僕は、足が不自由だ。
もう二度と、足は動くことはないだろう…。
でも…、でも、僕はこれで良かったと思っている。
僕の大好きな妹を、守ることが出来たから…。
大好きな僕の妹へ…
朝、僕は目を覚ました。
時計を見る。午前6時30分、いつもどおりだ。着替えを済ませ、愛用の車椅子に乗る。
ガチャ…。
僕は部屋の扉を開けた。
「今朝は鞠絵か……」
僕はそう思い、ゆっくり車椅子を漕いでいく。
僕の家族は、父さん、母さん、僕、そして僕の大好きな妹、鞠絵だ。父さんは外交官で、あちこち飛び回っている。
母さんも、父さんと一緒に頑張っている。家には、僕と鞠絵の二人で暮らしている。僕が車椅子生活になってから、父さんたちは家をバリアフリー設計にしてくれた。
だから、車椅子でも、何ら支障はない。
実は、鞠絵は僕の本当の妹じゃない。
僕が5歳のときに、父さんの古い親友の人が亡くなって、身寄りのない鞠絵を自分たちの子供、そして僕の妹という形で、引き取った。鞠絵が、まだ2歳の頃だ。
僕は妹が欲しかった。だから鞠絵が本当の妹のようで、嬉しかった。
父さんたちは、そのことは話していない。もちろん、僕も…。当然、鞠絵も、まだこのことは知らない。でもいつか…、いつか話さなきゃいけないときが来るんだろうね……。
鞠絵は元々体が弱く、病気がちだった。何回か入退院を繰り返し、命の危険な状態までいったこともあった。
だけど、主治医の先生と看護婦さんたちの手厚い看護や、なにより鞠絵自身の頑張りで、病気を克服し今は元気になった。鞠絵曰く…、
「兄上様のおかげです…」
と言っているが、僕は、それほどのことはしていない。
土日と祝日に、鞠絵の入院している療養所へ行って、お見舞いをしたり、ただ鞠絵が寂しそうにしているので、療養所に泊まって話をしたりしただけだ。ただ、それだけのこと…。
今朝の朝食の担当は鞠絵だ。食事は二人で変わりばんこに作る。
本当は僕が作ってあげたいけど、鞠絵が……、
「兄上様、わたくし、兄上様のお手伝いがしたいんです…、わたくしが兄上様にしてさしあげられること…、あんまりないんですもの…。だから……よろしいですか?」
と言って、僕のお手伝いをいろいろとしてくれるようになった。僕は、無性に嬉しくなった。だから…、
「ああ、頼んだよ」
そう言った。
台所から、いい匂いがしてくる。味噌汁の匂いだ。僕は、車椅子を押しながら、台所の扉を開けた。
「おはよう、鞠絵」
「おはようございます。兄上様。今日も良い天気ですね……。ミカエルも、兄上様にちゃんとご挨拶なさい」
「わんっ」
鞠絵の横で、大きなゴールデンレトリバーが嬉しそうに尻尾を振っていた。鞠絵の大切なお友達、ミカエルだ…。
「おはよう、ミカエル」
僕は、そう言うとミカエルの頭をなでた。ミカエルは、気持ち良さそうに僕の顔を見つめている。
ミカエルが、鞠絵と友達になったのは、まだ、鞠絵が療養所にいた頃だ。
療養所は、僕の家から電車で3時間ほどの距離にある。その頃は、まだミカエルやお友達のひばりちゃんはいなくて、鞠絵は一人ぼっちで寂しそうだった。
僕は、寂しそうにしている鞠絵を見ていられなくて、これまで貯めた貯金を下ろして、ゴールデンレトリバーの子犬を買った。鞠絵の療養所へ向かう。
そこの療養所は、アニマルセラピーをどこよりもいち早く取り入れていた…。
コンコン。
「鞠絵、いるかい」
「あっ、兄上様、来てくださったのですか? わたくし、とても嬉しいです」
「うん、鞠絵の顔が見たくなってね…。あっ、それで、今日は僕から鞠絵にプレゼントがあるんだ! 受けとってもらえるかな? いつも寂しい思いをさせている鞠絵にね…」
「兄上様がわたくしに?」
「うん、この子だよ」
そう言って、僕は、子犬を抱きかかえた。鞠絵は、驚きと嬉しさが入り混じったような顔で…、
「えっ? あっ、兄上様! こんな…、こんなわたくしのために…。嬉しいですっ。わたくし、とても嬉しいですっ。ありがとうございますっ、兄上様」
