名雪・あゆ・真琴、そして栞は最近機嫌がものすご〜く悪い。今日も、階下から悲鳴が聞こえている。ああ…、今日もまた始まるのか…。血で血を洗う抗争が…。はぁ〜。そう心の中で呟きながら、俺は勉強に取り掛かった。これで2週間…。いい加減にしてくれ……。全く…。


トラ、トラ、トラ(我、巨人に先攻せり)


 事の発端はプロ野球が交流戦に突入する少し前の日のことだった……。いつものように名雪を叩き起こし学校へと向かう。ここ、北海道は遅い春を迎えていた。
「ロッテ! とにかくロッテよ!」
「ロッテなんざぁ、もうすぐ落ちるんだっ! ソフトバンクだ! 絶対!!」
 いつものように遅刻ぎりぎりで学校に着くと、北川と香里が言い争いをしている。普段、北川を適当にあしらっている香里にしてはすごい剣幕だ。何があったんだ?
「おーい。何を揉めてるんだ?」
 俺はそう言って二人の元へと向かう。
「あっ、相沢君。ちょっと聞いてよ!! 北川君ったらねー……」
 香里が俺の手をぐっと掴んで自分の席に座らせる。北川は憮然とした表情で香里の方を見ている。このままっていうと名雪がまた何やらかやらとうるさい。現に今も、恨めしそうに俺の顔を睨んでいる。はぁ〜…、溜め息を吐きつつ自分の席に座り直すと俺はこう尋ねた…。
「で? いったい何をそんなに揉めてるんだ?」
「野球だ。野球。今年、どこが優勝するのかってことを討論してたのさ。あっ、ちなみに俺と美坂はパリーグのファンだからな…。だから野球シーズンになるとこうやって激論を交わしていると、まあそう言うわけさ…」
 ああ、何だ。そう言うことか…。でも、珍しいな。北海道なんだから巨人か日ハムのファンが多いと思っていたんだが…。まあ、今シーズンは球団も身売りや移転や何かでいろいろと大変だったしなぁ…。それに今年は交流戦とかも入って余計におもしろく感じるんだろう…。
「ところで、相沢君はどこのチームのファンなの?」
 そんなことを考えていると香里がこう聞いてくる。俺は言った。
「俺か? ああ、俺は阪神ファンだよ。昔から……」
「「「ええっ?」」」
 そんな声を上げると3人は物珍しげに俺の顔を見遣る。いや、1人は明らかに恨みのこもった目だ…。って、そんなに不自然か? 一応東京生まれだが親の転勤であちこち廻っていた俺。物心つくころにいた場所が甲子園球場のある兵庫県西宮市というわけだ。
 そこで知り合ったお姉さんたちの影響も大きいかもしれないな。そう思う。阪神が負けたからといって……、
“きょ、きょ、巨人ファン……。ぶった斬りですわっ!!”
 とか言って、袴姿で薙刀振り回したり……、はたまた……、
“何で、阪神は勝てんのやーっ!! アホーっ!!”
