にわか雨の夏の夜に


 今日8月14日は私のお誕生日。今年は雪希ちゃんも陸上部の合宿でいないし、早坂先輩たちは何だか知らないけど旅行に行ってしまって先輩と二人っきりになってしまった。私には双子のお姉ちゃんがいる。とても優しくて性格もいい。お話も上手い。私はこの通り、引っ込み思案だし話をしても面白くない。昔はそんなことはなかったんだけど……。でも先輩は、そんな私でもいいと言ってくれる。子供の頃はちょっとおてんばだった私。でも先輩は大人しい人が好きだと言っていた。だから…。お姉ちゃんに黙って行った海。ファーストキスは何だか涙の味しかしなかったように思える。それはお姉ちゃんを裏切った後悔なのか、先輩を裏切った後悔なのか、それとも自分を裏切った後悔なのか…。今思い返すと全部なのかもしれないと思う。
 そんな私でも、今は正式に先輩の彼女となっている。もちろん、このことはお姉ちゃんも知っている。“もう、“むつき”じゃなくてもいいんだよ? さつきちゃん…” と、微笑むお姉ちゃんに“お姉ちゃんも本当は先輩のこと、好きだったんじゃないの?” と聞くこともある。すると…、優しい微笑みをもっと優しくしてお姉ちゃんはこう言う。
「もう、私は過去の人だから……。だからいいの。それより私はさつきちゃんの方が心配だよ…。だってさつきちゃん、いつも何か声がおどおどしてるんだもん…。もっと自信を持って? 彼だって今はさつきちゃんのことを好きになってくれているんでしょ? 何も怖がることはない…。頑張って?」
 そう言うとにっこり微笑むお姉ちゃん。でもその瞳の奥の色が何故か悲しく見えたのは私の気のせいだろうか…。私のお姉ちゃんは遠くの学校に行っている。帰って来られるのはほとんどお盆とお正月と春休みぐらいだ。でも向こうの学校は相当に厳しいらしく帰って来られても2、3日で帰らなければならない。今年は秋の体育祭の実行委員長に選ばれたらしくてその準備や、企画書の考案などで忙しいんだそうだ。だから今年は少し早めに帰ってきては私の悩みを聞いてくれる。一応双子ではあるものの、もともと落ち着いているお姉ちゃんはすごくお姉ちゃんらしい。私の昔とは大違いで大人しくて優しい、そんな性格だった。私はと言うとやんちゃでじっとしては置けない、明るい子だったように思う。先輩がそんなお姉ちゃんを好きになっちゃうのも分かってしまう。だから私もお姉ちゃんみたいになりたくて、大人しい性格に変わってしまった。今ではもとの明るかった性格がなくなってしまっている。それはやっぱりお姉ちゃんみたいになりたいと思う私の願望か、私の初恋だった先輩に嫌われたくないと言う私自身の切望か…。詳しいところはもう覚えていない。
 でも、私の心は揺れている。そう、先輩に初めて本当の名前で呼ばれた日から。嬉しいと言う気持ちとともにずっと先輩を騙してきた自分への悔悟…。そう言う気持ち。時間を遡ることが出来るならもう一度あの浜辺に戻りたいと思う。でもそれは出来ない。そう思うと、なぜか涙が溢れてきてしまう。鏡を見るとそこにはお姉ちゃんの皮を被った得体の知れない“モノ”が映し出されていた。その“モノ”はまるでお姉ちゃんのように大人しくていい子を演じている。その“モノ”はお姉ちゃんになろうとしている。本当は違うのに…。だから、今日でその“モノ”とは決別しようと思う。明るかった元の自分、その自分に戻るまで何年掛かるか分からない。でも自分は元の自分の、ありのままの自分を先輩に見て欲しいと思った。“進藤むつきの仮面をかぶった進藤さつき” なんかじゃなくて、“本当の進藤さつき” を…。