「本当はこの子なんかじゃなく、僕がずっと鞠絵のそばにいられればいいんだけどね…。鞠絵に寂しい思いばかりさせて…、ごめんね…」
「くすん、い、いいんです。兄上様が謝らないで下さい。わたくしが…、わたくしが健康であれば、兄上様に心配させずにすんだのですもの…。わたくし、頑張ってこの病気に打ちかって見せます。そして…、そしていつか兄上様と暮らせるように…」
鞠絵の瞳に、一滴の涙が浮かんでいた…。少し時間をおいて…、鞠絵が尋ねてくる。
「くすん、……兄上様、この子の名前はもう決めていらっしゃいますか?」
「えっ? ううん、まだ決めていないよ。鞠絵が決めてあげて」
「それでは…」
─ミカエル─。それが、鞠絵が子犬につけた名前だった。キリスト教の最も偉大な天使…。神の使者にして天上界の守護者…。
「さあ、兄上様、ご飯が出来上がっていますわ。冷めないうちにお召し上がりになって下さいね…。あ、あの、兄上様? 何か気になることでも?」
鞠絵は不思議そうにこちらを眺めていた。
「えっ? あ、ああ、何でもないよ。ただ、昔のことを思い出してただけさ…」
「そうですか…。さ、さあ、早く食べないとご飯が冷めてしまいますよ?」
そう言うと、にこっと微笑んで、ご飯を茶碗によそった。
「ああ……、ありがとう。鞠絵」
僕は、そう言って、車椅子をテーブルの方へ押していき、ロックを掛ける。テーブルの上には、あたたかい料理が並んでいる。僕は、鞠絵がいつも置いてくれているナプキンで手を拭いた。
「それじゃあ、食べようか。いただきます」
「あっ、はい。いただきます」
僕たちは、ご飯を食べ始める。今朝のメニューは、わかめのお味噌汁、きゅうりの浅漬け、卵焼きだ。
「あっ、この浅漬けおいしいね。鞠絵が漬けたの?」
「はい、ちょうど昨日お買い物に行ったときに、おいしそうな胡瓜があったので…。それで、この間作っておいた糠床に…。あっ、兄上様。おかわり、致しますか?」
「うん、じゃあ、はいっ」
僕は、空になった茶碗を出した。と、鞠絵が僕の顔を見てくすくす笑っている。僕は気になって聞いた。
「鞠絵? どうしたの?」
「あっ、すみません…。兄上様のほっぺにご飯粒がついていたもので…。ふふふっ」
「えっ? ど、どこ?」
「ここですわ。兄上様」
そういうと鞠絵は、手を僕の頬にもっていって、ご飯粒をとってくれた。
「ふふふっ、兄上様のそういうところもわたくしは好きです……。さあ、早く食べてしまいましょう。学校に遅れてしまいますから…」
「えっ? あ、う、うん。そうだね」
僕はそう返事をした。鞠絵は、優しく微笑んでいた。
「さあ、そろそろ行こうか。鞠絵」
「はい、兄上様。ミカエル、お留守、番お願いね…」
「わんっ」
ミカエルは、そう吼えると尻尾を一振り振った。
僕は、鞠絵の歩調に合わせて、車椅子を漕いでいく。僕たちの通う学校は、僕の家から20分ほど行ったところにある。小学校、中学校、高校、大学、すべて揃った学校だ。
そしてなにより、バリアフリーで、障害者用の補助がいたるところにある。
僕が健康だった頃は、見向きもしなかった障害者用の補助…、今では、非常にありがたいと思う。
「さあ、学校に着いたよ。頑張ってね、鞠絵」
「はい、兄上様…。またお昼休みに…」
僕は校門前で、鞠絵と別れた。僕は高校2年。鞠絵は中学2年生だ。この学校は、高校と中学が離れている。
校門を入ってまっすぐ行くと小学校、向かって右に中学校、左に高校、そして、奥が大学という構造だ。
鞠絵が、中学校の校舎に向かうのを確かめると、僕は、車椅子を漕ぎ始めた。僕の教室は2階にあるため、毎日エレベータに乗る。そして、教室について扉を開けた。
ガラガラッ。
「おっす、航く〜ん。今日もボキと頑張ろうね〜ん」
「おはよう、山田。そういえば、数学の宿題があったけどやってきたのか?」
「あっ、忘れてた。ああああっ、どうしよう、航〜〜。お願いだから、ボキにノート見せてくれぇぇぇぇ〜〜〜」
こいつは、僕の友達の山田。本人曰く、
「航くんはボキのマブダチだからね〜〜〜〜〜ん」
