夏空と鳥の詩


「今日はみすずちんのお誕生日〜。にはは」
 今日7月23日はわたしの誕生日。お母さんは保母の仕事が忙しいらしくて今日も朝早くに出かけて行った。忙しそうに朝ごはんを食べるお母さん。わたしのとっても好きな顔…。
「何や? 観鈴。嬉しそうな顔して…。ってそうやった! 今日あんたの誕生日やったな。忙しさのあまりに忘れてしもとったわ。ごめんな…。お土産買って来たるからな。がおがおのぬいぐるみでええか?」
「別にお土産とかいらないよ〜。それよりも早く帰ってきてほしいな……」
 わたしはそう言う。お母さんの顔を見る。にかった笑うと八重歯が見えるお母さんの顔。“よっしゃ! 今日は何があっても早ように帰って来たる。いい子にしてるんやで?” そういうと朝のチュー。お母さんの温もりがわたしの頬に当たる。その瞬間がわたしは嬉しい。18歳にもなってヘンだって思うこともあるけどやっぱりわたしはお母さんのチューが好きだから…。
 ブルンブルンとお母さんは愛車のドゥガディーに乗る。保育所はわたしの家から3キロ先にある。わたしは行ったことはないけどお母さんが言うには、“おもろいところやで〜?” っていうことらしい。
「ほな、行ってくるわ。留守番しっかり頼んだで? あっ、そうそう。今日な…」
「お母さん、時間ないよ?」
 奥にある大きな時計は8時20分。いつも8時くらいに出るお母さんには20分の遅れ。わたしがそう言うと慌てて家を出て行った。その姿を見るといつもにははって笑っちゃうの……。


「じゃあ、行ってきます」
 午前中はお勉強。だからわたしはお勉強道具を持ってお友達の遠野さんのところへ出かける。途中、いつもお世話になっている霧島先生のところの佳乃ちゃんを誘う。佳乃ちゃんと往人さんを通じて知り合い、今では仲のいいお友達。これを言うと遠野さんもなんだけどね?
「ねえ、みすずちん? 往人君がいなくなって1年くらい経つんだよねぇ?」
「…うん、そうだね…」
 大好きだった…。わたしも佳乃ちゃんも遠野さんも、お母さんも霧島先生もみんなが大好きだった往人さんはもうこの町にはいない。でも絶対またこの町に帰ってくるって信じてる。きっとお腹をすかせて、いつもの怖い目つきでわたしたちの顔を見て“飯”って言ってくるんだよ? にはは。そう思って佳乃ちゃんの顔を見る。佳乃ちゃんも“えへへ”って笑ってた。多分、わたしと同じことを考えてたのかもね?…。
 てくてくと歩く。遠野さんとの待ち合わせ場所、昔の駅があった場所に向かう。途中、武田商店の自販機でいつものジュースを買った。佳乃ちゃんにも勧めたけど佳乃ちゃんはすまなそうな顔をしてこう言うんだよ…。
「ごめんねぇ〜。みすずちん…。あたしはお姉ちゃんが作ってくれたオレンジジュースがあるんだよぉ〜…」
 って。まあいいか…。お昼休みにでも一人で飲も〜っと…。そう思いながら駅の方へと向かう。今年は普段の夏とは違って雨がよく降るね。そう言えばお母さんが、“今日も阪神はなしかいな? ええ加減にして欲しいわ。全く…”ってぼやいてたし…。それに天気予報のおじさんも、“あと一週間は梅雨空が続くでしょう”って…。早くお日様が出てくれないかな? そう思いながら曇り空の中、佳乃ちゃんと一緒に遠野さんの待つ駅へと向かった。
「でねでね。そこの女の子がすっごく可愛いんだよぉ〜」
「そうなんだぁ…。一度会ってみたいな…。にはは」
 他愛ない会話。でもそれが今のわたしにはとても嬉しかった。やがて昔の駅舎が見えてくる。そこにいる遠野さんも…。


