雪希ちゃん、注射を嫌がる
「毎日歯磨き怠るからだよ? もう、日和お姉ちゃんは〜。ごほっ、ごほっ…」
義妹の少々怒ったような拗ねたような声が俺の隣りから聞こえている。この間、約2、3年ぶりに虫歯が見つかった日和は今日も歯医者に来て治療を受けているわけだが、歯科衛生士になった雪希にむぅ〜っと口を尖らせながら、“だ、だって…、だって怖いんだも〜ん…” とまるで子供のように言っているわけで。俺としてはそのへっぽこ具合がやけに楽しいわけなのだが…。まあ妹に怒られる姉というのも見ていてあまり気持ちのいいもんじゃないな? とも思うわけで。日和は年がら年中こんな性格だからかよく雪希に怒られてるよなぁ〜っと思う。しいて日和がお姉さんになれるときと言うと、食事のときか雪希が風邪を引いた時だなぁ〜っと思う。まあもっとも今は雪希は家を出て近くのアパートで独り暮らしをしているので、どう言う生活をしているのかは本人の自己申告がもっぱらなんだが…。まあ今日は誕生日なんだし、サプライズと言うことで後でアパートに押しかけてやろうと思いながら日和のいつも通りの泣き顔を見ている俺がいたわけだ。
そう言えば雪希が家を出て行って何年になるのか…と考えてみる。が、しょっちゅう家に来ているので、あまり離れたと言う感覚がないのも事実なわけだ。いわばちょっと遠い離れみたいな感覚なのだろう。そう思う。そうこうしているうちに日和の治療も終わる。痛そうに頬を擦りながら俺のほうをぐぐぐ〜っといつものへっぽこ顔で睨んでくる日和に、“何で俺が睨まれにゃならんのだ?” と思って睨み返してやるとぽんこつはしおしおと項垂れてしまった。相変わらずのへっぽこさ加減に思わずブッと吹き出してしまいそうになるがすんでのところで我慢した。もしこいつを怒らせてしまうと俺のその日から3日間くらいの食事が非常に味気ないものに変わってしまうので、これは俺の心の中に押しとどめて、歯磨き講習なんかを受けて一路帰宅の途につく。途中で日和先生にさっき考えたことを言うと、“あっ、それいいねぇ〜?” と実にノリノリな顔で言ってくる。泣いた顔がもう笑ったって言う言葉は実にこいつのためにあるんじゃねーのか? と思った次第だ。
「今日はすきやきにしよっか? お兄ちゃん」
歯医者からの帰りしな日和先生はそう言う。俺としても久しぶりに肉が食えるのと雪希の誕生日も相まって、2つ返事でOKした。歯医者代しかお金を用意していないのでそれを取りに一路家へと向かう俺たち。まあいっぺんに持っていっても良かったんだが、ぽんこつさんは何かと忘れっぽい。一度それで大失敗して家なき子状態? にされてしまったので、一度にお金は持って出ないことがうちの鉄則になっている。一応誕生日プレゼントは用意してある。この間(と言っても3日前になるのだが)雪希と日和と一緒に出掛けた際に内緒で雪希に似合いそうな服とスカートを買っておいたわけだ。で今、どんな風な誕生日にしようかなどと日和と話しながら帰っていると向こうのほうからぼ〜っとした顔の雪希が足取りもおぼつかない様子で帰ってくるではないか? 何かおかしいな? 直感的にそう思った俺は荷物を日和に渡して雪希のほうへと向かった。“あっ、お兄ちゃん” とびっくりしたような顔でそう言う雪希。日和も一端荷物を玄関先に置いてきたんだろうかすぐに駆けつける。雪希の顔を改めて見るとちょっと顔が赤い。歯医者ではマスクで顔を覆っていたから気がつかんかったが、これはもしかせんでも風邪だろう。そう思い、“なあ雪希。お前、風邪だろう?” と単刀直入に聞いてみる。と日和の目が急にキュピーンと輝いたことは言うまでもない。雪希は、“ち、違うよ〜。これは花粉症だよ〜” とか何とか言ってるが花粉の最盛期はもう済んだ頃だからやっぱり風邪か…。そういや最近は天候がおかしかったよなぁ〜。そう思いながらすっと雪希の額に手を当てて自分の額に手を当てながら比べてみた。熱かった。何と言うか本物の風邪と言うかそんな感じだ。“やっぱり熱いぞお前? 病院だ病院” と言うと、まるでどこぞのお嬢様か麻美先輩かのようにふるふるふると首を横に振る雪希。目を見るともう涙目だ。そう言えば昔から雪希は病院は苦手だったよな…って言うか注射か。その点日和は注射は平気だったっけか? などと考えていると、“もう! 雪希ちゃん。お兄ちゃんも心配してるんだから行かなきゃダメなんだよぉ〜っ!!” ぽんこつさんがそんなことを言いながらずるずる雪希を引っ張っていく。いつもとは逆の光景に思わずぷぷっと笑っちまったわけだが…。まあ最近はそうそう注射は打たんから安心しろ。と心の中で言ってやった。これが後で大失敗になるわけだが…。