と言っている。僕も、山田とは屈託なく話せるので嬉しい限りだ。
「もう、しょうがないな…」
そう言って、僕は山田にノートを渡す。
「恩に着るよ〜〜、航く〜ん」
そう言うが早いが、山田はノートを写し始めた。僕は、ふと窓の方を見た。
校庭の向こうには梅林があり、もう梅の花が満開となっている。もう、そんな季節だろうか? そう、あれは5年前の2月14日…、僕の足が動かなくなった…、あの日……。
「鞠絵っっ!!、危ないっっっ!!」
「きゃあっっ」
ドンッ。
キュルキュル、ブオオオオオオオオオン。
「兄…上様…、きゃああああ、兄上様。兄上様、しっかり、しっかりしてください!! だ、だれか、だれか救急車を、救急車を呼んでくださいっ!!」
「鞠絵…、無事だったんだね…、良かった……」
僕の意識は、そこで途絶えた。
……。
「んっ? ここは…、どこ?」
「気がついたかい。ここは病院だよ」
見ると、若い先生、鞠絵、看護婦さんたちが僕の周りを囲んでいた。何があったんだろう? 僕はふと考えた…。と、先生が…、
「君は、車にはねられたんだよ……。覚えているかい」
そ、そういえば、
「まっ、鞠絵は? 鞠絵は無事なのか?」
「はい、兄上様。わたくしは無事ですわ……。でも…、でも…、兄上様…、兄…上様ぁぁぁぁ。うっ、ううっ…」
「鞠絵?」
「鞠絵ちゃん…」
鞠絵は看護婦さんの胸で泣き始めた。
看護婦さんは、悲しそうな目で僕を見ながら鞠絵を抱きしめていた。僕は鞠絵やみんなが泣き出した理由がわからない。
僕は看護婦さんの一人に尋ねてみた…。
「看護婦さん…、どうして鞠絵は泣いてるの?」
「そ、それは…」
看護婦さんは言葉を濁した…。と、先生が、
「……私から言おう……。冗談かもしれないが本当のことなんだ。よく聞いてくれ…。もう、一生動かないんだよ…。君の足は……。神経が両足の付け根で切れているんだ……。現代の医学では治しようがない……。リハビリをしたって無理だ…。すまない……」
「えっ? そっ、そんな…、そんな…、そんな馬鹿なぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! ……。そっ、そんなこと…。僕の足が一生動かないだって? 嘘だろ? なぁ、鞠絵…。嘘だと言ってくれよ。こんな、こんなこと、笑い話にもならないじゃないか!! 動け。動け。僕の足!! 動いてくれぇぇぇぇぇ」
僕は、何とか足を動かそうとした。だけど、足は動かなかった。
「何で、何でなんだよぉぉぉぉぉ。何で動かないんだよぉぉぉ。ううう…」
「ごめんなさい、ごめんなさい……、兄上様……」
僕は泣いた。涙が枯れるくらいまで泣いた。その夜……、鞠絵は、僕のそばにいたいといって病院に泊まった。
深夜…、僕は起きていた。いや、正確には眠れなかった。僕の足は一生動かないんだ、そう思うと頭の中がぐるぐる回って…。ふと、隣で寝ていると思っていた鞠絵が…、
「ごめんなさい。兄上様…、わたくしのせいですよね…。兄上様をこんな目にあわせてしまって…、本当に…、本当に…ごめんなさい、兄上様…、うっうっうっ」
そんなことを言ってきた……。
「まっ、鞠絵」
「わたくしのせいですわ…。わたくしが、わたくしが生きているから…兄上様の足を…。わたくしなんか、あの時に死んでしまった方が良かったのですわ…。わたくしさえいなければ、兄上様がこうやって、苦しまずにすんだのですもの…」
鞠絵は泣いているのだろうか…。涙声だった。大好きな妹を泣かしている。そのことが…、僕には耐えられなかった。
「まっ、鞠絵? なっ、何てこと言うんだよ!! お前は僕のたった一人の妹だろ? 妹を守るのが兄の使命じゃないか! 確かに僕の足はもう一生動かない。でも、もう僕は泣かない。明日からまた頑張るつもりだ。だから…、だから鞠絵! そんな、そんな悲しいこと言わないでくれ。「死んでしまった方が良かった」なんて言わないでくれ!!」
そういうと、僕は鞠絵を抱きしめた。僕たちは、その日の朝まで抱きしめあった。
