深山の一夜


「何でこんなことになっちまったんだ?」
 と、俺の体にえらく形のいいモノを押し付けてむにゅむにゅ寝言を言っている妹を横にそう呟く。今日8月22日は柔道黒帯の妹、鈴夏の誕生日。妹の誕生日にはまあ毎年のことながらどこか連れて行ってやっているのが俺のまあ日課? となっているわけだが、今年もその日課と言うしがらみにとらわれることとなってしまった。幼馴染みで彼女な七海も今年は何か用事があるとかで付き合ってくれず、俺1人いつも何か気に食わないことがあると投げ飛ばしてくる粗暴な柔道家の妹ととある山のキャンプ場? と言うか普通に山だろ? と言うところでこうやって俺を抱き枕代わりにして眠っている妹の顔をはぁ〜っと息をつきながら見遣っているわけで…。
 いわゆる山籠もりって言うやつなんだろうが、俺は山籠もり云々より鈴夏と一緒にいることのほうが恐怖の何者でもないのだ。まあ形のいい大きなモノをぐいぐい押しつけられていると言うのはいいことなのかも知れんが、それにしたってこの掘っ立て小屋みたいなところで蚊や虻や蠅なんかがわんわん舞っているところで寝られるわけもなく。と、月明かりに照らされた妹の顔を見ると、気持ち良さそうに眠ってるし。定番の“額に肉” でも書いてやろうか? とも考えたが、そうなると明日の俺の命の保証がないので止めることにした。
 しかし、兄の贔屓目からしても顔も結構可愛いし性格もいい、おまけにこのグラマーな体なのだから彼氏の一人でもいそうなものなのに、殊に妹には浮いた話が1つもないって言うのが不思議な話って言うか…。まあこいつは妙に子供っぽいところがあるからそのせいかも知れんな…。この1週間前の旅行の計画のときもそうだったっけか?
 むせ返るような暑い日の15日。終戦記念日と言うことでうちでは親父の教えかどうかはもう忘れたが、12時には必ず黙祷を捧げる。それを小学校につく前からやらされてきた俺たちに、幼馴染みの七海とおばさんもいつの間にか加わって黙祷するようになった。で、今年も黙祷を捧げていつも通りの昼下がりの潮風を受けながら部屋で寝そべっていると、バンッと部屋の扉が勢いよく開けられる。まあこんなことをするのは親父か妹くらいなものだろう。そう思って別に気にする訳でもなく放っておく。取るものがあったら勝手に取っていくし、何かあったら起こしてくるに違いない。と思いつつ、昨日の夜中にやっていたアイドルの番組のことを思い出しては1人にやにやしていると、案の定ゆさゆさと体を揺すってくる。“お兄ちゃん、お兄ちゃん、起きてってば〜” なんて可愛い声も聞こえてくる。少しイタズラ心が沸く。ちょっと寝たふりでもし続けようかとも思ったが、ここで起きないと妹の場合、柔道技を仕掛けてくるのですんなり起きることにした。まあいい加減学習能力がついたと言うかなんだが、この前の登校日の朝、なかなか起きない俺に業を煮やしたのか、怒った妹に一本背負いで今までの最長となる10メートルくらい投げられて危うく宇宙の心理を理解したような感じになった。そんなことがあって以来、妹の声が聞こえてくると目が覚めてしまう。それだけ俺の体に恐怖と言うものが染みついたんだろうな? そんなことを考えていると妹がこんなことを言ってくる。
「お兄ちゃん、ちょっとお願いがあるんだけど…、聞いてくれる?」
 上目遣いに俺の顔を見遣る顔は他の男からしてみると可愛いのかも知れんが、妹贔屓をしてもこの顔にはあまりいい思い出はない。と言うか悪い思い出しかないような気がする。かと言って邪険に扱うととんでもなく怖いから聞いてやるだけ聞いてやることにした。曰く、“山籠もりをするからお兄ちゃんも付き合ってほしい” と言うことだそうだ。って? な、なぬっ? や、山籠もり〜? 驚いた顔をする俺に妹は別段困った顔をする訳でもなく、“だってお父さんとは毎年やってる行事だもん” とさも平然とした表情で言ってくる。親父…、あんた何者だ? とは思ったがこれはまた別の話なので、ここでは割愛。
「で? 何で今年は親父じゃなくて俺なんだ?」
 と本来問いたかった質問へと移ると、ちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめて妹はこう言う。“だって今年はお父さん、用事があって行けないからお兄ちゃんに頼めって言ってるし…。あたしもお兄ちゃんと2人っきりで一度旅行とかに行ってみたいなぁ〜って思ってたし…” とこう言いながら赤らめた頬を更に赤らめつつそんなことを言う妹。山籠もりを旅行と言い張りますか? 鈴夏さんは…。と聞きたいことは山ほどあるが、まあ百歩譲って旅行としよう。うん。でも何で俺なんだ? 他に気の合った同級生の柔道部員なんてざらにいるだろう? と聞いてみるところが急に何やら雲行きが怪しくなってきた。途端に泣きべそをかきながらこう言う。
「だって…、だって仕方ないじゃない。お友達は全員彼氏持ちだし…。お兄ちゃんだけなの。こんなこと頼めるのは…。それにあたしだけだよ? 未だに彼氏のかの字も持ってないのって。何でなのかなぁ〜? お兄ちゃん、知らない?」
 “そりゃお前がいっつも怒って俺をところ構わず投げ飛ばすからだ〜っ!!” とは言いたいがまたそれに怒って投げられるか、それとは逆にいつぞやかのときのように泣かれてしまう。まあ怒って投げ飛ばすことは俺の家では極々日常茶飯事なものだからいいとして、泣かれると言うことのほうが怖い。と言うかこの5月の佐倉の誕生日前のある夜にも泣かれて往生したのでそれだけは避けたいと思い、一応OKの返事をしておいた。その時の妹の顔ときたら…、まさにとびっきりの笑顔と言うのはこの顔のためにあるんじゃないだろうかと言うくらいな笑顔だったことは言うまでもない。


