親愛なる兄上様へ…。
 寒い日が続いております。わたくしのいるゆりの園病院にも、この間初雪が降りました。
 その日はわたくし、ちょっと気分が優れないのでお部屋にいたのですけれど、お外の方から子供たちの元気な声が聞こえていました。
 その声を聞いていると、わたくしも早く元気にならなくっちゃって…、そう思います…。
 まだまだ寒い日が続きます。兄上様もお体にはお気をつけて…。
                                      鞠絵……。


大晦日


 今日30日は僕の会社の仕事納めだ。明日は大晦日…。今年一年の最後の日。でも、独り身の僕には一日がまたすぎていくようなそんな感じだ。まあ、両親が生きていた頃は、それなりにお正月気分と言うものを味わっていたんだけど…。
 僕の両親は6年前に事故で他界した。僕が18歳になった頃だ。あれから6年が経った…。早いものだ…。そう思いながら、今日も家路を急いでいる。
 そんな僕にも妹がいる。妹の名前は鞠絵…。今年で17になる。普通なら恋もおしゃれもしたい年頃だろう。でも、鞠絵は生まれつき体が弱いので、遠くの高原にある病院に一人療養している。そんな鞠絵を思うと、僕はいつもすまないという気持ちでいっぱいになる。
 この間、クリスマスに鞠絵から小包が届いていた。小包の中には温かそうなマフラーと手袋が入っていた。毛糸代も馬鹿にならないこのご時世だ…。僕はそんな妹にいつも“すまない”と言う気持ちでいっぱいになる。…そう言えば手紙も一緒に入っていたんだっけ…。
 家に着くと鞠絵から貰ったマフラーを洋服のハンガーにそっとかける。丁寧に編み込まれたマフラー。鞠絵の気持ちがぎゅっと入ったマフラー。眺めると一生懸命編んでいる妹の姿が目に浮かんでくる。一人微笑むと僕は手紙を探した…。
 手紙を見つけて広げた。綺麗な妹の字が書かれてある。目を通すと何だか無性に会いたくなった。今は夜10時過ぎ…。今から出て行けば明日の朝ぐらいには妹のいる病院に着くだろうか…。そう思うと居ても立ってもいられなくなった。
 適当に着替えやその他諸々を用意する。アパートの大家さんのところに出向き、事情を話した。正月に友達を呼んで楽しもうと言ったのは僕だ。今さら悪いとは思ったけど、どうしても妹に会いたいと思った。
 携帯電話は元来機械音痴であるため生憎持ってはいなかった。だから大屋さんに、お詫びの言伝をすることにする。
 みんなも僕には体の弱い妹がいることは知っている。だからそんなに心配はしていない。まあ、みんなのことだ…。
“航も早く妹さん離れしないといけないぜっ?”
 って、笑って許してくれると思う……。
「気を付けて行っておいで…。留守のことは、あたしからしっかり言っておくから…」
 にこにこしながら大家さんはそう言ってくれた。そして……、
「あっ、そうそう…。これね、うちの実家から送ってきたもんなんだけど、よかったら向こうで食べて?…」
 そう言って大家さんは一旦奥に消えると袋を持って出て来る。僕にそれを手渡すとにこにこ微笑んでいた。中を見ると、手打ちなんだろう蕎麦と饅頭やらお菓子やらがいっぱい入っていた。僕は言う。
「わ、悪いです…。こんなの……」
「何言ってんの。うちの子供とかよく面倒見てもらってるじゃない。ううん、うちの子供だけじゃない。このアパートの子供の面倒とか…。近所じゃ有名よ? あんな人徳者はいないって…。…それはお礼。まあ、こんなお礼じゃお礼の意味もないけどね…、あはは」
 そう言うとあははと笑う大屋さん。屈託なく笑う大屋さんに丁寧に御礼を言って、鞠絵の待つ療養所へと出掛けた。近くのバス停から最終のバスに乗り込み、駅へと向かった。


