ジャムとイチゴの狂想曲
第7話 伝説の野苺 前編
秋子はその頃、真琴と、ある神社にある物を探しに関西の方まで足を伸ばしていた。自分が作った謎ジャムの暗黒面に心を奪われた娘と、その娘の親友の妹を助けるべく、ここ、関西の地に足を踏み入れた。
「ふう…。また犠牲者が増えなければいいんですけど……」
秋子は一言そう言った。しかしそれはもう後の祭だったようである。横にいた真琴が…、
「秋子さ〜ん…。どこかでなにか食べようよぅ。真琴、もうおなかペコペコだよぅ…」
そう言った。確かにそうである。もう昼時はとっくの昔に過ぎ、かあかあとカラスが西の山に向かって帰っていく時間だった。なぜ真琴が秋子と一緒にいるのかというと、名雪との一件の後、真琴は秋子のところに逃げ込んで、秋子に今までのことをすべて話した。
秋子は後悔した。今まで自分は何と愚かだったんだろうと…。秋子自身も自ら作り出した謎ジャムの暗黒面に引きずり込まれそうになっていたのだ。それを助けてくれたのは言うまでもない、今は亡き夫だった。
夢枕に立った夫は、寂しそうな顔をしていた。涙が夫の頬に一滴流れていた…。目が覚めて、はたと秋子は気づく。自分は謎ジャムに心を奪われてきたのではないかと…。そう思うと秋子は心の底から泣いた…。
今は亡き夫との間に生まれた愛しい一人娘は謎ジャムに恐怖し、暗黒面へと引きずり込まれてしまった。今、秋子の胸に去来するものは、後悔と自責の念と良心の呵責だけであった。
そして今、秋子は真琴と、ここ関西の地に霊験あらたかな野苺があると聞き、やってきたのである。その野苺はあらゆる病を治し、あらゆる災厄から救うという物だった。
しかし、関西の地というだけでどこにあるのかは分からなかった。ただそれを記した古文書によれば……。
“其は、欲すべき者あらば、自ずから姿を表せしむる物なり……”
とのことだった…。かといって、関西の地である。どこにその野苺があるとも知れない。ましてや時間も余裕もない。二人は焦っていた。と、道すがらある老父からこんな話を聞いた…。
「昔…、ほれ、その向こうの神社にのう、神奈という翼人が住んでおったんじゃそうな…。翼人という者は昔、天上界と人間界を行き来できると信じられておった。今で言うところの天使みたいなもんじゃな…。その神社を時の朝廷は無きものにしようと思ってな…。まあ、朝廷にも朝廷の事情というもんがあったんじゃろう…。“二人も神の御子はいらぬ。神の御子は天皇ただ一人…”それが朝廷の事情じゃったんじゃそうな…。そして翼人はお付きの侍と女官に助けられ無事じゃった…。じゃが、その他のものは皆殺しにされてしもうたんじゃ。そのことを知った翼人が涙したところ、その涙が野苺に変わったんじゃと…」
これだ!! と秋子は思った。しかし、もう日暮れである。真琴ももうだめだろう。そう思った秋子は、
「お爺さん…。すみませんが、もし宜しければ今夜一晩、泊めては頂けないでしょうか?」
そう聞いた。老父は首を横に振ると……、
「儂はだめじゃよ……。やきもち焼きの婆さまがおるでな…」
「そうですか……」
悲嘆に暮れる秋子。と、老人は何かを思い立ったようにこんなことを言った。
「……おっ、そうじゃそうじゃ。この道をまっすぐ行ったところに神尾という家がある。母親はあばずれじゃが娘は気立てのええ子じゃ…。あんたの娘と気が合うんじゃないのかのう。今はどこぞの居候も住んでおるようじゃし…」
秋子は考える。自分一人ならこのまま野宿でもよかったのだが、今は真琴がいる。十二分に考えた結果、秋子はこの老父の言うことを聞くことにした。