 ぽつ、ぽつ、と空から雫が落ちてくる。そういやところどころ小雨がぱらつくでしょうと出かける前に見た天気予報で言ってたっけか…。まあ夏は雨が降ってもすぐに乾いちまうからいいんだけどな? そう思い目的地へと向かう俺。そう、俺の彼女・進藤さつきちゃんとの待ち合わせ場所。昔の話だが、俺はある双子の姉妹と出会い、片方の子に恋をしてしまった。その子は大人しくてとても優しい子だ。何かのプレゼントを渡す用事があったのか渡されたのかそれはもう昔のことだから覚えていないけど、海岸に行くとその子が待っていた。話をして渡したのか渡されたのか定かではないけど、目を瞑っているところに温かな感触が唇を覆った。それが初キスであることを知ったのは顔を真っ赤にして俯く彼女を見てからだった。ドキドキした。心臓が飛び出るかのようなドキドキ感が俺を包んでいる。彼女の顔を見るとちょっと悲しそうに俺の顔を見遣っている。どうして? …そのときには気づかなかったが、その子は本当の俺の好きな子じゃなくて…。いいや、もうこんなことを考えるのはやめよう。どちらにせよ今の俺の彼女は“彼女” なのだから…。そう思い頭を小さくふるふると振った。また歩き出す。ちょうど待ち合わせ場所が見えてくる。紺色の浴衣に身を包みながら、恥ずかしそうにきょろきょろと辺りを見回している。ああ、間違いない。俺の彼女だ。そう思って声を掛ける。
「おーい、遅くなってごめ〜ん。さつきちゃーん」
 と…。恥ずかしそうな顔をもっと恥ずかしそうにしながら俯く彼女の仕草がなんとも可愛らしい。そう思いつつ近づいていく。やがて目の前、彼女の顔がある。俯き加減な彼女の仕草がなんとも可愛らしい。“待った?”、そう聞く俺に、“ま、待ってませんよ? 先輩…” と消え去りそうな声。ここで時間を潰してもしようがないので早速祭りの会場である神社へと続く道を歩く。と、突然むにっと肘に柔らかいものが押し付けられたような感覚を覚えて、横を見る。彼女が耳たぶまで真っ赤にしながら恥ずかしそうに俯いていた。
「い、いきなりこう言うことをするのは大胆ですか? で、でも私も女の子で、先輩の彼女ですから…。好きな人にはこう言うこともしてもいいのかな? って思ったんです」
 少々はにかみながらこんなことを言う俺の彼女。そう言う彼女に、“い、いいや…。いきなりだったから、その…、びっくりしたって言うのかな…。そんな感じかな? でも俺もこう言うのされるの恥ずかしいけど嫌いじゃないよ?” そう言う俺。後半部分は完全に思考が停止した脳で言ったので自分で言った言葉が思い出せない。だけど、そう言うと途端にほっとしたような顔になるさつきちゃん。よっぽど気を使ったんだろうな? そう思った。雪希や日和なんかとは幼馴染みと義妹と言う間柄だから何度かやってはいるが、こうして彼女と腕を組んで歩くなんてことはなかったから相当に緊張していたんだろう。そこからどう歩いたのか、何の話をしたのか、全く覚えていない。でも、唯一嬉しそうに微笑むさつきちゃんの顔は俺の脳裏に焼き付いてしまっていた。


 家へと帰る。未だに胸がドキドキ言っていた。ちょっと大胆すぎたかな? とは思うけど、これからはもっと“私”を出していこうと思う。そう思って左手の薬指を見る。きれいなガラスの入ったおもちゃの指輪。どうしてもとちょっと駄々をこねて買ってもらった先輩からのプレゼント。でも今日は先輩、驚いてたね…。と誰に言ったのか、自分に言ったのか、そんな言葉が出てくる。うふふっと微笑んで部屋の壁掛け時計を見ると今日が昨日に変わるそんな時間だった。そんな時間、8月14日も終わろうとしている今日は私の17歳のお誕生日…。

END