膨れ面のちにこにこ


「……」
 無言のまま俺を睨む目一対。今日8月3日は俺の彼女で先輩な神津麻美先輩の誕生日なわけで…。普段なら嬉しそうににっこり優しく微笑んでくれていそうなはずなのにぷぅ〜っと頬を膨らませて上目遣いに彼女は俺の顔を睨んでいた。と言うのも…、先輩のことを名前で呼ばずに、“先輩”と呼んでしまったためらしい。“らしい” と推量の助動詞がつくのは気がついたときにはもうこの状態だったためであり…。はあ。どうも昔の癖で“先輩” って呼んでしまうんだよなぁ〜。まあここに至るまでの発端はまた別にあるんだけどな?
 で今、不意に俺が“先輩” って呼んでしまったせいでご覧お通り先輩は拗ねてしまった。まあ元々の原因は俺にあるわけなのだが、それを棚に上げた上で先輩に言いたい。何で今日に限って“麻美” って呼ばなきゃいけないんだ? 今までは“先輩”でもよかったはずなのになぁ〜…と、先輩の顔を見れば…、溶けかけのソーダの上のアイスを突きながらも、上目遣いにうううっと睨んでるしなぁ〜…。出来れば先輩の家で飼ってる猫のみーちゃんと変わってほしいと思う訳だが…。
「なあ、悪かった。この通り謝るからそんなに睨まないでくれよ〜。先輩」
「健二さん、また私のことを“先輩”って言いました……。それにこの間のプールで進藤さんと仲良く遊んでました。私も誘ってほしかったのに…。むぅ〜」
 いっ? 言われた先から言ってたの? 俺…。で、誘ってほしかったんだ…。アレ…。そう自分の頬をぽりぽり掻きながらそう尋ねる。先輩は前よりもっと頬を膨らませてこくっと頷くと俺の顔を半分涙目になりながら見遣っている。まあ、こんなことを言うのはどうかとは思うが、拗ねた先輩はすごく可愛い。我が宿敵にして義妹の親友? の進藤や好敵手・清香が拗ねたところで全然可愛らしくはない、というよりむしろ恐ろしいんだが、こう言う普段大人しくて可愛らしい人の拗ねたような怒ったような顔は見ていて飽きが来ない。むしろもっと見てみたいような気がする。まあこれを言うとマイシスターも同じようなわけだけどな? でもこの状況はさすがにヤヴァイので、今、何とか謝ろうと必死な訳なんだが…。
 ぷいっ! とそっぽを向かれてしまう。こうなった先輩は厄介だ。この前プールにみんなで行ったわけだが、進藤が水着を新調したとかで勝手に一人ファッションショーを開いていた。まあそこまでは良かったんだ。うん。問題はその後だ。俺のところに寄ってきて、“どうですか? 先輩。素敵な水着でしょ? このビューティフルな水着を着こなせるのは私ぐらいしかいませんよね〜?” といかにもな表情でこう言ってくる。正直、進藤の水着なんざ見たところで大して興味もわかん! と言うか“先輩の目が食い入るように私の艶めかしいバディーに…” とか何とか言って一人悦に入ることは分かってるんだ。で、見なけりゃ見なけりゃで雪希と言う唯一の俺のウィークポイントを使って攻撃してきやがる。いっそのこと延髄チョップでもお見舞いしてやろうかとも考えたんだが、周囲の目も気になるし…、どっちにしろ俺にとって厄介なことこの上ないので適当に見てやることにした。
「なかなかいいんじゃねーのか? その水着」
 と普段なら絶対に言わないことを面倒くさそうに言ってやった。まあ皮肉って言うやつだ。ところがこの日に限って進藤は皮肉を皮肉と受け取らずに本当に嬉しそうに微笑んで、“じゃあ、先輩泳ぎましょうよ〜” と体を摺り寄せてくる。“俺には先輩がいるんだ〜っ” と思って麻美先輩の方を見ると、俺のことを知ってか知らずかニコッと微笑んで手を振ってくれていた。その顔を見つつまあちょっと遊ぶだけだし構わないよな? と思って先輩がいることも忘れて進藤と遊んだのが運のつき。
 帰りしな、やけに上目遣いに俺の顔を厳しそうな目で見つめてくる先輩が気にはなっていたのだが、まあ目が痛いんだろうと思ったのがそもそもの失敗だった。まあいわゆるヤキモチと言うやつだったんだが、そんな事とは露知らず…。その翌日、いつもの図書館で麻美先輩と勉強している時にも…、と言っても家庭教師のような感じで教えてもらっている訳ではあるんだが…。麻美先輩の顔を見ると何だか不機嫌そうにじ〜っと俺の顔を見ている。何だぁ〜っと思ってしばし塾考…。で、そこで昨日の帰りしなの先輩の顔を思い出しピーンときた。で、結局一日中不機嫌そうな目で見られて、その日の不機嫌そうな顔は現在に至る訳で…。
「健二さんが“麻美”って呼んでくれるまで、こうやってます。それから今度二人だけでプールに行きたいです。それからそれから水着も選んでほしいです。そうしてくれるまで健二さんを睨んでます…」
 そう言って膨れた頬をますます膨らませて俺の顔をじ〜っと睨む麻美先輩…、じゃなかった麻美。ついついいつもの癖で呼んじまう。この癖早く治さなきゃなぁ〜。なんて思って麻美を見ると、もうこれ以上は膨らまないんじゃないのかと言うくらいパンパンに頬を膨らませていた。
「分かった、分かったから!! 約束するから! だからそう睨まないでくれよ、なっ? あ、麻美…」
 そう言うと、今まで膨らませていた頬が一気に萎んでいつもの麻美に戻る。で、まるで今まで曇っていた空が晴れ渡るような感じの可愛い微笑みに変わっていた。こくんと首を縦に振ると俺に向かって、“早く行きましょう? 夏は待ってくれないから…” そう言うと手を伸ばしてくる。麻美にしては大胆だな? と思って顔を見れば完熟トマトのように真っ赤に染まっていた。ははは、その顔が何とも麻美らしいや。そう思い、
「じゃあ早速水着でも見に行くか…。麻美」
 そう言って麻美の手を取る俺。ちょっと恥ずかしそうに、でもしっかり握り返してくる。カランカランと店の前のベルが鳴った。


 健二さんと手を繋いで喫茶店を出る私。店を出るとむせ返るようなじっとりした暑さが私たちを覆った。“やっぱり暑いなぁ〜” こう言うと空を仰ぐ彼。私も一緒に空を仰ぎ見る。雲間から夏の太陽が顔を覗かせていた。一緒に手を繋いで歩く彼と私。歩く歩幅も私に合わせてくれる彼の心が嬉しい。
“今日はちょっと怒っちゃってごめんね? でも彼女は私なんだから私だけを見ていてほしいな…”
 そう思ってちらっと横を見ると、“ああ、分かったよ” って言うような顔で彼が私のほうを見つめていた。私もその顔を見てにっこり微笑む。夏の昼下がりは暑くて…。私の心も何だか熱くて…。彼の顔を見るたびに顔が真っ赤になっちゃう今日、8月3日は私の19歳の誕生日。

END