晴子、酒を断つ?


「ウチは今日から酒を断つ!!」
 いつもの保育園から帰ってきて玄関を開け放った早々、家主でありまた俺の彼女・観鈴の母親でもある晴子はそう言う。一瞬ほへっとアホな顔になる俺と観鈴。まさかあの晴子が酒断ち宣言? をするなんて、俄かには信じられなかった。“どうしたの? お母さん。どこか頭でも打ったの?” と心配して駆け寄ってくる観鈴に向かい、“頭なんて打ってへんし、いたって普通や” と観鈴の額にデコピンをかまして、ふい〜っと上着を脱ぐ晴子。昨日までは確かにわいのわいのといつも通り飲んでいたんだ。だったら何でだ〜? と思い返しはっと気づいた。そうこの1週間前の月曜日に聖のところで健康診断をしたんだっけか。まあ俺や観鈴が何ともなく健康体だった。特に俺に至っては“何とかは風邪ひかないとは言うが君の場合はその上を行くんじゃないのか?” と聖にこの上ない嫌味を言われて正直腹が立ったわけだが…。まあ何ともないことだけでも分かったので良しとしておいた。観鈴も件の呪いと言うかそう言うものは過去のものになって、今は健康そのものだ。この間俺や晴子と一緒に健診を受けたのだが異常もなくてほっとしている。
「何や居候。ウチが“酒絶つ!” 言うのんがそんなに可笑しいんか?」
 と約1名不機嫌そうにぶつぶつ言っているのがいるが、多分肝臓の数値が高かったんだろう。そう思っているとデコピンされた額を擦り擦り観鈴が、“お母さん、もうすぐお母さんのお誕生日だから、美味しそうなお酒の下見に行って往人さんと選んできたのに…” と一昨日、観鈴の要請で晴子の誕生日プレゼント候補を選びに行ったときにふと立ち寄った酒屋の親父に勧められて飲んだ酒の味に魅せられた俺は、“これをプレゼント候補筆頭にしよう”  と言って1本1万円もする高価な酒の試飲版500mlを購入したんだが…。酒絶ち宣言ともなると、相当な決意なんだろうな? うん。しかしこんな美味い酒がただの料理酒になるのかと思うと少しばかり惜しい気もするんだが。まあ晴子本人の決意も相当に固そうだし、致し方ないだろう。俺がちびちび飲んでいってやろう…とか考えているとスパコーンと頭に鋭い衝撃が走る。な、何だ〜? と思って衝撃の先を見てみる。即席で作った新聞紙型ハリセンで俺の頭にヒットさせた晴子のむくれた顔が見える。
「居候…。ウチは飲みたくて飲みたくてしゃーない酒を断とうとしてるんやで? そやのにあんたが飲んでどないすんねん。ここは協力するんが筋っちゅうもんやないか? ええっ?! しかもや! ウチの目の届かんとこでちびちび美味そうに飲んどるあんたの姿想像するだけで腹立ってくるわ!!」
 と一気にまくし立てるように言う晴子。顔を見るとギリギリ歯が鳴りそうなくらい口を左右に動かして目もカッと見開いてまるで日曜の昼に再放送でやっている桃○郎侍の般若の面のような形相の晴子がそこにいた。正直言ってこれからその放送は見られないな? と思うくらい強烈なインパクトのある顔だったことは言う間でもなかった。


 で現在に至る。あれから酒は一滴も飲んでいない晴子は少し暗くなった。と言うかこれが本当の姿なんだろうが、どうにも解せない。いつものようにどんちゃかやるわけでもない至って静々と飯を食う。“寒うなったな?” と部屋の隙間から入ってくる風にぶるりと身を縮こませる姿はこっちのほうが病気なんじゃないのか? と思うくらいに酷かった。聖のところにでも連れて行くか? と観鈴と相談して保育園の勤務時間終了後に連れて行くことにする。まあ勤務態度は真面目にやっているのだが、どことなく元気がなくガキから、“晴子先生元気ないね〜? どうしちゃったのかな?” と心配される始末だったことは言うまでもない。ますます不安になってきた。
 勤務時間が終わるや否や一直線に聖のところに歩を進める俺たち。ただの気の病だったらまだいいんだが、もっと何か重要な病だったらと思うと気が気ではない。霧島診療所の看板が目に入る。晴子は、“何やのん? せんせの診療所に連れて来て…” といぶかしげに俺の顔を見遣っている。先客が中で嗚咽する声が聞こえてくる。“ちくしょうぅぅぅぅ〜、フラグ失いたくねぇ〜…。えぅぅぅぅぅ〜” と言って出てきたのは見るからに健康そうな16、7の女の子とその子を抱きかかえるように出てくる彼女の姉だろうか。って言うかフラグって何だ? とか思ってると、“次の人〜、って、何だ? 神尾さんに国崎くんか…。バカは治せんぞ?” といつも通りの毒舌女医者が言う。“今日は俺じゃない” と横の晴子を見る俺。すぐに察したんだろうか、晴子だけを中に入れる聖。観鈴は〜っと見るといつの間にかいた佳乃と話し込んでいる。手持無沙汰か俺は毛玉犬と2人何を話すでもなく、じっとしている。何分か経っただろうか、不意に聖の俺を呼ぶ声が聞こえた。すっと立ち上がり診療室の扉に手をかけたとき、異様に汗が噴き出るような感覚に襲われる。な、何だぁ〜? と思いすっと中を覗き見て血の気が引いた。そう、中には異様にご機嫌な表情を作りながらも真鍮入りの護身用のハリセンを持った晴子と、どこぞの変態中学生のように指の間にメスを4本携えた女医者がこれまた楽しそうに微笑んでいた。


「全く…。居候の悪ふざけで今回はほんまにヤバいんちゃうか? って思ってもうたやないか? ええっ?!」
 といつものように酒をたらふく飲んでほろ酔い気分になった晴子は、俺に対する愚痴を延々に語っている。あの後散々2人の悪魔から追い掛け回された挙句、生傷を負うことになってしまったわけだが。その元々の原因と言うのは何を隠そう俺だそうななわけで…。俺自身、微塵にも覚えていないんだが、何でも“晴子の酒乱が酷い!” と聖に相談したらしい。俺の言うことを真に受けた聖は少々ウソも交えつつ晴子に断酒を勧めたんだとか。そんなこと言ったっけか? とも思うんだが、今日の暴れっぷりを見ると言ったんだろうなぁ〜っと思う。おかげで俺は観鈴までもを敵に回してしまいあの後、酷く怒った観鈴から、“往人さん! 今日はご飯抜き!!”、と死刑宣告にも似たことを言われてしまったことは言う間でもなく。そのときの顔が何だか晴子によく似ていて血は争そえんもんだな? と思ったことは言うまでもない。とにもかくにもこれからは酒に関しては何も言わないことにしよう、そう心に決めた今日11月3日、俺の居候先の家主で彼女の母親、神尾晴子の誕生日だ。腹減った〜、ぐう〜っ…。

END