晴子さんの直球勝負
今日、11月3日は俺の居候先の家主で彼女の母親の神尾晴子の誕生日だ。この間野球の日本シリーズと言うものがあった。俺はこの野球と言うもの自体がよく分からんのだが。と言うより興味が全くないもんで子供のころ、旅から旅への渡り鳥だった時分に近所のやつらが野球の話題で盛り上がっていても俺1人だけ何がなんだかさっぱり分からず、かと言って今更知りませんでしたとはとても言えず、俺はスポーツには興味がないと言っていたことを思い出す。まあ正直スポーツにはもともと興味もなく大道芸だけに必死で取り組んでいた俺ではあったわけだが、この間テレビ中継で見たここ関西の地元の球団と九州の球団との熾烈な争いを見て何か背筋に悪寒が走るような感じがしたことは言う間でもない。
その原因はと言うと、やっぱりと言うか何と言うかだが家主である晴子のせいなわけだ。普通、贔屓のチームが負けたからと言ってこの間ここでやっていた懐かしアニメ100連発と言う番組の中の某アニメみたいにちゃぶ台ひっくり返したり、自棄になって俺にパンツ一丁で走ってこいだなんて無茶な要求なんかして来たりせんよなぁ〜。とは思うものの、観鈴曰く“お母さん、負けるといっつもこうだから…” と半ばあきらめ顔で言っている。と言うかこの間の日本シリーズの晴子の贔屓球団が4連敗で敗退が決定したときに実際このようなことをさせられそうになったわけだが…。観鈴のいわゆる伝家の宝刀でもある、“お母さん、嫌いっ!!” と言う一言がなければ絶対させられていたことだろう。まあそんな感じで、神尾家では晴子の贔屓チーム以外のことは言ってはダメだと前々から観鈴に言われているし、勝ったか負けたかなんて言うことは翌日の晴子の様子を見れば一目瞭然で分かる。勝った時はえらく上機嫌で俺に対してもにこやかに話しかけてくるんだが、負けたときはえらく不機嫌でささっと朝食を済ませると挨拶も何もなしで職場に行ってしまう。まあそれでよく保母なんて仕事が出来るな…などと考えるわけだが、最近知り合った近所のガキに言わせるところが、“何も変わってないよ?” ということらしい。さすがにTPOはわきまえてるってことなのか? そう思った。
で、今日なわけだ。先日からの応援もさることながら、この日は近所のガキや佳乃や遠野や俺にとっては唯一無二の不倶戴天の敵である遠野の異母妹のみちるも呼んで野球なんて言うものをすることになった。文化の日なんだからもっとこう文化的なものをやってもいいんじゃないかと俺は思うのだが、最近の子供の体力が落ちている状況もあってかこう言う催しを行なう自治体も多い。まあガキが相手じゃあなぁ〜っと思って行ってみたわけだが結構大柄なやつもいる。まあ適当にやって帰って寝る。これに越したことはない。そう思って参加だけはする俺がいたわけだ。
まあルールも何もわからずに参加すると言うのは無謀にも程があるわけだが、案の定ガキどもからは、“下手くそ” だの、“あんな球も打てないの?” だのと言う非難の声が聞こえてくる。ええい、俺は今日が初めてなんだ!! と怒鳴り返したいところなんだが、そうすると俺の今夜の献立が非常に味気なくなってしまう。なのでじっと我慢した。まあ相手も言ってもど素人集団なのでミスもしたりしているわけで…。点数は10対12と2点差で最終回の俺のチームの攻撃となる。先頭バッターは近所のガキその1、逃げ足だけは異常に早いやつだ。相手ピッチャーはみちる。俺が打席に入ると毎度のことながらボールを当てに来やがって危うく頭に当たりそうになったりしたわけだが間一髪避けて事なきを得ていた。みちるはと言うと、“逃げるなぁ〜っ!! 国崎往人〜っ!!” と言っては実に悔しそうに地団駄を踏んでいた。そんなこんなで最終回になってくるとさすがに疲れてきたのか、“んにゅ〜っ” と言う掛け声とともに投げている。当然そんなヘロヘロ球だからか打たれてしまうわけで…。2アウトながら満塁になる。打順は俺。ふっふっふっ、積年の恨みを晴らすときが来た!! と思い打席に立つ俺にタイムをかける晴子。