入道雲と夕焼けと…
「んに〜。国崎往人が悪いんだぁ〜」
「……いい加減にしろよ…。ったく……」
俺は今、遠野を待っている。もちろん昼飯のお相伴に預かるためだ。昼飯なら観鈴や佳乃の家でもいいんだが、晴子や聖が何やらかやらとうるさいので、昼飯は遠野に厄介になっている。この町に帰ってきて早一年。旅をしていて分かったことがある。それは…。
この町が好きだということだろう。旅先でふと思い出されるのはこの町の風景だった。何もないただ暑いだけの町。変なジュースばかり置いてある自販機。のんびりとした時間。
そんな時間の中に、観鈴や佳乃や遠野がいる。翼の少女は見つからなかったけど、俺はそれでも良いと思った。もちろん母さんには悪いとは思う。でも、俺はその少女より、もっと大切なものを見つけたから…。
「お姉ちゃ〜ん。早く来てよ〜。みちるが国崎往人の毒牙にかかっちゃってもいいの〜?」
「…誰が誰を毒牙にかけるんだ? ええっ? 遠野だったらいざ知らず、お前なんかにゃ用はない!!」
しっしと手を振って、こんなことを言うガキのことなど気にしない俺。そう、こいつの名前はみちる。俺が旅に出る前に、空へと帰っていった少女と同じ名前の少女だ。
“美凪は笑っていて……”
そう言って空へと帰っていった一人の少女と同じ名前。髪は少し短めになってはいるが、面影はあの空の少女と同じだった。もっとも面影だけじゃなく、性格もおおよそ同じだ…。だから俺は少し安心している。
そんなことを考えながら遠野の弁当をみちると二人、待っている。蝉はさっきからけたたましい音を奏でて四方八方で鳴いている。廃駅の駅舎の向こうには大きな入道雲が夏の日差しを浴びて、もくもくと伸びていた。
「ねえ、国崎往人…。一雨来そうだね? 雷もなるのかなぁ〜? んに〜、みちる、雷好きじゃないんだ〜。ゴロゴロって言う音とか…、ピカッて光る光とか……」
心配そうに入道雲を見ていたみちるは俺のほうに向き直りこう言った。こいつも一応女の子ってことか…。でも何で女の子っていうやつは、雷が嫌いなんだ? 観鈴の家の近くのさいかちゃんとかそこら辺のガキとかみんなそうなんだよな…。
「それって…。雷全部嫌いなんじゃないのか?」
俺は単簡にそう答えた。と、みちるが泣きべそをかきながら俺の顔を睨んでくる。昔のあの“みちる”だったら、そんなことを言えばキックの一つでもお見舞いしてくるんだが、今のみちるはそう言うわけでもなく少々(と言うかかなり)女の子らしくなっている。
ちょっとだけ罪悪感が頭の中に沸いてくる俺。そうしている間にも、雲はもくもくと成長し続けている…。この分だと、夕立が来るには1時間も掛からないだろう。はぁ〜、と俺は大きなため息をついた。顔はあの“みちる”でも心は全然違うみちる…。
全く別人のようなそんな女の子を前にしては、さしもの俺もむくむくと罪悪感が沸き立ってくる。今にも泣き出しそうなみちるの肩に手を置くと優しくこう言ってやる。
「大丈夫だって……。雷が鳴ったら俺の背中に隠れればいい…。音が嫌だったら歌を歌ってやろう…」
「んに…、ほんと? 国崎往人…」
「ああ、本当だぞ?」
少し安心したように微笑むみちる。俺はそんなみちるの顔があの“みちる”の顔とダブって見えたような感じがした……。
昼時を過ぎ、太陽は真上からちょっと西に傾き始めても、肝心の遠野はやってこない。入道雲は相変わらずもくもくと沸き立っている。みちるに聞いてはみたがみちるも知らないみたいで首をぶんぶんと横に振っていた。事故か? とも一瞬思ったが、ここは田舎も田舎、ド田舎な土地だ。車もあまり見かけない。
事件に巻き込まれたか? とも思ったが、人当たりのいいヤツで出来ているような町で事件なんて起こるはずもなし…、起こるとすれば俺みたいなよそ者に連れ去られるのがオチだが、コンビニもないような町に何で来る物好きがいようか…。
“って俺、そんな物好きなのかっ? ぐはっ!!”
