虫歯と歯医者と誕生日


「うわぁぁぁ〜ん、いやだよ〜。お兄ちゃんも付き添っててよ〜。ぐよぐよぐよ〜」
「お前なぁ〜。…もう分かった。、分かったから! 付き添っててやるから、こんなところで泣くんじゃねーっ!!」
 今日4月23日は俺の幼馴染みで俺の家に居候中の一応彼女な早坂日和の誕生日なわけで…。でも今回、日和は痛い目をしなくちゃいけない。と言うのも…、そう! 虫歯…。“歯が痛いよ〜っ” と言ったのは昨日のこと。口を開けさせて口の中を観察してみると、右の奥歯にがっぽり穴が開いているのを発見した。持っていた楊枝で突いてみると…。
「ひゃ! は、はひふふほほ〜(きゃ! な、何するのよ〜)」
 と涙目になりながら、いつものぽんこつな声でそう言ってくる。一緒に見ていた雪希が“お兄ちゃん!!” と少し怒った声で俺の顔を睨んでいた。可愛いやつにはイジワルしてしまうと言うのは男の性。突くと涙目でこっちを睨んでくる日和の顔はすごく可愛い。が雪希を怒らせると非常に厄介なので、ここは素直に手を引いた。
「がっぽり穴が開いちゃってる…。日和お姉ちゃん、もう歯医者さんに行ったほうがいいよ? これじゃ歯がなくなっちゃうよ?」
 と手鏡で日和の虫歯を見ていた雪希はこう言う。日和は歯医者が大の苦手だ。歯医者の前を通る時には必ずと言っていいほど早足になる。まあ誰も好き好んで歯医者なんぞに行くやつなんているはずもない。って! いたよ…。マイシスター。“歯は命だからね?” と言ってはばからない義妹は、毎日の歯磨きは怠らない。だからか…。昔、俺が虫歯になったときに嫌がる俺の手を引き、嬉しそうに歯医者に引っ張って行ってたっけ…。診察台から嬉しそうに俺の顔を見るマイシスターの異様に不気味な笑顔は忘れられん。
 雪希は相変わらず日和の虫歯を見ている。“ほう、ひいへほ〜。ふひは〜ん(もう、いいでしょ〜、雪希ちゃ〜ん)” と口を開けたまま言う日和に、“まだだめだよ〜。ちゃんと調べておかないと…って、あっ、ここにもある…” と言って前にも増してじっくり見る雪希。こうなった雪希は誰にも止められない。そう思った俺は日和の部屋から出た。何やら日和の悲鳴が聞こえたが無視だ。
 翌日、いつもの朝食は非常に味気ないものだった。うちは日和が食事係だからまあ、こう言うことは容易く理解できた。多分昨日の一件で怒ってるんだろう。そう思う。雪希は朝早くに部活で出かけていった。ぷぅ〜っと頬を膨らませてこっちを睨む日和。もちろん無言で…。でもこんなお子ちゃまに睨まれたって怖くも何ともない。逆にイジワルをしたくなっちまうくらいだ。そう思いこう言う俺。
「今日、雪希が予約取ってくるって言ってたぞ? あそこの歯医者は早くて丁寧で有名だから、ひょっとしたら今日治療することになるかもなぁ〜」
 もちろん、すべて口からでまかせだ。でも…、何となくだが本当になりそうな予感もする。俺の第六感がそう言っている。ましてやあのしっかり者の雪希だ。こう言うことには人一倍気がつく。さすがはマイシスター…。そう思ってうんうんと頷きながら前を見ると、俺の顔を睨む目はどこへやら、もう全泣き状態のぽんこつがいた。


