神さまの贈りもの
〜続々・奇跡の価値〜
エピローグ
それから二週間後、彼女は一般病棟へと移された。幸い合併症などは起こらず順調に回復している。俺はそれが嬉しかった。ベランダに出てみる。日の光が眩しくて、まるで真夏を思わせるような天気だった。
ふと、俺を呼ぶ声が聞こえる…。誰だろう…。振り返る。廊下からベランダに続く扉のところから片瀬が手を振っていた…。
「もうっ!! 先生、さっきからずっと呼んでたんですよ?!」
俺が彼女のところに行くと、いつものようにぷぅ〜っと頬を膨らませて俺の顔を睨んでいた。
いつもの元気な顔だ…。俺は苦笑いを浮かべると言う。
「すまんすまん…。ぼ〜っとしていて気がつかなかったよ……」
「“すまんすまん”じゃないですよ。もうっ!! …あっ、そうだ! 先生。鞠絵ちゃんに“先生にお話があるから呼んできてくださいませんか?”って言われてたんですよ…。私はこれから奈々ちゃんや他の子供たちの検温に行ってますので…。早く行ってあげて下さいね?」
そう言うと片瀬はにっこり微笑んで出て行こうとするが、何かを思い出したように振り返ると…。
「あっ、鞠絵ちゃんの熱…。もう計っておきましたから…。鞠絵ちゃん、平熱でしたよ…」
そう言うと、今度は振り返らずに病棟へと行ってしまった。
“彼女も一人前…、か…”
そう心の中で思った。片瀬の後ろ姿を目で追いながら微笑むと、俺は鞠絵ちゃんの部屋へと向かった。
コンコン…。
「鞠絵ちゃん…。俺だ…。入るよ……」
部屋の扉をノックしてそう言うと中へ入った。彼女は、たおやかに微笑むと…。
「まあ…。さっき片瀬さんに言いましたのに、すぐに来て下さるなんて…。わたくし、とっても嬉しいです…」
そう言って、寝ていた体を起こし、座ろうとする。まだあまり無理をしてはいけないので、俺は彼女に制止をかけた。
彼女を寝かせたまま、ベットの端にある寝たきり防止のレバーをぐるぐると回す。レバーを回すたびに彼女の体が起き上がってくるのが分かった。
あまり起こすと体に良くないのでほどほどの所で回すのを止めた。
「ありがとうございます……」
彼女はそう言うとまた微笑んだ…。俺はその辺に置いてあった椅子に座り、聞いてみる…。
「…ねえ、鞠絵ちゃん。俺に話があるんだろ? どんな話なんだい?」
「ええ…、先生…。わたくし、夢を見ました……」
「夢? ……それは誰でも見るものだけど?」
俺は彼女の言った意味が分からず、首を傾げる。彼女はふるふると首を横に振って微笑むと…、
「いえ…先生…。いつも見る夢ではありませんわ…。それは…、そう…。わたくしが手術中に見た夢のことです…」
そう言うと鞠絵ちゃんは窓の外を見た。高原に吹く風は心地よく森の葉を揺らしている。
彼女は窓の外、そう…、森の方を見たまま話し出す…。
「わたくし…夢を見ました。真っ暗なところにわたくし一人だけ…。前を見ても後ろを振り返っても誰もいない。兄上様や先生の名前を呼んでも聞こえない。わたくし…、心細くなって…。もう、死んでしまうんだ…。兄上様にも会えないんだと思って…。わたくし、大声で泣いてしまいました…。やがて泣き疲れて…。もうすべてがどうでもいいような気分になって…。わたくし…、その場に倒れこんでしまいました。その時です…」
彼女はそこで一旦言葉を置く。俺の目を見つめた。そしてまた、話し出す……。
「その時…、声がしたんです。“鞠絵ちゃん…、駄目だよ…諦めちゃ…”って…。何だろうとわたくしが顔を上げると、そこには、先生のお写真に写っていらした女の子…、栞さんが立っていたんです。彼女はわたくしの体を起こすと、わたくしの肩に手を置いてこう言いました…。“鞠絵ちゃん…。私、あなたのこと見てたよ……。写真立ての向こうから…。…祐一さん、今、自信を失いかけてる…。だから、ちょっとお手伝いしちゃうね。本当はこんなことしちゃいけないんだけど…。でも私の大好きな祐一さんやお姉ちゃん……、それと鞠絵ちゃんのお兄さんのためにね…” って……。そう言うと栞さんの手から温かな光の玉が出てきたんです…。栞さんはその光の玉をわたくしに手渡すとこう言いました。“鞠絵ちゃん…。あなたはまだこんなところに来ちゃ駄目だよ…。精一杯生きなくちゃ駄目だよ…。私の分まで生きなくちゃ…駄目だよ…” って…、そう言ってくれたんです…。だから先生、今、こうしてわたくしがいるのは先生の彼女…、栞さんのおかげなのです……」
俺は言葉が出なかった…。ただ、涙が俺の頬を伝う。
“栞…、俺はまたお前に助けられたな…。ありがとう…、栞…。やっぱりお前は、俺の最愛の彼女だ…”
心の中でそう言った。鞠絵ちゃんは、たおやかに微笑みながらこう言う……。
「先生……、わたくしが本当に元気になったら……、退院したら…、兄上様と一緒に、一度栞さんのお墓に行ってみたいです…。行って一言お礼が言いたいです…。先生が愛していらっしゃる…、彼女のお墓に……」
「ああ…、そうだな……。じゃあ、退院したら一緒に行こうか…」
俺はそう言ってゆっくり頷くと微笑んだ。彼女は…、病魔に勝った彼女は、俺の顔を見つめて…。
…いや、その先に待っている幸福を見つめて…、たおやかに微笑んでいた…。
俺は思う…。医者としてはまだまだ未熟だが、命を救うという仕事に誇りを持って生きたいと…。
いや…、生きていこうと…。…そう、天国にいる彼女の…、栞の彼氏として……。鞠絵ちゃんはもう一ヶ月入院だ。でも以前のように、悲しくはない。だって、彼女はもう完治したのだから…。
もうすぐ北海道にも短い夏がやって来る…。すべての生命がその命を漲らせて活動するという季節…。夏が…。俺は窓の向こうにある森を見た。
森の緑が美しい七月の山と、蒼く、どこまでも続いているような空が、そこにあった…。
〜END〜