元来旅をしてきた俺にとってはここは見知らぬ地。俺はよそ者だ。しかも定職がない。誘拐事件になったら、いの一番に、俺が疑われるだろうな…と、そんなくだらないことを考えながらぼ〜っと遠野を待つ。腹が減る。みちるは? と後ろをみると気持ち良さそうにうつらうつら舟を漕いでいた。
「遅いぞ……。もう限界だ…。早く…、早く来てくれ…」
「…来ちゃった……」
「ぬおっ?!」
独り言でそんなことを言うと遠野が目の前に、いつものようにぼ〜っと立っていた。いつも思うんだが、どこから現れるんだ? 気配すら感じなかったぞ? そう思っていた俺に、少し残念そうな目をしながら遠野が俺を見ている。
「国崎さんからのツッコミ、最近ありません……。何か物足りない……」
ぷぅ〜っと、俺の顔を拗ねた表情で見つめる少女…。遠野美凪。天然と言うか何と言うか、不思議少女だ。
「国崎さん……。みちるが来てたと思うんですけど? もしかして、食べちゃった?」
「……言ってる意味がかなり危ないように思えるんだが……。みちるなら俺の背中で寝てるぞ? お前があまりに遅いんで待ちくたびれたんだろうな…」
俺はそう言って、背中のほうに目をやる。すーすーと心地いい寝息が聞こえていた。遠野は少し安心したようにそっと優しく背中にもたれているみちるを抱き起こし自分の膝の上に頭を乗せた。
「……ぐっすり寝てますね?」
そう言うと優しくみちるの頭をなでる遠野。そんな遠野が何だかとても愛おしく見えた。
「にゅふふふふ〜……」
みちるは、幸せそうな顔で眠っている。遠野も少し眠そうに瞼を擦っていた。遠野はあれでいて頭はかなりいい。観鈴や佳乃もよく勉強などを教えてもらっているそうだ。前に観鈴に教えてもらったんだが、何でも学年トップ10にいつも名前があるそうだ。
「観鈴ちんの友達。すごい! ぶいっ!!」
「ええ、アホかっ!! この子は…。そんな暇あったらあんたも勉強せんかい!!」
ボカチン!! と晴子に叩かれた観鈴が何だか可哀想に思えたが、とばっちりを食らうのもなんだと思った俺は敢えて何も言わないことにした。後でたんこぶを作った観鈴に恨めしく睨まれ、リサイクルショップで稼いだ少ない金の中からいつもの“どろり濃厚ピーチ味”を買わされたのは言うまでもない…。
「往人さんが庇ってくれないからだよ? すっごく痛かったんだからね?」
涙目になりながら俺を責める観鈴……。まあ、こいつは1分も経てばにはは笑いが出る。案の定…。
「あっ、カモメだ〜。にはは…」
元の人懐っこい笑顔に変わっていた……。
そんなことを回顧しながら遠野を見る俺。遠野はみちるを膝の上に寝かせたまま食事の準備をしていた。今、俺の家はこの廃駅の駅舎だ。いつまでも観鈴たちの厄介にはなれないと思った俺。
どこかいい物件はないものかと探していたがなかなか見つからない。佳乃のところは、聖が何やらかやらとうるさいので俺的にダメ。ということで最後の望み…、遠野に聞くと?
「…駅舎がありますよ? あそこなら雨風が防げます…。カギは私が持ってますし…。国崎さんも前に泊まってますから大丈夫…。えっへん…」
「まあ、そうなんだが…。何か癪に障るな…」
俺が前にこの町にいたときにも、まあ厄介にはなったんだが…。偉そうに胸を張る遠野になぜか腹が立った俺はそう言うと遠野の顔を睨んだ。つかさずみちるがしゃしゃり出てくる。
「やーい! 国崎往人ー!! お姉ちゃんに感謝しろー!!」
そう言って相変わらず偉そうに腰に手を持ってきてそんなことを言うみちる。そんなところは空の少女とあまり変わっていない。そう思った…。
いかにも偉そうな態度のみちる。そんなみちるに腹の立った俺は、正義の鉄拳をお見舞いすることにする。
「うるさい! お前は黙れ!!」
ボカチンッ!