 とか言って、ちゃぶ台ひっくり返したりは絶対にしないよなぁ〜。普通…。幼心にこういうファンだけにはなりたくないもんだと思ったもんだ……。まあ、こういう経歴もあってか、長年ファンをしている…。2003年の優勝は涙がちょちょ切れるくらい嬉しかったもんだ。そう一人昔を懐古してると…、
「だお〜。酷いんだお〜。祐一も香里も北川くんも…。ううっ、ううううっ…」
 名雪が一人、恨めしそうに俺たちを見ていた。はぁ〜、名雪に“俺は阪神ファンだ!!”って何回も言ってきたのに……。全く信じようとしない…。松井がいた頃ちょっとだけ応援してたのが問題だったのかな?…。まあ、応援してたのは松井だけだけどな…。名雪は俺の顔を恨めしそうに睨んで…、
「うううっ.…。わたしはてっきり祐一って巨人ファンなんだぁ〜って思ってたのに〜っ!! う〜っ!! 祐一、極悪人だお〜っ!! あゆちゃんや真琴に言いつけてやるんだおっ!!」
「今まで何回も何回も、“俺は阪神ファンだ!!”って、言ってるぞ? それなのに寝てばっかりいて気がつかないお前のほうが悪いんだ!! それに…、あゆと真琴はもう知ってるんだぞ? おかげで……、見てみろっ!! …俺の財布の中。すっからかんなんだぞっ?!」
 うううっ…。と睨みつけてくるあゆと真琴の手前、そうするしかなかった俺の立場も分かってくれっ! とでも言わんばかりに俺は自分の財布をみんなに見せつける。
「「うっ、わっ。…見事に何もない……」」
 香里と北川はそう言うと俺の顔を哀れみを込めた目で見つめていた。香里が…、
「分かる、分かるわぁ。相沢君!! あたしも栞によく言われるもの…。“野球は巨人なんですっ!! そんな変な球団を応援するお姉ちゃんなんか嫌いですっ!!” って…。野球シーズンに入るとこれよ? 酷いと思わない? 別に巨人だけが球団じゃないのにねぇ?」
「そうだそうだ!! 巨人だけじゃないんだ。他の球団だって頑張ってるんだぞ? お金のない球団がどれだけ必死で頑張ってるか…。水瀬!! もうちょっとその辺も考えろ〜っ!! だいたいお金に物を言わせて、いい選手をとりまくる巨人のやり方が気に食わねぇ〜っ!!」
 北川もそう言うと名雪の方をぐぐぐっと睨んだ…。名雪は劣勢だ。庇ってやりたいが、北川の言うことは正論だと思う。そう感じた俺は黙っていた。途端に半泣きモードに入る名雪…。“助けてお〜っ!!”とでも言わんばかりな目で俺の顔を見つめてくるが、冷静な視点から俺はこう言った。
「そう、北川の言ったことは正論だと思うぞ? いい選手…。しかも他の球団の4番ばかりだ。お金に物を言わせて取りまくって…。これじゃあ生え抜きの選手は腐ってくるわな。……まあ、逆転の発想から言えば楽だけどな…。ホームランバッターばかり集めすぎるから機動力、守備力に欠けてくる。足を使った攻撃はしてこない。守りもミスが多い。まあ、今この状況にあるのは不思議じゃないくらいだな…」
 野球解説者のようにそんなことを言うと香里が納得したように頷いて…、
「その通りだわ……。やるわね、相沢君」
「相沢にしちゃあ、いい目線だわな…。で、一つ二つ追加させてもらうと、番長をいつまでも置いておく心境も分からんし、前の監督を2年でクビにした上層部の考え方も分からん。これからの監督を何でクビにするのかって、俺のじいちゃんも不思議がってたぜ?」
 北川もそう言うと、これまたうんうんと頷いている。だが論理的に考えると実際そうだろう? 走れない、守れない。生え抜きの機動力のある選手をどんどん積極的に使わなくっちゃ、いつまで経ってもあのチームは良くはならんだろう…。おまけに、監督の選手の起用法も下手だ。
 前の監督の方がよっぽどマシだと考えているのは俺だけじゃないはずだ。香里や北川もうんうんと頷いている。と、名雪の方を見てみると…、教室の隅のほうで体育座りをして黄昏ていた。ぶつぶつと何事かを呟いている。何を呟いているんだ? 耳を澄ませてみる…。
「オレンジ色のジャムをお腹いっぱい食べさせてあげるからね? 香里も北川くんも…、祐一も……。ふふふっ」
 俺たちの背筋が凍りついたことは言うまでもない……。


