ウェイトレスに花束を
突然だけどバイトを始めた。何もお金に困ったとかじゃなくて、私自身もう少し変わりたいと思ったから。父と母の離婚で人を信じられなくなった私ではあったけど、転機はそう、2年前。とある高校生の男の子の家庭教師のアルバイトをやり始めたときからだ。そこも私と同じように複雑な家庭環境を持った家庭のようだった。ただ私と違う点が1つだけあった。それは家庭の温かみ…。私の家庭は恥ずかしながら母子家庭で家族は母と私だけだった。母は私を1人前にしようと寝る間も惜しんで働いている。それは感謝してもし足りないくらいだけど、でも小学校4年生くらいの多感な少女時代を離婚と言う最悪のシナリオな母からしてみると、それはある意味一種の私への罪滅ぼしだったんじゃないのかな? と思うわけで…。そう思う自分自身にもほとほと愛想は尽きていた。
だけど1年前。ある高校生の男の子…、いいえ、彼との出会いが私を大きく変えた。今こうして接客のバイトを始められたのもその彼のおかげだと思っている。彼は一見“我が道を行く” と言うタイプに見えるけど、実のところそれは一種の照れ隠しなんじゃないのかな…と思う。まあ彼の幼馴染みの女の子から言わせると、“イジワルなんだから〜” と言うことらしいけど…。
今日もバイトがある。私の下宿先のアパートからさほど遠くない場所にある商店街。その商店街のやや奥まったところにある喫茶店が私のバイト先だ。マスターは気さくな人で私はそこで接客、いわばウェイトレスをやっている。どういう経緯でここのバイトをし始めたのかについては、些か不思議な点があるのだけど、商店街に買い物に来ていて、何気なく八百屋の前の電柱に張り紙が貼られていて…。それが今働くようになった喫茶店と言うわけ。マスターは前述のとおり気さくでいい人だけど、あまりにいい人過ぎてこっちが拍子抜けするほど。この前などはお金がない中高生たちに100円均一でパフェとかを出していた。まあ私もそれで忙しく働いていたんだけど。マスター曰く“薄利多売だけどね、これが噂になってお客さんがどんどん入ってくることが後々の繁盛に繋がるんだよ” とのことだそうだ。まあこのことに関して言えばマスターの言っていることは正しいと思う。最近は値上げ値上げで私たち消費者の財布の紐も締められている。景気状況も悪いままなので、買い控えしたり昼食を抜く友達も多い。そんな中でのこの値段なのだからどっとお客はやってくる。まあほとんどが中高生・ちょうど彼の妹さんみたいな子ばかりだったけど…。
で今日もそのバイトがある。大学の講義を終えて友達との昼食もそこそこにバイト先までやってくる。マスターにいつものあいさつをして制服に着替えるため更衣室へと向かう。ここの制服はちょっと丈の長いロングのワンピースで、昔風に言うとメイドっぽい服になっている。マスター曰く、“僕の趣味” と言うことだそうだ。私もどちらかと言うと肌を露出するタイプより、こちらのロングの方がいいので気に入っている。それにしても今年の冬は寒い。母は今、母の実家で祖父と祖母の面倒を見ている。この間電話をかけたら実家の方は雪が50センチ積もったと言っていた。どおりで寒いわけだ…。とにかくさっさと着替えてしまおう。そう思って制服に着替える。着替え終わりカウスボタンを留めてエプロンをつけるとき、カランカランと表に備え付けられたカウベルが鳴った。お客が入って来たんだろう。そう思って今日も頑張ろうと表へ出ていくと…。
「今日が自分の誕生日だっていうこと、すっかり忘れてたんだろ? はぁ〜、参るよなぁ〜…」
今日1月14日は俺の元・家庭教師で彼女な冬佳の誕生日だ。だけど、本人はこの通りすっかり自分の誕生日を忘れてバイトに精を出しているわけで…。正月の初詣のときに約束していた高級なレストランの予約もすっぽかすくらいなんだからなぁ〜。と思って顔を見ると、申し訳なさそうに下を向いている。“別に怒ってるわけじゃないから顔は上げてくれ…” と言ってもなかなか上げず、目だけを俺のほうに向けている。その目もいかにもすまなそうに上目遣いで俺を見遣る程度なわけで…。ははは…。本当に参る。普段厳しい人がこう言うふうになると、そのギャップが激しすぎてどう対処すればいいのか分からん訳で。マスターは“冬佳ちゃんらしいや” と言って苦笑いを浮かべている。まあ他人に厳しく自分にはより厳しい冬佳のことだからこうなることは目に見えて明らかだったからな? レストランの予約はまた今度と言うことで、家を出る前に雪希にキャンセルをお願いしておいた。今頃は四苦八苦しながらキャンセルの電話をしていることだろう。冬佳に言えば絶対気にするだろうからな。そのことは言わないでおこう。それに頼んだのは俺なんだし。でも夜景の見えるいい場所を取っておいたんで残念と言えば残念だけど…。まあ今回は縁がなかったということで諦めよう。そう思って、片手に隠しておいた1月14日の誕生花・シンピジウムの花束を取り出して渡すと、もう片手はポケットに忍ばせる。まあ洒落たレストランで渡そうと思ってたんだがここでもいいだろう。そう思って、がさごそとポケットをまさぐるといい感じで出てきた。冬佳の手に乗せると少々はてな顔で見つめているものだからそれがおかしくてぷっと笑い出してしまう。
「健二君!! そんなに笑うなんて失礼よ?!」
ぷぅ〜っと頬を膨らませて俺の顔を見遣る冬佳。その顔にはもう俺の高校時代、家庭教師だったころのあの刺々しい感じはない、優しいお姉さんと言う感じだ。“取りあえずこれからもよろしくな? 冬佳…” そう言うと今までぷりぷり怒っていたのに急にしおらしくなって、こくんと首を縦に振る今日1月14日、俺の彼女でみんなのお姉さん的な存在の石川冬佳の21歳の誕生日だ。
END