親切にもその老父は神尾の家について来て、娘と交渉してくれた。母親は酔っていたらしい。中でドンチャンと皿を叩く音が聞こえていた。
「お母さんには、わたしから話しておきますから…。それにいざとなったら往人さんもいるしね。にはは…」
最後の方は独り言だったんだろう…。秋子たちには聞こえなかった。そうして娘・観鈴は秋子と真琴を家の中に通した。敷居を跨ぐ。秋子たちは玄関にいた。観鈴は一応母親に話してくると言い残し家の奥へと消えていった。
玄関から家の中を窺う。家の中は酒の瓶やらチューハイの缶やらがあちこちに散乱していた。と、観鈴の母親・晴子がだらしのない格好で出てくる。晴子は怪訝そうな目で言った。
「何や? ウチんとこへ泊めて欲しいっちゅう奴は?…」
「はい。今夜一夜の宿をお借り出来ないかと……」
秋子は晴子を恭しく見つめる…。と、晴子は何か思いついたようににやりと笑って、
「なぁ。アンタ。酒、強いか?」
秋子に向かって不敵な笑みを浮かべてそう聞いた。晴子は酒豪として近所では有名だったのだ。夜、ドゥガディーというバイクの爆音とともに帰ってくる晴子。帰って来たら来たでドンチャン騒ぎ。
放蕩と言おうか、あばずれと言おうか…。
そんな母のために観鈴がどれほど近所に頭を下げに行ったことか…。人の迷惑を顧みない母…、しかし観鈴はこの母のことが好きだった。しかしこれ以上はだめだろう。そう思った観鈴は…、
「わわわっ。お母さん。そんなこと言っちゃだめ! 近所にまた迷惑かかる。観鈴ちん、往人さんとまた謝る。往人さん怒る。観鈴ちん、またボカチンってゲンコツされる。イタイ……。がっ、がお…」
「がおて言うな。がおて…。アンタ、まだその癖治ってへんのんか? はあ〜、あの居候に任せたウチがあほやったわ…。ふふふっ…。……しゃーないな…。観鈴。布団の用意や。アンタら二人か…。まあ、何にせよ家ん中が明るうなるんはええこっちゃ。ところでアンタ、もいっぺん聞くけど、酒、強いか?」
晴子は改めてそう言うと、秋子の顔を伺う。秋子は微笑みながらこう言った。
「ええ。まあ人並みには飲めますけど……。最近はあまり…、飲んでないですね…」
いつものポーズで言う秋子。晴子はニカッと笑って…、
「よっしゃ!! そう言うことなら話は早いわ…。まあ、酒っちゅうもんは飲んでるうちに慣れてくるもんや。まあ、そんなところに突っ立ってへんで、はよぅ、上がり。上がり……」
そう言って、秋子を居間に通す。真琴は観鈴に連れられて二階へと上がっていった。居間には三白眼の怖い目つきの青年がちゃぶ台に顔をつけて唸っていた。
「晴子め〜。何で俺がお前の愚痴に毎日毎日付き合わされなきゃならん……。はあ……」
そう言って愚痴るこの青年。国崎往人である。往人が旅の果て、ここ関西の地に帰ってきてから、晴子は保育所に通い始めた。観鈴はそんな母の姿を見て嬉しそうに微笑んでいた。だが往人は毎夜毎夜聞かされる晴子の小言(といっても保育所の子供のこと)には閉口していた。
それはなぜか? それは彼が受けた苦い経験によるものである。大道芸人である往人はあちこちと旅をしながら自分の大道芸を磨いてきたのだった。だが、この地に来た彼は愕然とした。全くウケないのである。ウケないどころか、彼の唯一の商売道具である人形を蹴り飛ばす有様…。
彼は傷心し、また旅に出る。旅に出た彼は人の温もりに触れ、観鈴のことを思い…、そして…、関西の地へ帰ってきたのだった。と、ここまではいいのだが、結局彼の大道芸はここでは受け入れられず、彼は大道芸を止めてしまった。今は観鈴の紹介で知り合ったリサイクルショップで働いている。