 帰り道、舞と佐祐理さんと天野という珍しい組み合わせに出会う。何か話が盛り上がっているようだ。って言うか、天野はぷんすかぷんと怒っているみたいだった。
「おーい、舞〜、佐祐理さ〜ん、天野?…」
 そう言って俺はこの珍しい組み合わせに声をかける。途端に振り向く三人。佐祐理さんはいつもどおりのにこにこ顔、舞もなんだか嬉しそうだ。約一名、不機嫌そうに俺を見遣る。
「佐祐理さんも舞も、何の話をしてるの?」
 不機嫌極まりない天野の顔を見れずに、俺は佐祐理さんと舞にそう尋ねる。佐祐理さんはいつものにこにこ顔でこう言った。
「あっ、祐一さん…。はい、野球の話をしてたんですよ〜。あははー」
「日ハムは弱いって言う話……」
 舞がそう言うとこめかみがピクッとなる天野。って、天野って日ハムファンなの? 俺がそう聞くとぷぅ〜っと頬を膨らませながらこくんと頷く。案の定だな…、ここ北海道で日ハムファンがいないわけがない。何せ地元なんだから…。でも日ハムって確か調子が悪かったように思えるんだが…。
「川澄さんっ!! そったらこたぁねえべさ。もうすぐ…、もうすぐだべっ!!」
「…でも弱い……。新庄が入ってもスター性だけ…。話題には上がるけど、そんなに強くない。投手陣もあまりいいのがいない…。あれじゃあダメ……」
 舞がそう言う。まあ、舞の言ってることが最もだろうな…。俺はそう思った。ふっと天野の方を見てみると、ぷぅ〜っと頬を膨らまして…、
「そったらことねえべやっ!! 今、ちょっと打線が下降線に入ってるだけだべや…。ビックバン打線が復活するんも近いべや!! 秋になってから謝っても許してやらねえべっ!! ぶぅ〜っ!!」
 そう言うと天野はぷんぷんと怒り出す。いつもは冷静沈着な喋り方でちょっと年寄りくさい天野だが、興奮してくると地の言葉が出てしまうみたいだ。まあ、そこが天野の可愛いところでもあるんだけどな……。
「ゆ、祐ちゃん?……」
 天野がポッと頬を赤らめてこっちを見ている。な、何でだ? と、その横を見るとこめかみをピクピク動かして佐祐理さんと舞が俺の顔をぐっと睨んでいた。って、な、何で?……。また俺、独り言? しばらく俺の顔を睨んでいた舞がこう言う。
「…とにかく……。日ハムは弱い…。優勝なんて無理……」
「…まあ、佐祐理たちには関係ないですけどねー。猛虎ファンですしー。あははー」
 佐祐理さんが、そう言って微笑む。って! 佐祐理さんって阪神ファンだったの? そう聞くと…、
「はいー。そうですよー。佐祐理は昔からそうですよー? 舞もそうだもんね? ねっ? 舞?」
「うん。一昨年のセリーグ優勝の時は感激だった…。ぐしゅぐしゅ……。……で、祐一はどこのファン?」
 舞はそう言うと一昨年の優勝時のことを思い出したみたいに涙ぐむ。ああ、俺もあの時の感動は覚えている。テレビ画面に何度寄ったことか……。“六甲颪”を何度も何度も歌って……。はぁ〜。一人感慨に耽っていると、むぎゅ〜っと頬を引っ張られる。見ると舞が拗ねた表情でこっちを見ていた。
「祐一…、私の話、ちゃんと聞いてなかった…。ぐしゅ……」
「だぁ〜!! 聞いてた、聞いてたって!! だから泣きべそをかくんじゃない!! 俺も筋金入りの阪神ファンだっ!!」
 俺がそう言うと、途端に嬉しそうな顔になる佐祐理さんと舞。北海道にも阪神ファンって言うものはいるんだなぁ〜っとつくづくそう思った。最近は衛星を使って中継される試合も多いからな。阪神ファンも全国区になってきたって言う証拠だろう。そう思い、ふと天野の方を見てみる。
「……祐ちゃん…。……分かったべ! 今日からあたしも阪神ファンになるべや!」
 天野はしばらく下を向いてう〜んと考え込む。しばらく考えると俺の顔を見つめてこう言った。天野が俺に好意を持っていると言うことは知っていたが、何もそこまでしなくても……。と思った。だけど、俺の顔を真剣に見つめてくる天野にそんなことを言えるはずもなく、俺はうんと頷く。
「あっ…。でも、パリーグは日ハム応援してもいいべか? そったらことじゃねえと、あたし…」
「ああ? ああ、いいよ…。でも、いいのか? もともと天野は日ハムファンだったんだろ?…。それなのに…。ま、まあ、俺も日ハムはそんなに嫌いじゃないし…。って言うか俺の場合、阪神ファンである前にアンチ巨人だからなぁ……」
