星のラブレター
後編
「往人さん、『アレ』おいしかった?」
「ああ、結構うまかったぞ……。ってなんだ? その変人でも見るような目は…」
『アレ』とは、さっきのオレンジ色のジャムのことだ。俺は何となしに食べていたのだが…。そんなに不味い物だったんだろうか…。俺は名雪に聞いた。すると…、
「お母さんの料理は全部美味いんだけど、あのジャムだけは、どうしてもね…。企業秘密だって自分で言ってるし…。それを美味そうに食べてる人なんて初めて見たお〜」
「う、うぐぅ〜。ボクもあのジャムだけは食べられない…」
「あう〜。真琴も…」
「そうか? 美味かったぞ? あのジャム…」
「えっ? そうなんですかっ? 俺もあのジャムだけは…、苦手なんですよ。名雪なんて、見ただけで逃げ出すし、あゆや真琴はいつの間にかいなくなるって言うのに…。凄いです!! 往人さん!!」
祐一たちは尊敬の眼差しで俺を見ていた。いや、尊敬されても困るんだが…。
そうこうしているうちに、そろそろ10時が近くなった…。連絡は、前の日の晩に祐一たちがしていたらしかった。俺は寝ていたから分からなかったが…。
さて、人形劇の準備でもするか…。俺がそう思っていると、玄関から聞きなれたような懐かしい声がしてきた。
「あはは〜。こんにちは。お招き頂きありがとうございます。ほおら、舞も…」
「……ありがとう」
なんだ? 観鈴か? 俺は耳を疑った。俺が突っ立ってると少女が二人リビングに入ってきた。
一方は、観鈴にそっくりな人懐っこそうな少女で、もう一人は無口な少女だった。まるで遠野のような、でもどこか違う…、そういう感じの少女だった。俺があまりにぼーっと突っ立っているので、
「往人さん、往人さん。どうかしたんですか? 佐祐理さん見た途端にぼーっとして…」
名雪が心配して聞いてきた。俺は…、
「あっ、い、いや。そっちの娘の声が前の居候先の娘の声にそっくりなものでな…」
「はぇ〜。その子の声って佐祐理の声とそっくりなんですか?…」
「ああ。一瞬、あいつがここにいるのかと間違ってしまったぐらいだ…」
「あはは〜。でも佐祐理はどこにでもいる普通の女の子ですよ〜」
そう話して、お互いに自己紹介をした。観鈴にそっくりな声の少女は倉田佐祐理、無口な少女は川澄舞と言った。それからだんだんと人が集まってくる。
美坂香里、美坂栞は姉妹だそうだ…。真琴の友達の天野美汐、最後にやってきたのが北川という少年だった。
「これで全員かな?」
名雪がそう言って後ろを振り返る。そして…、
「うん。全員だね」
そう言って微笑んだ…。
人形劇が終わった。終わってから俺は“ふぅ〜”と一息ついた。みんな、しばらく黙っている。やはり俺の芸はウケなかったのか…。そう思った。その時…、
「はぇ〜、すごいですね〜」
佐祐理がそう言った。途端に、全員が拍手してくれた。リビングが割れんばかりの拍手でいっぱいになった。祐一と名雪は嬉しそうにみんなを見つめていた。本当に嬉しそうに…。
舞も微笑んでいた。それは遠野のみちるに対するあの優しい微笑みのように…。
“往人さん、笑わせられるよ…”
観鈴の言ったことが、今、分かったような気がする。観鈴は元気だろうか? 佐祐理の笑顔を見ているとふと観鈴のことが過ぎった…。秋子は微笑んで、
「さあ、皆さん。食事にしますから…。名雪、あゆちゃん、真琴、ちょっと手伝ってくださいね…」
「あっ、秋子さん、私も手伝いますっ!」
「あっ、あたしも…」
そう言って台所に行ったのは美坂姉妹だった。その間に佐祐理と舞が俺のところにやってきて…、
「はぇ〜、今のって魔法ですよね? どうやったらそんなことが出来るようになるんですか? びっくりだよね〜、舞〜」
「……はちみつくまさん」
そう言って来た…。俺は、