「海神君。そろそろ勉強ですよ」
「わあっ!! せ、先生」
「教科書の125ページを開いてください」
どうやら僕は、昔のことを考えすぎて、ホームルームも聞いてなかったみたいだ。
「航〜〜。何考えてるんだよ〜。よかったら、ボキが相談にのってあげるよ〜」
「ううん。いいんだ。ただ昔のことを思い出してただけさ」
「そうかい。それならいいんだけど〜」
山田はそういうと、授業に聞き入っていった。僕も、授業に集中していった。
しかし、僕の心の中にある大切な存在は、いつか僕の手を離れて、僕の手の届かない遠いところへ行ってしまうんじゃないか…、
そんなことばかり考えていて、今日の授業に身が入らなかった。
そして、昼休み…。
僕は、いつもどおり食堂に行く。鞠絵と食事をするためだ。朝食、夕食は家で作るが、昼食はいつも学食で済ます。僕は、ゆっくり車椅子を漕いで行く。
食堂は、ちょうどこの学園の真中(つまりは、食堂を中心に放射線状に学校が並んでいる)にあり、お昼休みともなると、憩いの場になる。
今日も、鞠絵は僕を待っていた。
「鞠絵〜。待ったかい?」
「いいえ、今来たところです。さあ、兄上様。行きましょう」
「ああ。じゃあ、行こうか」
「はい、兄上様。うふふっ」
僕たちは、食券を買い食事を受け取ると、いつもの場所へ向かった。
鞠絵の後姿を見て、鞠絵に真実を打ち明けよう…。僕は強く思った。あとは、鞠絵が判断すればいい…。
もし、これで、僕の下を離れていってしまうなら、それは仕方のないことだろう…。
「鞠絵」
「はい、兄上様」
僕は、真剣な顔をして言った。
「帰りに、重要な話があるんだ…。僕に付き合ってくれないかい?」
「えっ、あっ、は、はい」
食事が終わり、僕は自分の教室に戻っていた。山田は、また女子のところに行ったんだろう。
今は、僕と他の生徒が何人か残っているだけだ…。
そういえば2ヶ月前、父さんから手紙が送られてきたんだっけ。
僕は何度か読んだその手紙を、改めて読むことにした。僕が鞠絵に真実を打ち明ける元となった、この手紙を…。
「航へ…
元気でやっているか? 私も母さんも元気だ。鞠絵も変わりないか? お前のことだから、鞠絵の健康が第一と考えているんだろう…。もうすぐ、2月14日、お前の事故からもう5年になる。お前の事故の一報があったときは、正直愕然としたよ。すぐに帰ってやりたかった。しかし、外交官である私は、異国の地からお前のことを思ってやることしか出来なかった。すまない…、航。ところで、鞠絵も、14歳になるんだな。そろそろ本当のことを言っておく時期なんじゃないのかと、私は最近思うようになった。それで、お前に頼みがある。鞠絵に、本当のことを打ち明けてくれないだろうか? お前に頼むのは残酷なことなのは十分分かっている。しかし、お前の口から言ってやったほうが、鞠絵の心の傷は浅いと思った。お願いだ…。鞠絵に真実を教えてやってくれ」
僕は、手紙を読み終え鞄の中に仕舞うと、「ふぅ〜」と一呼吸ついた。鞠絵との思い出を振り返る。
鞠絵……。ずっと僕の妹だった。病気で苦しんでいるとき、僕は本当に辛かった。
少しでも、お前の病気を楽にさせてやりたい。そればかり思っていた。けど、鞠絵……。お前は、自分の力で病気を克服できたんだ。僕の力なんかじゃない。
だから、鞠絵…、お前は僕なんかより、ずっと強い心をもっているはずだ。だから…、今日、打ち明けることにするよ…。僕はそう思った。
午後の授業も終わり、下校時刻になった。僕は、鞠絵を待っている。時計を見る。時計の針は、4時を指していた。
「もうそろそろかな……」
僕はそう呟いた。ふと、顔を見上げる。向こうの方から、手を振って歩いてくる女の子がいた。鞠絵だ。
「兄上様ぁ〜」
鞠絵は、ゆっくりと、しかし、確かな足取りで、僕の方にやってきた。
「さあ、帰ろうか…。鞠絵」
「はい、兄上様」
僕はそれだけ言うと、車椅子を漕ぎ出した。これから僕の戦いが始まる…。僕は、心の中でそう思った。