 俺はそう言って、天野と佐祐理さんと舞、3人の顔を見る。
「いいんだべ…。祐ちゃん。あたしは…。それにあたしも巨人嫌いだべ? あったらホームランバッターばっかし集めて…。なにが5点打線だべか!! なにが史上最強打線だべか!!」
「分かります、分かります!! 美汐さん。佐祐理も……。あんなによそのチームの人を取ってきたら、よそのチームの人が困るじゃないですか〜! そうでしょう? 祐一さん」
「……巨人、嫌い……。お金で何でも動くって考えてる……。それに私は番長が嫌い……」
 三人三様それぞれ違う事柄だが、巨人が嫌いだと言うことが分かった。舞と佐祐理さんは、現在大学一回生。今年の3月に無事卒業し、今は近くの大学に通っている。お別れの言葉を言った卒業式からもう、2ヶ月も経つんだなぁ〜。何気ない会話を交わしながら俺はそう思った。


 三人と別れ一人水瀬家への道を帰っていると、後ろから殺意に満ちた視線を複数感じた。気付かれないようにT字路のところにある鏡を盗み見るが遠くにいるようなので見ることは出来なかった。
 まあ、付いてきているのは、名雪とあゆと真琴は間違いない。あと一人は…、栞だろう…。直感的にそう思った。でも何で栞が? と一瞬思ったが香里の今朝の言葉を思い出す。
“あたしも栞によく言われるもの…。“野球は巨人なんですっ!! そんな変な球団を応援するお姉ちゃんなんか嫌いですっ!!” って…”
 多分、今日の帰りに名雪に俺が阪神ファンだって言ったのを伝え聞いて、それに腹を立てて俺の後をつけてきたんだろうな…。はぁ〜。全く、なんてお子ちゃまな考えなんだろう…。ため息を吐くと、歩き出した。
 てくてくてくてく、歩く。こそこそこそこそ、後をつけてくる。結局水瀬家に帰ってくるまで無言の探偵ごっこは続いてしまった。一足先に水瀬家に到着。名雪たちはと見ると遠くからごそごそと動く音が聞こえてくる。ああ、あれは名雪だな? そう思いドアノブに手を回すときぃ〜っと玄関を開けた。
「お帰りなさい、祐一さん」
 いつものように秋子さんが出てくる。俺は後ろに気配を感じつつ、秋子さんに耳打ちした。
「ただいまです。秋子さん。あっ、今日から、多分栞も泊まることになると思うんで……」
「まあ、賑やかになりそうね…。でも、どうして?」
 秋子さんはそう言うと、小首を傾げる。俺は詳しく端的に現在俺が置かれている状況を話した。あまり長く玄関にいると、怪しまれるだけだと思ったからだ。秋子さんもその辺は分かってくれたんだろう。俺が話すと、
「もう! しょうがないですね。名雪は…。ごめんなさいね? 祐一さん……」
 そう言って、頭を下げる秋子さん。って、秋子さんはどこのファンなんだ? 夕食時にそれとなく聞いてみるか…。そう思い、階段を上がると自分の部屋に入る。しばらくして名雪たちが帰ってきたんだろう。玄関を開ける音が聞こえた。しばらく耳を済ませてみる。秋子さんと栞の声だ。
「これからしばらくお世話になります!! お母さんたちには言ってきましたから心配しないで下さい!!」
「えっ? ええ…。心配はしていませんよ? さあ、と、とりあえず上がって?」
 秋子さんが慌てている? あの、スーパー主婦・良妻賢母の鑑とまで言われ、そこら辺の主婦たちの見本になってるあの秋子さんが? 驚いて部屋の戸を開けて階段の方を見ると…。
「なっ? だ、誰? あの娘たち…」
 思わず部屋の戸を閉めて鍵をかけてしまった。だ、誰だ……。俺が知ってる名雪たちは、普通の目だったぞ? あんな逆半月形の怖い目じゃなかったはずだっ!! …何か言ってるみたいだ。何を言っているんだっ? 耳を済ませてみる……。
「私は名雪さんとこっちで見張ってますからね…。あゆさんと真琴さんはあっちで見張ってください…。祐一さん…。私たち巨人ファンを怒らせるとどういうことになるのか…。身を持って体験するといいです…。ふふふっ……」
 こ、この声は栞か? し、しかもあの水瀬家シスターズを仕切ってる?! …ま、まああの人間兵器と巷で専らな噂の香里の妹だ。栞がその血を引き継いでいないとは考え難い……。でも、あの栞だぞ? 深々と降る雪の上、儚げな顔で俺を見つめていた、あの栞だぞ?