「…みなさん。ごきげんよう…。今日は妹も連れてきました。ほら…。ご挨拶は?」
 遠野さんの後ろ、もじもじしている小さな女の子がいた。“この前話してたなぎーの妹ちゃん?” 佳乃ちゃんがそう遠野さんに聞く。こくんと、首を縦に振る遠野さん。遠野さんにはお母さんが違う妹がいるって聞いてたんだっけ。夏休みだから遊びに来たんだね? そう思った。恥ずかしそうに遠野さんの後ろで隠れている女の子。その子と同じ目線になるわたしと佳乃ちゃん。自己紹介をする。
「あたしの名前は霧島佳乃って言うんだよぉ〜。お名前はなんて言うのかなぁ〜?」
「わたしは神尾観鈴って言うの…。出来ればお名前教えてくれないかな? にはは…」
 そう言うとにこっと微笑みながら、でも恥ずかしそうにもじもじさせながら遠野さんの妹さんはこう言うの…。
「えっと…、みちるの名前はみちるって言うの…。よろしくね? お姉ちゃんたち…」
 みちるちゃんはそう言うとぺこっとお辞儀。その姿がなんかとっても可愛い。そう言えば…、往人さんがいたころにちょっとだけ見かけたことがあるね。だけど見てると往人さんにだけ、いつもキックをしてたようだったけど…。やっぱりわたしの見間違いだよね? にはは…。
 遠野さんに勉強を教えてもらう。遠野さんはとっても頭がいい。この間の期末テストでは学年トップだった。佳乃ちゃんは中間くらいで、わたしはお尻から数えるほうが近かった。お母さんに見せるとはぁ〜ってため息ついてた。
“あんた。もうちょっと根性入れたらどうやねん。なんぼウチがアホでもな。あんたみたいな尻から数えるまでにはならんかったで? これは夏休み返上でみ〜っちり鍛えなあかんなぁ?”
 にやりと笑いながら言うお母さん。夏休み返上? それだけは許して〜っ! が、がお…。って言うと、案の定お母さんから、ボカチン! ってげんこつされた。はぁ〜…。
「…ここでXを代入するわけです。って神尾さん?」
「えっ? あっ、はい?」
 考え事をしていて遠野さんの話を聞いてなかった。だめだなぁ〜。わたし…。そう思うとおなかがぐぅ〜って鳴る。途端に恥ずかしくなってぽっと顔を赤らめるわたし。佳乃ちゃんがあははって笑いながらこう言う。
「…そういえばもうお昼に近いよねぇ〜。あたしもおなかすいちゃったし。そろそろお昼にしない? ねえ、なぎー?」
「……じゃあ、早いですがお昼ごはんにしちゃいましょう。実をいうと私もかなりぺこぺこでした…」
 そう言うと、おなかをさする遠野さん。その姿に佳乃ちゃんと二人顔を見合わせてぷぷぷと吹き出してしまう。不思議そうな顔をして遠野さんとみちるちゃんがわたしたちの顔を見てた。


 午後からはみんなで遊ぶ。わたしはいつもトランプを持ってきている。恐竜の柄のトランプはこの間お母さんが買ってくれたもの。わたしの宝物。昔は神経衰弱しか知らなかったわたしだけど、遠野さんや佳乃ちゃんにいろいろ教えてもらった。だから今ではポーカーや七並べなんかも出来る。でも今日は神経衰弱をすることになった。
「う〜んと、う〜んと…。これかなぁ〜?」
 佳乃ちゃんがカードをめくる。ふふふっ、そこは今みちるちゃんがめくって間違ってたところだよ? 次はわたしの番だね? そう思ってさっき遠野さんがめくって間違ったところとみちるちゃんがめくって間違ったところを合わせる。にっこり微笑む。みんなもにっこり。すごく楽しい。にはは。
 やがて日は西に沈みかけ…。もうそんな時間なのかなぁ〜。楽しい時間ってあっという間に過ぎていっちゃうから不思議だね? みんなで遠野さんの手製のしゃぼん玉液でしゃぼん玉を飛ばして遊んでる。みちるちゃんはすぐに割れちゃうみたいで、“わぷぷっ!”って言ってた。遠野さんはそんなみちるちゃんを優しく見つめてる。佳乃ちゃんも、“むむむ、なぎーには負けないよぉ〜”って言って遠野さんより大きなしゃぼん玉を作ろうと必死になってる。遠野さんは優しく微笑んで、“今のところ私が一番です…。えっへん” って言うと胸を張ってる。わたしはそんな大きなしゃぼん玉は作れそうにないので、小さなしゃぼん玉をたくさん飛ばした。空に上っていくしゃぼん玉。きらきら光ってとってもきれい。にはは…。
「お〜い、佳乃〜。そろそろ夕ご飯だぞ〜」
「あっ、お姉ちゃんだ!!」
 佳乃ちゃんがそう言う。遠くの方で霧島先生の姿が見えた。遠野さんが、“今日はこの辺でお開きですね?” とちょっと寂しそうに言う。でも、
「また明日、一緒に遊びましょう?」
 ってにっこり笑顔でこう言った。わたしも佳乃ちゃんも、うんって頷く。佳乃ちゃんは手を振ると霧島先生の元へと走る。大きく手を振ると“また明日ねーっ!!”と言って霧島先生と帰っていった。霧島先生と手を繋いで楽しそうに帰っていく佳乃ちゃん。今ごろどんな話をしてるのかな? にはは…。