帰る途中で、鞠絵が何度か話し掛けてきた。だけど僕には全然聞こえなかった。僕はずっと考えていた。
ずっと胸の奥にしまってきたことを…、打ち明けるべきか…。僕の足が動かなくなった…、今日。
僕はずっと考えた。だけど、答えが出なかった。
「兄上様? 何かあったのですか? もしかして、わたくしが、何か………」
僕は、淡々と車椅子を漕いでいく。不審に思ったのか、鞠絵がぽつりと一言、呟いた。僕は車椅子を止めた。
僕たちは、小高い丘に来ていた。ここから家まではもうすぐだ。言おう。僕はそう思い鞠絵の顔を見た。
鞠絵の瞳には、うっすらと光るものがあった。僕のことを心配してくれる…、優しい妹…。
物心ついたときには、僕がいて、僕と一緒に遊んで…、僕と一緒に笑って…、僕と一緒に泣いて…、……。やっぱり…、やっぱり僕には言えない。僕はそう思った。
父さん、やっぱり、僕には言えないよ……。僕と鞠絵……、僕と鞠絵は兄と妹、それでいいじゃないか…。普通の兄と妹で……、それでいいじゃないか…。
「兄上様…。ずっと、自分だけで悩んでいたのですね? わたくしが父上様、母上様の本当の子供ではない…。そして…、兄上様の…、本当の妹ではないと言うことを…」
「まっ、鞠絵…。どうしてそれを?」
僕は驚いた。鞠絵が知ってたなんて…。
「つい1ヶ月前、兄上様のお部屋を掃除しているときでした。わたくし…、わたくし…。そのときは驚きとショックで…」
「……」
「でも…、でも…、わたくし思いました。わたくしは本当の妹ではないのに、本当の妹のように…。いいえ、それ以上に思ってくださる兄上様のお心が…。わたくしは、嬉しかった…。わたくしが病気の時には病院にまで来てくださって、わたくしがわがままを言ったときは優しく聞いてくださって…。そして、わたくしのために足を…。うっ、ううう」
鞠絵の瞳から、すうっと一滴、涙が流れた。
鞠絵は、眼鏡を外して拭こうとした。だけど、溢れ出す涙は抑えることが出来なかった。僕は、鞠絵の傍に寄り添い、ハンカチを出してこう言う…。
「鞠絵…。僕はね…、僕はどんな時でも本当の妹のようにお前を見ているよ。お前がもし、すべての人から見捨てられても僕は、僕だけは、お前を見捨てない。全世界の人を敵に回してでも、僕はお前を、鞠絵を守って見せる…。それに、足のことはもういいんだ…。一生このままでも、僕はいい…。もっと重要なものを僕は…、見つけたから…。鞠絵。5年前にも言ったかもしれないけど…、お前の悲しむ顔だけは見たくないよ…。さあ、涙を拭いて…。笑っておくれ。ねっ、鞠絵」
「兄…上様…。あにうえさまぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
鞠絵は、僕の体にしがみついて泣いた。僕は、何も言わなかった。ただ、優しく鞠絵の背中を撫でてやった。
「鞠絵、そろそろ帰ろうか……」
何時間そうしていたんだろう…。正確には何分間しか経っていないが、僕には長い時間に感じられた。鞠絵も落ち着き、僕はそう言う。もう陽は沈んで、寒い冬の空には星が瞬いていた。
「ぐすっ。あっ、はい、兄上様」
「うん、それじゃ、行こうか」
「あっ、まっ、待ってください。兄上様。わたくしが車椅子、押してあげますわ」
「えっ、いいよ。自分で出来るから……」
「いいえ、これは、わたくしからの日頃の感謝のお返しです…。さあ、兄上様参りましょう」
「えっ、あっ、う、うん」
鞠絵は僕の車椅子を押しだした。ゆっくりと、ゆっくりと…。と、突然、鞠絵が……、
「兄上様、今日はバレンタインですね…。年に一度だけ告げられる想いを込めて…、わたくしの気持ちです」
チュッ。
僕の頬に柔らかい感触があたった。鞠絵を見る。鞠絵は恥ずかしそうに頬を染めながら僕を見ていた。
兄妹の絆、それは血のつながりなんかは関係ない。
その人のことをどれだけ思うことが出来るかだと、僕は思う。空は澄み切った冬の星空だった。
僕たちは、永遠に続く兄妹の絆を確かめ合いながら、家路に着こうとしていた…。
FIN