 ま、まあ、今はもうあの頃のような儚げな感じは一切ない普通の女の子なんだが…。いや、最も今では元気すぎて困るくらいだが…。アイスクリームの女王といわれている、えぅ〜娘だしな…。ははっ。と、俺がそんなことを考えていると、
「酷いです! 祐一さん。そんなこと言う人嫌いですっ!!」
 また独り言でも呟いてたのか? はぁ〜…。大きな独り言だな、俺……。そう思い恐る恐る部屋の戸を開けると……。
“ぶぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!”
 4人が、逆半月形の目を逆三角形に鋭く尖らせて俺の顔を睨んでいた。


 栞が水瀬家に居候するようになって3日後……、交流戦が始まった。いろいろと面白い対戦が見られてファンとしては見応えがある。巨人は交流戦に入ってから、恐ろしいほどに調子がいい。
 名雪たちはにこにこ顔だ。小久保を4番にしてからだろうなぁ…。と佐祐理さんとお弁当を食べながら、そう言い合う。舞が…、
「でも…巨人は投手がいない…。打たれたら負け……」
 と、佐祐理さんと話していた俺に向かって言う。確かに投手がいないのはなぁ〜。俺も同感だ。だからうんうんと頷いた。まあ、名雪たちに言わせると?
「打力でカバーするんだおーっ!!」
 と強がっているが、正直あの投手陣では通常戦に入ればもたんだろうな…。中継ぎがいないことに加えて先発も悪いんだから…。それに加えて機動力もない。まあ、最近はその辺が分かってきたみたいで足の速い選手を入れてはいるようだが……。
 で、そんなこんなで交流戦も後半になる。栞はあのまま水瀬家に居座って全く帰ろうとはしない。というかもう、ここが自分の家のように思い込んでしまっているみたいだ。香里が迎えに来ても、
「……誰ですか? 私には、変な球団を応援するお姉ちゃんなんていませんよ?」
 と、ぷぅ〜っと頬を膨らまして言う。相当怒っているみたいだった。香里は、はぁ〜っとため息を吐くと…、
「相沢君、ごめんなさいね。栞ってば病気が治ってから、いつもあの調子でね…。少しでも自分の意にそぐわないことがあるとああなるのよ…。あたしが甘やかしたのがいけなかったんだわ。はぁ〜」
 と言って、頭を下げてくる。ま、まあ栞は妹みたいなもんだからな…、と俺は香里に言う。
「それにな…。家の中が何だか活気が沸いたように楽しいしな…。負けた時のぷぅ〜っとした顔にも慣れてきたし…。巨人が負けた時に栞をからかうと、面白いようにのってくるしな…」
 香里はおかしそうにくすくす笑っている。多分、美坂家でもそうしていたんだろうな。香里の笑顔を見ながら俺はそう思った。


 で…。今日も交流線がある。夕食時…。いつもなら楽しい食事も最近はそう言うわけにはいかなかった。巨人が連敗中だからだ。例の4人組は俺の顔を逆三角形の目でじ〜っと睨みながらもくもくと食べている。
 野球の話題なんかを言うと4倍になって帰って来そうだ…。秋子さんがどこのファンかを聞きたかったがこの状況では……。
「「「「う、うぅぅぅ〜〜っ!!」」」」
 とでも言いそうな顔をして俺を睨みつける4人組…。ちなみに我が阪神タイガースは勝っている。阪神と巨人のゲーム差は5と伸びてしまっていた。秋子さんはただただびっくりするばかりだ。はぁ〜、秋子さんがあんなびっくりするなんてなぁ〜と思い、秋子さんのほうを見ていると、
「祐一君! なに秋子さんのほうばっかり見てるんだよっ!」
 机をばんっ! とでも叩かんばかりな目で、あゆが俺の顔を睨んでいる。名雪、真琴、栞もぐぐぐっと俺の顔を睨んでいた。気まずくなった俺はテレビのリモコンを手に取ってテレビをつける。そこには……、
“李、打ったー!! 入ったぁ〜!! 逆転満塁サヨナラホームラーン!! 巨人、工藤の力投報われずぅ〜!! 首位阪神とのゲーム差は6と伸びましたーっ!!”