 やがて、駅の近くの停留所にバスは止まる。幸い降りる人は意外に多かったためボタンは押さずに済んだ。とぼとぼと駅の方に向かう。吐く息が白い。よほど冷え込んでいるんだろう。鞠絵のところは雪が降ってるんだろうな…。そう思った。駅の方に着く頃には午前0時を過ぎていた。
「もう…、大晦日なんだ……」
 独り言を呟くと切符売り場へ向かう。夕方、あんなに賑やかだった駅のホームは今は閑散としていた。ただ僕の歩く靴音だけが駅のホームに響いている。乗車券(指定席)を改札口で買った。駅員さんに切符を切ってもらって階段を下りると、乗る電車がきていた。
 時計を見ると、あと2分少々で発車だ。
“この電車じゃないか!”
 そう思い慌てて乗車すると扉が閉まった。どうやら間に合ったようだ…。ほっ、と息をつく。夜行列車なので、お客はそうはいないだろうと思っていたが、スキーシーズンということもあり、列車の中は人で溢れ返っていた。購入していた指定席の場所を探した。
 271…、271…と、あった。荷物を荷台に置くと椅子に腰掛ける。終点が僕の目指す駅なので、まあそんなに慌てることもない。ここにいるスキーヤーたちは終点の一駅前で降りるのだから…。
“これから6時間…。もう少しだよ。待ってておくれ…、鞠絵…”
 妹の笑顔を思い出しながら、窓に流れる夜の町の風景をぼんやりと眺める。夜の町…。ふと見ると古びた小さい神社があった。今日は閑散としているが、きっと明日は人がどっと集まるんだろう…。
 列車はその神社を通り過ぎる。列車からその神社を見て、いつか鞠絵が元気になったら一緒に行ってみたいな…、そう思った。
 時間は午前2時…。あたりはしんと静まり返っていた。お客は今日に備えてみんな眠っている。…僕もしばらく寝よう。そう思ってちょうど通りかかった車掌さんに、終点に近くなったら起こしてくれるよう頼んで、仮眠を取る。
 列車の揺れ具合が心地いい。まるでハンモックで眠っているかのようだった。列車内は、暖房がきいているから暖かい。10分もすると夢の中だった……。


「もしもし…、お客様。もうそろそろ終点ですよ?」
 体を揺さぶられて目を開けると車掌さんが、笑顔でこっちを見ていた。とりあえず、“ありがとう”と言って背筋を伸ばす。東の空のあたりは薄っすらと白みがかっていた。もうすぐ終点か…。と思ってあたりを見回す。
 いるのは僕一人だけだった。スキー客は前の駅でみんな降りたんだろう。そう思った…。閑散とした車内を見回す。なぜか寂しく思えた…。
 終着駅に列車が着く。列車を降りると、改札口へと向かう。無人の改札口には白い紙で、“切符入れ”と書かれた箱が置いてあった。僕はその箱に切符を入れる。また歩き出した。駅の外観が見える場所まで来ると振り返った。
「寂しい感じのする駅だな…」
 そう独り言を呟いて、バス停へと向かった。道すがらコンビニエンスストアに寄ってパンを買う。僕の朝ご飯と言うわけだ。ウインナーロールを頬張りながらバスが来るのを待った。待っている間、鞠絵のことを考える。いきなり言ったらびっくりするだろうな…。自然と笑みが零れた。
 やがてバスがやってくる。それに乗ると、いよいよ妹の待つゆりの園病院だ。ゆりの園病院は終点だ。だからじっくり周りを見て行こうと辺りを見回した。年の瀬の最後の日、新しく新年を迎える家々では慌しく掃除やおせち料理なんかを作っているんだろう。
 そう思いながら今年最後の日の朝の風景を見ていく。やがて目的地が見えてくる。終点だ。降り際に、“ありがとう”と運転手さんに言うと微笑み返してくれた。
 病院はそこから1km行った高原にある。緩やかな勾配の坂道を登っていく。辺りを見回してみる。辺りには一面白い雪が積もっていた。鞠絵の手紙どおりだ…。僕はそう思った。都会じゃ絶対に見られない風景…。自然が手付かずのまま残っている。
 白い息を吐きながらゆっくりゆっくり雪の感触を確かめて上っていく。遥か向こうの方に薄っすら建物が見えてくるのが分かった。歩を進める。
 歩いていくとだんだんと建物の輪郭が見えてくる。やがて、はっきりと病院だと分かる位置…、玄関にたどり着いた。朝早いので、呼び鈴を鳴らしインターホン越しに話す。
「すみません、今朝ご連絡した海神なんですが…」
 ちょうど、鞠絵の担当看護士の柚本さんがインターホン越しに出てくる。実は今日、駅に着いた時に病院の方に連絡をとっておいた。もちろんそれは鞠絵には内緒だ。
「あっ! 鞠絵ちゃんのお兄さんね…。ちょっと待ってて…。今、開けに行くから…」
 インターホンが切れる。1分少々待っていると扉が開いた。柚本さんが出てくる。
「いつも妹がお世話になってます…」
「いえいえ。こちらこそ…。鞠絵ちゃんにはいつも小さい子の面倒なんかを見てもらってるんですよ? こちらは大助かりですよ……」
 柚本さんと雑談をしながら鞠絵の部屋へと向かった。この病院は長期療養型病院の先駆と言われる病院で、施設的には国内の、どの長期療養型病院にはない機能を持っている。それが図書館だ。本好きな鞠絵にはちょうどいい環境だと僕は思った。
 でも本当は、こんな図書館より町の大きな図書館に連れて行ってやりたい…。ここへ来る度に僕はいつもそう思う。やがて、鞠絵の部屋の前で足が止まる。柚本さんが微笑みながら扉を開けた。
「鞠絵ちゃん、おはよう」
「あっ、おはようございます。柚本さん…」
 鞠絵の声だ…。1ヶ月に一回は来ているので別段変わった所はないんだけど、僕にはその声が懐かしく感じられた。僕は病室の前に佇む。ちょうど検温の時間だったらしく、柚本さんに“お兄さん、恥ずかしいでしょ?”と言われた。僕の顔が真っ赤になる。
「うふふっ。ちょっと待っててね」
 そう言うと柚本さんは鞠絵のところに行ってしまった。しばらくして……、
「さあ、どうぞ。あっ、そうそう、鞠絵ちゃんにはこのことは内緒にしてあるから…」
 柚本さんが出てくる。ひそひそとそんなことを言うと、ウインクをして柚本さんはナースステーションに戻っていった。代わりに僕が部屋の中に入る。鞠絵は三つ編みを編んでいるところだったのか、僕には全く気付いていない。“わっ!”と、驚かすのは可哀想なので目隠しをすることにしよう。
 ゆっくりゆっくり近づいて、そ〜っと目隠しをする。鞠絵は…、
「あっ、ひばりちゃんでしょ? うふふっ…」
 そういって編んでいた髪の毛を動かすのを止め、こちらに振り向く。
「残念でした…。僕だよ。鞠絵……」
「えっ? あっ、兄上様?……」
 目をぱちぱちさせながら、僕の顔を見つめる鞠絵。そんな鞠絵の顔をいとおしく思えた。
「兄上様…、来てくださったのですね? こんな、こんなわたくしのために……」
「ああ……。でも、毎年のことだろう? ということで今日から4日間お世話になるよ…。よろしく……」
「は、はいっ!!」
 鞠絵の顔を見ると、天使のように可愛く微笑んでいた。僕は、その顔を見ると何だか胸が痛んだ。一ヶ月に一回しか会えないと言う寂しさ…、その寂しさを押し殺して微笑んでいる妹の姿。心の中でそっと…、
“ごめんね…。鞠絵…”
 そう謝った……。