「これは母からの遺伝だ。俺自身はどうなっているのかは知らないが先祖はもっと凄い力を持っていたらしい…」
そう言った。俺は説明は苦手な方だが、佐祐理たちの真剣な表情を見て俺自身が最大限分かる範囲で説明してやった。と言ってもこれは俺の母さんが言っていたことなんだがな……。
「ふぅ〜ん。じゃあ、往人さんは、その空にいる少女を探すためにそんな魔法を使っているわけですね?」
「ああ、それが俺の使命だからな…。でもその娘が何処にいるのか、なぜ悲しんでいるのか、俺には分からないんだ…」
「往人さん…、佐祐理には、佐祐理には分かりますよ。その娘の気持ち……」
「えっ?……」
「なんとなくなんですけどね…。空にいる女の子は、きっと自分が犯した過ちを悔やんでいるのではないでしょうか?…。そう、佐祐理みたいに…」
「佐祐理…、お前…」
「佐祐理にはね…、佐祐理には弟がいたんですよ…。名前は一弥って言うんですけどね…。佐祐理は…、佐祐理は弟を死なせてしまったんです。お姉ちゃんらしいことを何一つしてあげられずに…。それが、佐祐理が犯した過ちなんです。一弥は生まれたときから、体が弱かったんです。一弥はいつも狭い病室の窓から青い空を眺めていました。当時、佐祐理はお姉ちゃんらしく振舞おうと必死だったんです。お父様の言葉もあり、『厳しくしなければいけない』って。…でも、そのことが逆に一弥の命を縮めてしまったんですね…。一弥のお葬式のとき、佐祐理は…、佐祐理は自分が犯した過ちを悔やんでも悔やみきれなかった。もう傷は消えちゃってますけど、佐祐理はその夜、手首を……………」
「佐祐理…………、これ以上は………」
舞が佐祐理を止めた。佐祐理はおそらく、手首を切ったんだろう…。俺は思った。
「でもね。往人さん。そんな佐祐理の心を舞や祐一さんが少しずつ解かしていってくれたんですよ…。だから。今はもう大丈夫ですよー。あははー」
佐祐理は、そう言うとおどけて笑っていた。笑えるようになったのは、ここにいる遠野によく似た少女、舞や祐一たちの努力の賜物だったんだろう。
不意に、観鈴のことが頭を過ぎった。あいつにはこうして何でも話せる友達がいただろうか…。いや、あいつにはいなかったはずだ…。いつも一人で…、
「観鈴ちん。ふぁいと」
と言って強がっていたに違いない。俺が来るまで…。
観鈴…、今ごろお前はどうしてる?…。寂しくなって一人で泣いているのか?…。佳乃や遠野、聖やみちるたちとも話してないんだろう。
お前の癇癪は治ったとはいえ…。今まで一人で…、過ごして来たんだからな…、お前は。友達の作り方なんて分からないだろうな…。観鈴…、俺は…お前が心配だ…。
「往人さんの大切な人なんですね。観鈴さんって。そして、とても観鈴さんのことが心配なんですね…。往人さん…」
ふと佐祐理がそんな事を言った。って、待て。今のことは俺の独り言のはずだっ。
「そんなこと……、言ってたか? 俺…」
「言ってた………、口に出して………。祐一とおんなじ………」
舞がぽつりそんなことを言う。
「「ぐあっ!!!」」
俺と祐一の声が重なった。祐一は秋子に頼まれてちょうど昼飯を運んできている途中だった。
「祐一? 往人?」
舞が不思議そうな顔で俺たちを見ていた…。
夜、俺は便箋とにらめっこをしていた。昨日閉まっていた便箋を秋子に出してもらった。便箋を出してもらうとき秋子はちょっと微笑んで、
「うふふ。さあ。どうぞ…」
嬉しそうな顔をして、俺の顔を見ていた。
困った……。今まで手紙というものを俺は書いたことがない。小学校にもろくすっぽ行ってなかった俺だ。
字はひらがなとちょっとの漢字しか知らん。かといってここで、代筆を頼むことは俺のプライドが許さなかった。一体どうしたらいいんだ? そもそも俺は何で観鈴に手紙を書こうと思ったんだろう。