 遠野さんたちとも別れて一人で家へと帰る。お母さんはもう帰ってるんだろうか…。今日は丑の日だから鰻かな? そう思いつつ家に帰る。きっと佳乃ちゃんや遠野さんのところの今日は鰻なんだろうね? にはは…。ひとしきり笑う。でも笑った後いつも思うの…。往人さんは今ごろどこにいるのかなって…。今年はあちこちで水害とかがあったりしてすごく怖い。一人ではやっぱりダメだよ…。みすずちん、本当はとっても弱い子。お母さんやお友達に頼らないとダメな子になっちゃったんだよ?…。本当に弱い子になっちゃったんだよ?…。ねえ、往人さん…。
 その場にいたたまれなくなったわたし。一目散に走った。涙をこぼさないように走った。一生懸命に走った。途中躓きそうになりながらも走った。家に帰ってから泣こう。お部屋に入ってから泣こう。がおがおのぬいぐるみを抱いて泣こう。そんなことを考えながら、大きな曲がり角を曲がる。……と、どんっ! と誰かにぶつかる。
「危ないぞ。観鈴。ちょっとは前を見て歩けよな…」
 そう言って手を差し伸べてくれる。顔は暗いのではっきりとは分からない。でも…。その声には聞き覚えがあった。
「往人……さん?」
 恐る恐る声に出してみる。だけど声の人からはの返事がない。もう一度大きな声でその人に呼びかける。
「往人さん!!」
「観鈴…、また厄介になるが、よろしくな?」
 往人さんだ。懐かしいあの声だ。街路灯が点く。途端に周囲が明るくなった。顔を上げる。懐かしい顔がわたしの目の前にあった。途端にこらえていた涙は堰を切ったように溢れ出してしまう。もう涙で見えなかった。


 いつごろまで泣いていたんだろう。気がつくともう真っ暗だった。往人さんは泣いているわたしをずっと抱きしめてくれていた。何も言わずに抱きしめてくれていた。わたしにはそれが嬉しかった。ぐすぐす鼻を鳴らしつつ帰るわたしに往人さんは話してくれる。旅のこと、空にいる少女のこと。そして…、わたしのこと…。
「結局空の少女は見つからなかった…。でも、旅をしていると必ずといっていいほどこの町のことが、そしてお前の笑顔が脳裏に浮かんできたんだ。お前のその“にはは笑い”がな…。だから俺はこの町に骨を埋めることにした。もちろん母さんには悪いと思う。でもお前のこと、好きだから…。母さんもきっと分かってくれると思う。だから…。よろしく頼むな? 観鈴…」
 そう言って手を握り締めてくれる。わたしも握り返す。同じ歩調で歩く道の先…。神尾という表札の前で、お母さんがにかっといつもの笑顔で立っていた。その顔に往人さんも微笑む。わたしも目に涙を溜めながらにこっと微笑んだ。今日はわたしの誕生日。夏の空にはいつしか星が瞬いていた。

END