 ロッテ対巨人…。香里はきっと家で大喜びしてるだろうな…。そんなことを思いながら…、バシャ。その場で電源を切った。これから起こる地獄…。そんなことを考えながら…、俺はそ〜っと後ろを振り返る……。4人の女の子。いや、凶悪な鬼が俺の目の前にいるっ!!
 うらぁ〜っ! とでも言わんばかりな表情で俺の顔を睨んでいるっ!! 約2年名雪たちの顔は見てきた俺だが、こんなに恐ろしい顔は初めてだった…。
「どうしたの? みんな……。祐一さんのほうをじっと見て…」
 状況が全く分からない秋子さんは、4人のほうを見てこう言った…。名雪が言う。
「お母さん!! 祐一ったら、阪神ファンだって言うんだおーっ! 北海道に住んでおきながら、阪神ファンだって言うんだお? 酷いと思わない? 北海道だったら日本ハムか巨人なんだおー!! それなのにぃ…」
 うううっ…、とでも言わんばかりな目で秋子さんのほうを見つめながらそんなことをのたまう名雪。秋子さんはたじたじになってしまっている。ちなみに、秋子さんは野球には全く関心がないみたいで、俺たちのこの闘争も全く分からないという感じだった……。
 俺は、この分からず屋4人組に向かってこう言った。これが俺を破滅させる一言になることも知らずに…。
「あのなぁ〜。俺は前から阪神ファンだって言ってるだろ? 俺があれだけ阪神ファンだって言ってるのに聞かない。いや、聞こうともしないお前のほうが悪いんじゃないのか? ええ〜っ?! おまけに俺の嫌いな“ジャビット”まで置いていくわ…。…え、え……、ええ加減にせえっ!! 何が史上最強打線やっ!! あんなもん史上最低打線やないかっ!! だいたいなぁ…。巨人は大砲をようけ……」
 はっと気がつく。い、今、神尾のお姉さんのような関西弁になってしまっていた。…そう、俺をこんな虎ファンにした張本人。名前は神尾晴子さん。通称、神尾のお姉さん。もう10年も前になるのか…。早いもんだよなぁ〜。
 普通阪神が負けたからといって、ちゃぶ台をひっくり返したり、18歳にもかかわらず、“ヤケ酒やぁ〜っ!”とか言って酒をがぶ飲みしたりはしないよなぁ〜…。子供心にこう言う大人にはなりたくないと思ったもんだ…。
 って言うか何で今頃、封印しておいたはずの関西弁が出てきたんだ? もう10年も前のことなのに……。まだ関西独特の文化が俺の脳に焼きついていると言うのか? ど、どうなんだろう……。と、名雪たちのほうを見てみると…、
「「「「う、う、うううっ…。祐ちゃん、怖いべやぁ〜!!」」」」
 と、泣きべそをかいてしまった。って、そこで何で天野みたいな口調で言うんだ? 訳が分からん…。一瞬怯んで秋子さんのほうを見る。いつも通りにっこり優しく微笑んだままだった。だが……、
「祐ちゃん。だめでねえべか…。そったら女の子を泣かしたりして……」
 ペロッと舌を出してイタズラっぽく微笑む秋子さん。あ、秋子さんまでも? 秋子さんまでもがそんなことを言うんですか? う、うぐぅ……。
「祐ちゃん!! またボクの物まねしただべな? ひ、酷いべやぁ〜!!」
 あゆが泣きべそをかきつつ、俺の顔をぷぅ〜っと頬を膨らませながら睨んでいる。って言うか、地の言葉で言わないでくれ…。頼むから…。……そもそもなんで俺ばっかり口撃して来るんだ? 俺は4人組に聞く。すると?