もともと旅をしていた往人である。ものの2、3日の間に要領は掴んでしまった。ただ、大道芸の方も細々とながらやってはいる。それは、ある特定の客のために…。すなわち、観鈴や佳乃や美凪たちのためだけに…。
「居候…。なにしけた面してぶつぶつ言ってんねん。ほれ、客やで…」
そう言って晴子は往人を揺り起こす。
「ごめんなさいね。起こしてしまって……」
「んあ? へっ? あっ? きゃ、客か?」
「居候……、客にロクな挨拶も出来へんのんか?…。アンタ…。またウチのハリセン食らいたいんか?」
晴子は手にハリセンを持ち、ニヤニヤ笑いながら往人にそう聞いた。往人は怯えながら傍にいた秋子に訴える。
「た、助けてくれー。あんたからもこの暴力女に言ってくれー。こいつはなぁ、酷い女なんだ。俺の商売道具は取り上げるわ、飲めん酒を飲ましてくるわ、挙句の果てにハリセン食らわしてくるわ…。こんな女の娘があんないい子とは、世も末だな。全く…。って、晴子? 晴子さん? お〜い、晴子さ〜ん?」
晴子はギロリと往人を睨みつける。手に持ったハリセンがワナワナと震えていた…。危険を察知したのか居間を出て行こうとする往人。そんな彼をギロリと睨みつけながら晴子は言った。
「納屋行きか、ハリセンか、どっちがええ? 今なら決めさしたるで?……」
「納屋行きでいいです……。晴子様……」
そう言うと往人はそそくさと部屋を出て行った…。しばらくして納屋を開ける音が聞こえていた……。
「で、何でアンタはここに来たん?」
酒を汲みかわし晴子はそう聞いた。夜も遅い時間。真琴と観鈴は寝てしまった。特に真琴はさすがに疲れたんだろう。ぐっすりと眠っていた。
様子を見に二階へと上がった秋子たちは手を繋いでぐっすりと眠る二人を見て、ふふっと微笑みあい、襖をそっと閉めて降りてきた。秋子はこれまでの経緯を晴子に話す。
さすがに、信じられないという感じで聞いていた晴子であったが…。晴子はその謎ジャムというのに興味を持った。晴子は秋子にジャムを食べさせて欲しいと言った。秋子は絶句する…。
昔は、変わった味というだけだったオレンジ色のジャム…、今では、最終兵器とまで成り果てていた。ここに持ってきているジャムは後者の方だ。晴子は聞く。
「なあ、秋子はん…。そのジャム…。ウチにもくれへんか?」
「えっ? ええ? いけませんよ…。危険なんですよ? とっても…」
「秋子はん! 大丈夫やて…。今のウチには暗黒面なんか怖ない。なあ、秋子はん。この通りや…」
晴子は秋子に必死で頼み込んだ。秋子は怖かった。またこのジャムの暗黒面を見てしまうことが…。自分が作った負の遺産…。それで苦しむ人を見てしまうことが…。しかし、晴子の剣幕に押され、秋子はしぶしぶ持って来た鞄からオレンジ色にきらめく瓶を一つ取り出す。
祐一や真琴たちが見たら一目散に逃げ出すだろう…。晴子はというと、どこからともなく一枚の薄切り食パンを持ってきた。薄切り食パンにそのジャムを塗ると、晴子は一口齧った。
「んんんっ? ……ちょっと変わった味やけど…、いける! いけるでぇぇぇぇぇ!!」
ざっぱ〜ん、と映画館でよくある映画の最初の波のシーンよろしく、だんっ、とちゃぶ台に足を乗せてそう叫ぶ晴子。秋子は驚いた。だが、このジャムの暗黒面に引きずり込まれない人がいるんだ…、そう思うと嬉しかった…。
秋子は知らず知らずのうちに泣いていた。晴子はそっと秋子の肩に手を添える。こうして、女二人の夜はふけていった…。一方、往人はというと…、
「はあ……、観鈴と二人でどこかへ逃避行でもしようか……。でも、あの晴子のことだ…。捕まったら俺は最期だな…。きっと……」
納屋の天井を見つめて一人呟く彼が、そこにいた……。
第8話へ続く