ずるずると雪希の首根っこを引っ掴まえるように歩く日和。対する雪希はいやいやと首を横に大きく振っている。にしても頬が林檎のように赤い。やっぱり風邪を引いているからだろうからかなぁ〜? どうなんだろう…。とさっき考えていたこととは若干違うようなことを考えている俺。しかし…、雪希の嫌がる様なんて見たことがない俺にしてみればちょっとばかり興味が沸いたのも事実だ。そう思いつつ、いつも病気のときには厄介になってる病院に到着する。日和は雪希の手をがしっと繋いだまま椅子に座る。当然診察券を出すのは俺と言うことになる。出してくると雪希がこっちを恨めしそうに上目遣いに見遣っていた。何だかその光景で思い出した。昔もこうやって連れて来てたなぁ〜っと。懐かしいな…。そう思いつつ雪希を真ん中にして座った。看護士がやってきて、“お熱、測ってくださいね?” と体温計を手渡してきた。“さあ雪希ちゃん、お熱測ってねぇ〜?” 受け取った日和がそう言って体温計を雪希に手渡す。渋々と言った感じで雪希が脇に挟む。1分くらいしてピピピッと体温計が鳴る。取り出して見ている雪希の顔が明らかに変わった。日和が見て、“わわわっ、すごいお熱だよぉ〜?” と言って俺に手渡してくる。そんなに大したことはないだろうとタカをくくっていた俺も少し心配になって見てみる。38.1度。高いな? 雪希もいくら注射が怖いからってこんなに熱が高くなるまで我慢することはないだろうに…。とは思ったが昔から義妹はこんな感じだったよな? とも思い直し今回は注射は避けられないだろうなぁ〜っと考えていると、ついに、“片瀬様〜、片瀬雪希様〜” と言う呼び出しの声が…。まあ頑張ってくれ…、診察室へ向かう雪希と日和を見ながら俺はそう思った。にこにこ顔の日和とは対照的なまるで死刑になって執行台に向かってるような暗い顔の雪希が印象的だったことは言うまでもない。
「ううう〜っ、痛かったよぉ〜」
と帰り道、マイシスター・雪希は少々涙顔になりつつ、注射されたほうの腕を擦っている。結局、俺の予想通りマイシスターは注射を打たれてしまったわけだが、大の大人がそんな注射の1本ぐらいで涙目にならんでも…。と思う。もっとも俺自身もあまり注射は好きではないわけだが…。と言うよりこの世界で注射が好きなやつって言うのはまずいないだろう。そう思う。日和も注射は平気とは言ってるが予防接種を打つときとかはよく顔を背けてるしな? “でもお注射も打ってもらったし、お薬ももらったからもう大丈夫だよ?” と未だに腕を擦りながら雪希は言う。まあ薬は4日間出されているので4日間は安静にしておけと言うことなのだろう。ゆっくり休養を取っていればいいのだろうが、雪希の場合1日寝て治ったと無理をする癖があるからなぁ〜? どうするかな…。などと考えていると、日和が俺と同じようなことを考えていたのか、少々お姉さんぶって…と言うより実際1つ年上のお姉さんなわけだが、こう言う。“雪希ちゃんはしばらくけんちゃん家で安静にして寝てること!! 動いちゃダメなんだよぉ〜っ!!” ってな? いつもよりすごい剣幕で言っているのかどうかは知らんが、雪希はうんと首を縦に大きく振っている。“じゃあお粥さんを作らないとねぇ〜?” といつにも増してお姉さんぶってそんなことを言う日和。その言葉にこいつのほうが1つ年上だったな? と改めてそう思った。まあいつも雪希にいろいろリードされている日和のこういう仕草を見てみるとやけに滑稽に思える。歯医者には4日ほど休みを入れておくか…。誕生日会はま雪希の風邪が完璧に治ってからだな? ケーキはまた今度…、な? と真ん中の雪希を見つつ日和と目配せしあって帰る道、今日5月7日は俺の可愛い義妹・片瀬雪希の誕生日だ。
END