「だ、だって……、祐一のことが好きだから…。好きな人とは一緒のチームを応援したいって思うものなんだお? あゆちゃんも真琴も栞ちゃんも、わたしも…。ここにいるみんな…、そう思ってるんだお?」
 名雪はそう言うと、上目遣いで寂しげに俺のほうを見つめている。栞やあゆや真琴も同様に俺の顔を寂しげに上目遣いで見つめていた。ぐ、ぐぐぐっ……。そんな顔をされても…。
「あ、あのな? 人にはそれぞれ個性というものがあってだな?…。そ、それで……、え〜っと……」
「「「「うーっ…。うっ、うううっ…。う、う、うわぁぁぁぁぁぁぁ〜〜ん」」」」
 そう言うと名雪たちはとうとう泣き出してしまった。秋子さんはというと……、
「あ〜あ、泣かしちまって…。……祐ちゃん。ちゃんと謝らねえとだめだべ?」
 また、俺の苦手な北海道弁で言う。こ、こっちが泣きたいくらいだ…。そうは思うがいたずらっぽく微笑む秋子さんと、涙目になりながら俺を睨んでくるお子ちゃま4人組に言うことも出来ず…。
「だぁ〜!! 分かった!! 分かったから!! 俺も巨人ファンになるから!! だからそんなに睨まないでくれっ!! 泣かないでくれ〜っ!!」
 と言ってしまった。途端に、寂しげな表情から一転、にこっと笑う4人。涙を拭き拭き俺を見つめて……。
「「「「ほんと?」」」」
 と言う、名雪、栞、真琴、あゆの4人。顔を見て、俺は思わず“うっ!”となる。そんな顔を前に誰が顔を横に振れようか…。ここで嘘とはとても言えない。言ってしまえば終わりだ…。そう思った。身から出た錆…。という諺にもあるように、今の俺が全くそれだった。…そうして、否応なく俺はうんと頷いてしまう。
 涙を拭き拭きにっこり笑顔の4人。苦し紛れで言った言葉でここまで変わるとは…。でも、この状況で言わざるを得なかった俺の立場も分かってくれ…。舞、佐祐理さん、天野、神尾のお姉さん…。俺はそう思った。


 次の日の夕方。いつものように学校から帰っていると、後ろで気配がする。誰だろう? 頭をかしげながら家路を急ぐ。と……、
“ぐしゅぐしゅ……”
 という泣き声が聞こえてきた。ああっ、もう間違いない。舞だな…。そう思った。昨日、俺が巨人ファンになるといったことを名雪か栞にでも聞いたんだろう。そう…。今朝、名雪が嬉しそうに……。
“祐一が、巨人ファンになったんだおー!! 嬉しいお〜。ねっ? 祐一…”
 そう言って、香里と北川に嬉々とした表情でこう言った。香里も北川も名雪のワガママは分かっている。だから……、
“大変ねぇ〜…。相沢君も……”
 ってな哀れみの目で俺を見ていた。休み時間には天野に苦手な北海道弁で散々文句を言われた…。挙句の果てには某最終兵器彼女のヒロインのような台詞を言われて……。も、もう思い出したくない。それくらい嫌なことがあったんだ……。
 はぁ〜っと、大きなため息を一つ吐くと後ろに振り返る。電信柱の影から寂しげに俺を見遣る2人がいた。
「ま、舞? さ、佐祐理さん? そ、その…」
「「……う、うう、うううっ…。ゆ、祐ちゃんの……、おたんこなすぅぅぅ〜〜〜〜〜〜〜〜!!」」
 ご近所に聞こえるような大音量で、舞と佐祐理さんはそう絶叫した。ぽろぽろと涙をこぼしてその場に倒れこむ二人…。一方の俺は顔面蒼白状態。
「ぐすっ、ぐすっ、祐ちゃんが阪神ファンだって知って佐祐理、嬉しかったんだべ? ここいらの人はみんな巨人か日ハムのファンが多いんだべ…。いっつも寂しい思いをしてきたんだべや? そ、それなのに…、こったら、こったらわやなこと、あるわけねえっしょやーっ!! う、う、うわぁぁぁぁ〜〜〜〜〜ん」
 さ、佐祐理さんが…、佐祐理さんがぁ〜っ!! 天野みたいになっているぅ? 舞も舞でぐしゅぐしゅと泣くばかり…。ど、どうせいと言うんだ? 本当は阪神がものすごく好きだ。でも、そうせざるを得なかった俺の家庭環境も考えてくれ…。と言いたい……。
 しかしこんなことを言って名雪たちにバレたりしたら……。そう思っていると…、