昼間の佐祐理と言う少女との会話…。正直、俺は懐かしいと思った。なぜそんな気持ちになったかは分からない。だけど懐かしいと思った…。ふと観鈴のことが気になった…。
ただ、それだけのことだ…。それだけのことなのに…。この心のモヤモヤはなんだ? ひょっとして、好きなのか? 俺は観鈴のことを……。
まあいい。字も知らない俺に手紙なんて厄介なだけだ。俺は便箋を放り出すと腕枕をしながら仰向けに寝転がった。もう一度観鈴のことを思い出す。
あの「にはは笑い」がとても懐かしく思えた。と、トントンと、ドアを叩く音が聞こえてきた。俺は起き上がり…、
「勝手に入ってくれ」
そう言った。ガチャッとドアを開けて秋子が部屋に入ってきた。俺は今、あゆ&真琴の部屋にいる。ちなみにあゆと真琴は、佐祐理の家に泊まりに行って留守だ…。
議員でもある佐祐理の父親は存外結構な人で、心の広い人らしい。だから娘の佐祐理の友達なんかをよく招待するそうだ。
俺に気を使ってくれたのかも知れない。今回はあゆと真琴が行くことになった。
「お茶を入れてきました。熱いので気をつけてくださいね…」
そう言って急須と湯飲みを置いて出て行こうとする。
「ちょ、ちょっと待ってくれ…」
俺は慌てて秋子を呼び止めた。
「字を教えてくれないか?」
俺の言う言葉にちょっと戸惑ったのか、秋子は少し困った顔をしていた。俺は、学校に行っていないことを秋子に聞かせた。
「……恥ずかしいことだが俺は難しい漢字が書けん。読むことも難しい。お願いだ。俺に漢字を教えてくれ…」
「ええ、構いませんよ。わたしでよければ…」
秋子はそう言って微笑むと、俺の向かい側に座って俺が書くのを見ていてくれた。
時々間違いを指摘してくれたり、分からないところを聞いたりして、やっと観鈴への手紙が完成した。これをポストへ出すだけだ…。早い方がいいという秋子の言葉もあって俺は近くのポストへ出しに行った。
11月の空、北の空は曇っていた。それに寒い。俺は、前に稼いだ金で買ったちょっと厚手のコートを羽織り、表へ出た。かなり外は冷えている。昼間、テレビの天気予報では雪になると言うことだった。
これならいつ降ってもおかしくはないだろう。そう思って歩いていると白い結晶が冷たい風とともに空から舞い降りてきた。雪だ…。雪は後から後から降って来る。
俺がポストに着く頃には一面うっすらと雪化粧していた。住所は…、よし、間違いない。
俺はポストに手紙を投函した。
わたしは、往人さんのことが好きだった。お母さんも、最近は張り合いがないと一人で愚痴ってた。
が、がお…、やっぱり観鈴ちん弱虫…。せっかく往人さんがわたしの癇癪を治してくれて、佳乃ちゃんや美凪ちゃんと仲良くさせてくれたのに…、わたしは、その仲を進展させることが出来ずにいた。
お母さんは…、
「やっぱり観鈴には、あのあほちん居候がおらんとあかんな…」
と言っては、ため息ばかりついている。わたしのことを引き合いに出してはいるが、実はお母さんも寂しいんだと思う。お母さんは今、保育所の先生をやっている。
わたしも佳乃ちゃんや美凪ちゃんとの約束がないときは、お母さんのお手伝いをしている。……でも、でも…、やっぱり往人さんがいないと…、寂しいよ…。わたし…。
今ごろ往人さんはどこで何をしているんだろう…。どこかでおなかをすかして倒れてはいないだろうか…。わたしのこと、忘れてはいないだろうか…。
もし忘れていたら…、にはは、ちょっと寂しいかな…。そう考えながら過ごしている。ちょうど夕刊が来てる頃だ。取ってこよーっと。
玄関まで行き郵便受けに手をやって、夕刊を取ろうとした。すると、一通の手紙が夕刊の間から滑って下に落ちた。誰からだろう…。わたしは、手紙を拾う。ふと、差出人のところを見た…。
