳から不安と言う色は消えていた。もう大丈夫…。あとは俺の番だ。そう思った…。彼女の部屋を出る。俺は一人呟いた。
“栞……。見守っていてくれ……。彼女のこと……。彼女の心に希望の光が宿ったんだ。俺はその光を消さないために精一杯努力したい。栞…、実を言うと俺も不安だ。彼女の体が本当に手術に耐えられるのか…。不安でしかたない…。でも彼女を助けるために…、彼女の体を治すために…。…いや…、彼女の心を救うために…。栞みたいな子を増やさないために…。俺、頑張る…。頑張るから…。だから俺のこと、応援していてくれ…。なっ?…。栞……”
夜、病院から自分のアパートに帰るとき、ふと空を見上げた。
がちゃっと重い病院の勝手口を開けると、空を仰ぐ。
高原の空は本当に綺麗で、手が届きそうなくらいの位置に星が瞬いているかのようだった。栞と見たあの八年前と同じような星空だった。俺は、しばらく空を仰いでいた…。
後編に続く