「「「「あっ、祐ちゃん!! なにやってんだべ!! 早く帰って巨人の応援するべさ!! 今日は勝つべ!!」」」」
 やって来てしまった…。左を見るとお姉さん二人が、捨てられた子犬のような目で俺を見つめていた。やがて、名雪たちお子ちゃま4人組が来て俺の右手をぎゅっと掴む。名雪が言った。
「さあ、行くんだおー!! ロッテなんかに負けないおー!! 阪神なんかク○喰らえだおー!! さあ、行くお? 祐一。……んっ? 誰だお? そこの本当は弱っちいチームのファンのお姉さんは……」
「祐一……。本当に私たちを捨てる気なの? 同じ阪神のために頑張ろうって、ずっと応援していようって…、たとえ最下位になっても応援しようって…、そう言っていたのに…。ひ、酷い…。祐一…。うっ、うううっ…」
 そう言って、左手を掴むとうううっと俺の顔を寂しげに見上げる可愛いお姉さん二人……。精神にかなりのダメージを食らう。も、もうイヤだ……。
「だ、誰か…、誰か助けてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
 俺は分からず屋のお子ちゃま4人組と素直なお姉さん2人組に両の手を掴まれて引っ張られる中、心の中でそう絶叫していた……。


 初夏の北海道、その空の下…。もう野球はこりごりだと思う、史上初のセ・パ交流戦だった…。とほほ……。

おわり

おまけ

「…もう、もうたくさんだっ!! いつもいつも喧嘩ばっかりしやがって!! ……きょ、……きょ、巨人も阪神ももう止めだっ!! 俺は今日から日ハムファンになるっ!!」
 お子ちゃま4人組とお姉さん2人組が睨み合う中、俺は高らかにこう宣言した。交流戦も終わり一息ついた。巨人は4位まで順位を上げていた。巨人ファンにはたまらないんだろう。阪神は2位で虎視眈々と首位ヤクルトを伺っている。
 熾烈な応援合戦が続くここ水瀬家…。全然関係ない天野や香里や北川までも来て、今日の伝統の一戦、巨人阪神戦を見ている。互いに点を入れたときにぐぐっと俺を睨みつけてくるお子ちゃま4人組とお姉さん2人組…。睨みつけてくる6人を前に俺はついにこう言ってしまった。
 言ってしまったのが最後だった。途端に涙目になって俺を見つめてくる、いや、睨んでくる6人。その横で、満面の笑みで見つめている天野…。
「ああっ、
ついに、ついに夢が叶ったんだべな? 大好きな祐ちゃんと同じチームを応援できるなんて…。まるで夢のようだべ……」
 極上の微笑みを浮かべながら天野が俺の横に寄ってくる。ちゃっかり俺の隣に座ると…、
「なあ、祐ちゃん。今度札幌ドームで試合があるんだ…。チケットもあるんだべ? 一緒に見に行くべ? なあ、大好きな祐ちゃん……。うふふふふぅ〜」
 俺の肩にちょこんと頭を乗せてそんなことをのたまう天野。あ、あのぉ〜、天野さん?…。周囲の視線が異様に怖いんですけど? 真琴は妖狐にでも戻ったかのようにガルルルル……と言いながら俺の顔を睨んでるし……。
 あゆは羽リュックの羽が大きくなってるし、名雪は最終兵器を持って虚ろな表情だし、栞は妙な薬をいっぱい出して笑ってるし。舞と佐祐理さんはどこに入れていたんだろう、手に木刀とステッキを持ってぴくぴくぴくっと小刻みに震わせてるし…。
「あ、あのぉ〜。何をするおつもりなのでございましょうか?……」
 恐怖で顔が引きつってるのが分かる。逃げなければとは思うが、6人もの視線が俺を釘付けにしていて動きが取れなかった。逃げたい。逃げ出したいとは思ったが、進行上止むを得ないと感じた俺はそう聞いた……。
「「「「「「祐ちゃん…。覚悟するべさ……。うふふふふ…」」」」」」
 ガブッ!! キュイーンッ!! モゴッ!! ブチューッ!! ボカッ!! ピロロロ〜ンッ!!
 俺が住む北の町は、今日も平和だ……。……ぐふっ……。


 後に天野美汐はこう語る……。
「思い出したくねーべ…。思い出したくねーべ…。思い出したくねーべ…。う、う、うわぁぁぁぁ〜〜ん!!」
 …と。彼女は何を見たのか…。はたまた彼女に何があったのか…。真相は誰も知らない……。

ほんとにおわり