 で、現在に至る。まあたかが山籠もりだと思ったらこんな深山幽谷のところまで来てしまったわけで。GPSも何も役に立たねぇし…。おまけに一歩踏み外せばあの世へ即逝きそうな崖やらを命綱なしで登らされたりして、まるで仙人にでもなったような感じだ。まあ食料は備え付けの氷室と言うか涼しい場所に山ほど用意してあるし、川の水は冷たいが一応は体も洗えるしな? それも経験済みなわけだが…。しかし親父と2人でこんな山奥の掘っ立て小屋みたいな家で修業していたとは思いもよらなかったと言うのが本音と言うところか…。それだけ強くなりたいと思う気持ちが強いんだろうな? でも何でこうも妹は強くなりたがっているんだ? とは思うが、まあそこのところは妹にしか分からないわけだから、聞いても、“内緒!” だの、“女の子には秘密がいっぱいあるんだよ〜?” だのとはぐらかされて終わりになってしまうだろう。まあそれはそれでいいものかもな? と熊除けの音楽プレーヤーのボリュームも最大にしながらひーこら言って登ってきた崖や谷なんかを見つつ美味い空気を胸いっぱい吸い込む今日8月22日、俺の妹・鈴夏の誕生日だ…。

END

おまけ

 次の日の朝、夜も明けきらない暗闇の中で俺をゆさゆさ揺り起こしている誰か。この場合誰かと言うのは少し滑稽なように思えてくる訳だが、起きる。眠い目をごしごしこすりながら見遣るとやっぱりそこには妹がいるわけだ。“何だ? 何かあったのか?” と武器になるであろうそこら辺に置いてあった木の棒を拾い身構える俺に、うふふと笑うと妹がこう言う。
「そんなのじゃないよ? お兄ちゃん。こっち来て…」
 と俺の体をぐいぐい引っ張っていく。目覚めたばかりなのと、昨夜はろくに寝ていないのとで力が入らない。引きずられるかのようについていく俺の目の前に飛び込んできた光景と言うのは、それは見たこともないような雲海とその向こうに輝く朝日だったことは言うまでもなく。そうか、この雄大な光景を見せたくて今まで俺を誘ってたのか…。独り言のように呟くと隣りでうん! と笑顔の妹がいるわけだ。
「お父さんとは何回も見てるんだけど、お兄ちゃんとは見てないから今年は無理言ってお父さんとお兄ちゃんと入れ替えてもらっちゃったんだけど…。七海お姉ちゃんにも無理言っちゃったから後で何かお土産買って帰らないとね? えへへっ」
 正直死ぬ思いまでしてきてこれだけか? とは思ったがこの雄大な光景を見ればそんなことは言えない。と言うか逆に感謝したい気持ちになってくる。朝日はだんだん昇ってくる。空は白んできて見える星は明けの明星くらいしか見えなくなってきている。じゃあちゃっちゃと腹ごしらえして修業するか? と聞くと、うん! と大きく頷く妹。正直これ以上強くならないでほしいとは思うが、まあ元気さだけが取り柄な妹だからか、そんなことも言えなくなるわけで…。そんなこんなで今日も一日無事に済みますようにと元旦の御来光ではないが朝日に向かいお願いをする昨日の鈴夏の誕生日から一夜明けた朝だ。

TRUE END