何だぁ〜? っと思ってるとどうやら晴子が投げるらしい。ちなみにキャッチャーのほうも聖に変わる。これぞ往年の黄金バッテリーかとテレビの名場面特集などで紹介された晴子の贔屓チームのバッテリーのような感じだ。妙な対抗心が出てくる。それはいつもこの2人から下男下女のようにこき使われている腹いせなのかどうかは分からんのだが。とにかくこの2人には負けられん! そう思って打席に立つ俺。そんな俺に向かい、“直球勝負や! 居候!!” などと言ってくる。ええい、直球でもなんでも来い!! 俺は来た球を打つ。それだけだ!! と思い第1球を投げてくる晴子の姿を確認する俺だったわけなのだが…。
「ぐぉぉぉぉぉ〜っ、痛て〜っ!! ノーコンの直球超痛て〜っ!!」
3球ボール後がなくなった晴子。どうするかと思いじっくり構えて待っていたのだが、どこかの草野球のオッサンみたく剛速球が俺のほうに飛んでくる。避けようと思ったが避ける間もない。脇腹にゴンッと鈍い衝撃が走った。ぷるぷると脇腹に痙攣が走る。“おい、こんな時の医者じゃないのか?” と俺の横で、“ドンマイドンマイ” などと言っている医者に言うのだが、“それだけ元気があれば大丈夫だろ?” とまともには取り合ってもらえんわけだ。畜生め〜っ!! とどこかのちょび髭のオッサンが言う言葉をそのままに一塁まで痛みをこらえて行く俺。次のバッターは確か、ガキその2か? 何にしろ1点差に迫って来たことだし、次のあのガキがヒットでも打ちゃあこれで終わりだな? なんて言う甘い考えは通用しないことを知ることになったのだが…。晴子がタイムをかけると審判のじいさんと何やら話し込んでいる。何を話してるんだ? と思ってその一挙手一投足に目を凝らしているとどうやら3塁と俺とのランナー交代を要求して来たみたいだ。実際には試合中にそんなことが出来ないと言うことを後から知ったのだが…。訝しげに晴子の顔を見遣りつつ3塁まで走る俺。ちなみに交代したランナーの子はいつぞやの、“しのさいか” と言う女の子だった。さて試合再開だ。“晴子のノーコンには気をつけろよ〜” とバッターのガキに言ってやる。俺に投げたときとは明らかに違う下手投げのふわふわした球がガキのところまで飛んでいく。当然打ちごろの絶好球なもんでガツンと打った。打ったのは良かったのだが、打った先が運悪く晴子の前だ。ギラリと虎が獲物を狙うような目で俺のほうを見遣る晴子。本塁に控えるのは凶悪女医者・聖。さながら前門の虎、後門の狼と言ったところか。くっ、こうなったら体当たりだ〜っとばかりにル○ンダイブみたいな恰好で聖のほうに飛び込もうとして、また横っ腹に石のような重みと鈍い痛みとが同時に来たことは言う間でもなかった。
「いやぁ〜、何か久しぶりにいい汗かいたっちゅう感じやな? ソフトでならした腕もまんざらでもないやろ?」
何が“まんざらでもないやろ?” だ!! 思いっきり当たってるじゃないか! と晴子の顔を睨む俺。あの後ぴくぴくしている俺を見て、“そんなに痛がらんでもええやん?” とのんきそうに言う晴子に殺意が芽生えたことは言うまでもないのだが、問題はその後で…。紛いなりとも女を襲おうとした、みちるの言うところの“変態誘拐魔” みたくなってしまい聖や晴子に散々な目に遭い、どこからか来たのだろうかおまわりさんに交番まで連行されて半ば事情聴取みたく(と言うより事情聴取だったな? あれは…)事情を聞かれてやっとこさ帰って来ると俺の飯がない。何でだ? と観鈴に聞こうと思っても観鈴はもう寝てしまった後で、このちょっと顔の赤い家主にこうやってパンパン肩を叩かれながら言われる俺がいる。テレビドラマかなんかのシーンみたくかつ丼でも出してくれるのかと思いきや、全然そんなこともなく…。腹は減るわ、わき腹はまだ痛いわで、俺の今日1日を返せ〜っと贔屓の球団が負けた時に晴子がやっていたちゃぶ台返しをしてやろうかと本気で考えた今日11月3日は俺の居候先の家主で何かにつけて俺にいちゃもんをつけてくる、でもどことなしか憎めない女主人・神尾晴子の30代も後半な誕生日だ。
END