 昼間は、お話をしたり、鞠絵のお友達のひばりちゃんも交えてカルタなどをして遊んだ。外に出ようと言う話にもなったが、ドクターストップをかけられて、出られなかった。鞠絵を見ると少し残念そうな顔をしていた。
「また、暖かくなったら、出かけようよ? ねっ? 鞠絵…」
「はい…。でも、兄上様とお散歩したかったです…。ちょっとだけ…、残念です…」
 外を見ると、またちょうど降りだしたんだろう雪が、ちらほらと舞っていた…。これじゃあ、体の弱い妹は一気に体調を崩してしまう…。僕はそう言った主治医の先生に感謝した。鞠絵はまだ残念そうに、恨めしく降る雪を眺めている……。そんな鞠絵に僕はあることを思い立つ。
「ねえ、鞠絵。今日は大晦日だよね? だからさ…」
 そう言って袋から大屋さんに貰った蕎麦を出して鞠絵の手元にそれを見せる。
「これ、食べない? 年越し蕎麦……。夜食にさ…」
「えっ? あっ、はい……」
 鞠絵を見るとちょっと驚いた顔でこちらを見ていた。


 晩御飯も終わり、お風呂も頂いた。暖房の利いた部屋で鞠絵やお友達のひばりちゃん、それに柚本さんとおしゃべりしている。時間は10時も過ぎた頃、いつもならそろそろ就寝時間なのだそうだが、今日に限ってはそんなことはなかった。
 鞠絵やひばりちゃん、それに柚本さんに手伝ってもらって、年越しそばを用意する。柚本さんの実家は関西なんだそうだ。だからだしは鞠絵とひばりちゃんのたっての希望で関西風にした。それはそうだろう。いつも関東風の蕎麦を食べている僕たちには何だか新鮮に思えた。
「さあ、どうぞ…。だしは薄そうに見えるけど、しっかり味はついてるからね? 意外と濃いと思うよ?」
 食べてみると、柚本さんの言った通りだった。
「あっ、ほんとだ…。おいしいよ? ねえ、鞠絵ちゃん?」
「ええ、そうですね…。とってもおいしいです。ねっ? 兄上様…」
「ああ…。そうだね…」
 ずずずっと蕎麦を食べている4人。こうやって食べていると昔を思い出して…、父さんや母さんが生きていた頃、鞠絵がまだ元気だった頃を思い出して……。思わず涙が零れ落ちた。気付かれないようにそっと涙を拭く。鞠絵はそんな僕の顔を優しく見つめていた。
 蕎麦も食べ終わり後片付けも終わって柚本さんとひばりちゃんは自分の部屋へと戻っていた。部屋には僕と鞠絵…。ただ二人……。
 ゴーン、と遠くの方で除夜の鐘が聞こえる。深々と降る雪と僕たち兄妹…。と、鞠絵が僕の手をぎゅっと握る。そして、
「来年…、来年こそ元気になって、兄上様の御許へ…戻りたいです…。兄上様の……御許へ……」
「……ああ……、そうだね……」
 12時までにはまだ余裕がある、そんな時間…。僕たちはただ静かに、除夜の鐘に耳を傾ける。雪が深々と降り続ける、今日12月31日だった……。

END