 昼休み、雪希が俺の教室にやってきて、“お兄ちゃん、日和お姉ちゃんの予約取ってきたよ?” とまあ予想通りマイシスターは予約を取っていた。しかも今日の午後5時半? ははっ、はははははっ…。我ながらこうも予想が当たると怖くなる。にこにこ顔の雪希とは対照的な日和の真っ青な顔が印象的だった。で、今に至る。逃げようとする日和を必死で捕まえて、何やらかやらと言いくるめて、歯医者の前にやってきた。ここまでに要した時間。約2時間。ふぅ〜っと息を吐きつつ、歯医者の中へ入る俺たち。逃げ出さないようしっかりと日和の手を掴んで受付を済ませる。ちなみに日和は、“おしっこに行きたいよ〜” とか言っているが、嘘だろう。前にもこんなことを言って、逃げられたしな? あの時、俺がどれほど歯医者と受付のお姉さんに謝ったことか…。当の本人は、今治水を買ってきて自分で塗ってやがったか? しかも、“もう痛くないよ〜。るんらら〜” とかいつもにも増してぽんこつな声で言いやがって…。くそぅ!! 思い出しただけでも腹が立つ! とにかく今日は逃がさん! そう思って掴む手に力を込める俺。
「いやだよぉ〜。今治水でもつけておけば治るんだからぁ〜。だからもう帰ろうよぉ〜。うわぁぁぁ〜ん」
「だめだっ! こう言うものは一気に治しておかないとダメなんだぞ? それにもう受付も済ましたしな…。お前もこれで年貢の納め時だ。諦めて素直に治療しろっ!」
「うぅ〜。そんなこと言ったって怖いものは怖いんだよぉ〜。お兄ちゃんも虫歯になったらわたしの気持ちも分かるよぉ〜? むぅ〜」
「はいはい。俺が虫歯になってお前みたいに逃げ出そうとしたら言ってくれ…」
 ふぅ〜。まだ言ってやがるぜ……。握った手の横、ぷぅ〜っと頬を風船のように膨らましながら俺の顔を睨む日和。まあ、睨んだ顔もへっぽこなのはご愛嬌。とそこへ…、“早坂さ〜ん、早坂日和さ〜ん” と言う声が待合室に響く。さっきまでの不機嫌そうな顔はどこへやら、途端に表情が固まるぽんこつ。俺はむんずと手を掴んで診察室へ入る。
「こいつ、ものすごい怖がりなもんで…。付き添ってやっててもいいですか?」
 診察台の上に寝かされて、もうまな板の鯉状態になってる日和を横目に見ながら俺は先生に言う。“ああ、構わないよ…、って言うかいてくれたほうが助かるね?” とマスク越しに強張った日和の顔を見ながら言う先生。日和のほうを見れば、ちょっとほっとしたような顔になっていた。
「さて、診ていきましょうか…。って、早坂さん? 口を閉じたままでは診られませんよ?」
 そう言うと先生は猿轡のような機械を日和の口にはめようとする。何でも口を閉じさせないための機械なんだそうだ。が日和は口をへの字に噤んだままなかなか開けようとしない。最後の抵抗か……。はあ…とため息を一つ。“さっさと口を開けろっ!! 往生際が悪すぎるぞ?! お前!!” と怒鳴ってみるが効果なし…。こっちを非難の目で見つめながら、への字口をもっとへの字口に噤むぽんこつさん。こうなりゃ最終手段だっ! そう思い、鼻を摘まんでやる。どうだ? これなら息が出来ずに口を開けざるを得ないだろう。そう思っていると案の定苦しくなったのか“ぷはっ!” と口を開ける日和。つかさず先生が機械を口の中へ押し込んだ。
「はっは〜、この歯ですね? んんっ? 神経まで来てるなぁ〜。う〜ん、どうしましょうか…。……とりあえず麻酔して神経を抜きますか…。それで詰め物をして……」
 ナイスなタイミングだぜ。先生。と先生のほうを見る俺。親指を立てて、俺のほうを見ている。一方のぽんこつはと言うと…。実に恨みがましい目で俺の顔を睨みつけている。が、何度も言うようにこんなへっぽこ顔に睨まれても怖くもなんともない。奥歯のがっぽり穴の開いた歯を特殊な鏡で見た先生は迷わず小さな注射器を取り出すとこう言う。
「さてと、麻酔を打ちますね〜? ちょっとチクッとしますけど我慢してくださいね〜」
 そう言うと 患部の近くの歯茎に注射をする先生。もう逃げられない日和。最後に…、
「あ゛あ゛〜〜〜〜っ!!」
 と言う悲鳴にも似た声を上げる。いやいやと首を振ろうにも首は固定されているし、体は俺と歯科衛生士さん数人とで押さえているので身動きが取れず……。歯医者にこの世の終わりのような悲鳴が響き渡ったことは言うまでもなかった……。


「うううっ、ははひひへへふほ〜(うううっ、まだ痺れてるよ〜)」
「お前の往生際が悪すぎるからだっ! 全く…」
 戦は終わって、日和の歯は元通りに戻った。だが、日和は拗ねている。まああれだけやられたら当然かもしれない。が…、でもお前もいい年なんだからもう少し大人になったらどうだ? と思う。ついでにパンツももうちょっと色気のあるやつにしたらどうだ? とも思う…、って! これは今は関係ないか…。とにかく、拗ねるのもいい加減にしろと言いたい訳だが…。ぷぅ〜っとリスが頬袋にいっぱい食べ物を入れたときのような顔で、さらにこっちを涙目になりながら睨む幼馴染みのぽんこつさん。
「ほはんほうひひほんはひはひへひはほっへははひふはひはほ〜っ! ふ〜っ!!(お誕生日にこんな痛い目したのってわたしぐらいだよ〜っ! む〜っ!!)」
 まだ痺れが残ってるのか知らないが、こう言うと更に睨む目をきつくするぽんこつさん。でも俺に取っちゃあ全然怖かねーしな? むしろこんなやつだからイタズラしたくもなるわけだが…。今日は誕生日ということで我慢しておいてやろう…。それに膨れながらでも一応はついてきたしな? そう思ってこう言う俺。
「だぁ〜!! 分かった分かった!! じゃあ今度なんか好きなものでも何でも…。そうだなぁ〜。この間欲しがってたあの夏物の洋服、買ってやるから…。それで機嫌直せ。なっ?」
「ほ、ほんほ?(ほ、ほんと?)」
 そう言うと今までのぷぅ〜っとした顔がウソのようににっこり笑顔になる。はぁ〜。全くお気楽なやつめ…とは思うが、この笑顔には誰も勝てないだろう。そう思う。“でも洋服のほうはもう少し経ってからな?” と言うと、うん! と嬉しそうに頷いた。俺の小遣いのことも一応は考えてくれてるんだな? そう思った。一応プレゼントは前もって買ってあるので、家に帰ってから渡せばいい…。それに雪希と共同で買ったものだからな? こいつは喜んでくれるだろうか…。ふと思う。でもこいつのことだからきっと…、と言うか絶対…。
「ほひいはん? はひひはひはははっへふほ?(お兄ちゃん? なにニヤニヤ笑ってるの?)」
「んっ? はっ、バ、バカ!! 何でもねぇ〜っ!! それより急ぐぞ? 雪希が待ってるからな?」
 照れ隠しにおでこをぺちんと軽く叩く。途端に涙目になってこっちを上目遣いに睨むぽんこつさん。そしてドジでおっちょこちょいだけど可愛い俺の彼女。日和…、これからもよろしくな? 心の中でそう思う今日4月23日は我が家の可愛い居候・早坂日和の誕生日だ。

END