そこには、わたしの待っていた人の名前があった……。
夜、お母さんが帰ってきてから一緒に往人さんからの手紙を読んでいる。手紙にはこう書かれてあった。
『観鈴…、元気でやってるか? 俺は今、北の地方に来ている。友達は出来たか? お前のことだ…。きっと、「が、がお」とか言って呆れられていることだろうな…。遠野や佳乃とはうまくやっているか? 晴子は…、相変わらずなんだろうな…。やっぱり北の地方は寒いな。今まで気が付かなかったが、俺は暖かい方が好きだ。しかし、北の地方の人間は温かだ。俺は今ある家庭で厄介になっている。そこの主人が存外いい人で、あれやこれやと見てくれる。あっ、観鈴と同じ年の子供とその従兄弟がこの家庭にいる。それから、孤児院から二人の女の子を引き取って暮らしているようだ…。一人はとてもいい子なんだがもう一人はどことなしかみちるに似ているような気がする。まあ、みちるのような乱暴者じゃないんだがな…。それとその従兄弟の友達にお前とそっくりの声の女の子を見つけた。もう一人は遠野に雰囲気がよく似てるやつだ…。みんな良い奴ばかりなようなので、正直ほっとしている。でも、でも…、俺は…、観鈴。やっぱりお前に会えないと寂しい…。この旅で気付いたことがある。それは…』
わたしは、声を止めた。わたしの目から涙が零れてくる。往人さん…、わたし、涙で字が…、読めないよ…。お母さんが手紙を取ってわたしのかわりに読んでくれた…。
「『それは、観鈴、お前のことを俺は好きみたいだ…。ちょっと遅すぎた気もする。だけど、俺はお前が好きだ。』って、なに考えてんねやろな〜。あのあほちん居候は…。ウチの可愛い観鈴ちん、ほったらかしにしといて…。なぁ〜、観鈴〜…」
そして、最後の文章……。
『空の少女は見つからない…、だけど俺はもうこの旅は止めようと思う。母さんには悪いと思う。だけど、俺は空の少女よりもっと大切な、一番大切な存在を見つけたから…。また厄介になると思うがよろしくな…。
―国崎往人―』
そんなことが書かれてあった……。
『トゥルルルルル、この電車は夜行寝台特急『はやぶさ』165号です…』
いよいよ俺は観鈴が待つ関西の地へ帰ろうとしていた。ちょうど夕方だ…。朝には関西の地へ着くだろう…。
ここに来てたった3日だったが、俺にとっては1ヶ月くらいの感覚があった。俺が出立すると言うので、水瀬家一同が見送りに来てくれた。
他の奴らは用事があるので来れないと言うことだった。
「いろいろ世話になった。こんな餞別まで貰ってしまって…」
「いいえ。いいんですよ。それより向こうに着いたら神尾さんによろしく伝えておいて下さいね?」
「ああ、わかった…。伝えておく…。…祐一、名雪、あゆ、真琴…。お前たちには感謝している。俺は家庭の温かさを改めて知ったような、そんな気分だ。いつまでも仲良くな…。それから…、佐祐理によろしく言っといてくれ…」
「あっ、は、はい!!」
「わかったんだお〜」
「うぐぅ〜。また遊びに来てね。約束だよっ!!」
「あっ、あぅ〜」
「ああ、そのうちに観鈴や晴子たちも連れて遊びに来る…。そのときはまた厄介になるが…、よろしくな…」
「ええ、いつでも大歓迎です」
「じゃあな…」
「それでは……」
プシュー。扉が閉まった。電車はゆっくりゆっくり動き出す…。俺は、遠ざかっていく水瀬家の方をじっと見つめていた。あゆが…、真琴が…、俺の乗った電車が見えなくなるまで手を振っていた。
この地に来て俺は気が付いた。観鈴のことが好きだってことに…。それを気付かせてくれた北の大地に俺は一礼した…。
俺は、これから俺の好きな女の子のところへ帰ろうとしている。北の大地、雪が積もった大地の空には満天の星が輝こうとしていた…。
〜FIN〜