「にょめれっちょ……」
……そんなこんなで遠野の親父さんが働いていた駅舎を間借りすることにした俺。米は遠野が“進呈”してくれるし、おかずは佳乃や観鈴が“おすそわけ”で持ってきてくれる。俺もタダでとはいかないので人形劇をみせてやる。と言っても人形が歩くだけなんだがな…。
それでも、観鈴や佳乃やみちるは目を丸くしながら見ているし、遠野は微笑ましげにそんな俺たちを見ている…。俺はそんなことをしている自分が好きなのかもしれないな…。彼女たちの笑顔を見ながらそう思った……。
その間にも入道雲はもくもくと沸き立ち…、やがて雨がぽつぽつ落ちてきた。俺たちは急いで駅舎の中に入る。みちるはシャボン玉を止められてかなり不機嫌そうだったが、仕方ない。駅舎の中に入ると稲光が見える。相当近くまで雷雲が来ているんだろう。
それに伴って雨も本格的に降ってくる。ものの5分も経たないうちに、駅舎の外は前が見えないくらいの大雨になっていた。普段偉そうにしているみちる。だが、一般の子供と同じく姉である遠野に縋っていた。まあ、誰でも雷と言うのはあまり好きじゃないもんだ。
現に俺もあまり好きじゃない。みちるは遠野に縋って……、
「んに〜っ!! こ、怖いよ〜!!」
と、そう言って遠野にしがみついている。ぶるぶる震えているみちるの体を優しく抱き寄せると遠野はこう言った。俺にはそれが何だかとても嬉しかった。
「大丈夫……、お姉ちゃんがついてるから…。ねっ? みちる…」
いつものボケボケな遠野とは違う、みちるという妹の姉らしい姿がそこにあった。降り続く雨…。どこかの避雷針にでも落ちたんだろう雷の轟音が聞こえた。ビクッとなるみちると俺、2人。遠野はと横を見ると…、落ち着いたもんだ。みちるの背中を撫でながら歌を歌っていた。
何時間経ったのだろう…。ふと目を開ける。夕焼けが目に染みる。眠ってたのか? …そういや途中から記憶がない。眠ってたんだな…、俺…。 ふと体を見ると寝床においてあった毛布がかけられていた。多分、遠野がかけてくれたんだろう。毛布をはぐるとう〜んと背伸びをする。雨はもうすっかり上がってしまっていた。表へ出てみる。
ドアノブに手をかけて回すとやたらと大きな音がした。ふと前を見てみる。夕焼けの中、仲のいい姉妹が一緒にシャボン玉を飛ばしていた。妹のほうはまだうまく飛ばせないらしく顔がてかてかになっている。それでも一生懸命になって飛ばそうとしている。姉は優しくその妹の姿を見ていた。ふと妹のほうが俺の気配に気付いたらしく…、
「あっ、国崎往人。起きたんだ……」
「ああ…、起きたぞ」
そう言って、ベンチに腰掛ける。ふと遠野の顔を見た。……幸せそうに微笑んでいた。俺はこの笑顔が見たくて、この町に帰ってきたのかもしれないな。……そう思った。しばらく遠野のほうを見る。夕日は赤い残光を残して山の向こうに消えた。間もなく満天の星空が見えてくるんだろう…。そんなことを考えていると、遠野が俺の名前を呼んだ。
「国崎さん……」
「んっ? 何だ? 遠野」
そう言って俺は遠野の顔を見る。優しそうな瞳が俺を写していた。遠野は微笑みながら話し出す。
「私は今……、幸せです…。母も心の傷が癒えました。父もこの町に帰ってきました。みちるも…。私の妹も来てくれました。そして……、国崎さんも私たちの町に帰って来てくれました…。こんな…、こんな嬉しいことはありません…。……これからも、ずっとこの町にいてください…。私と一緒にいてください…。もう、どこにも行かないで……」
微笑みから涙顔へと変わる。途端に俺の体をぎゅっと抱きしめて、遠野はそう言った。顔を埋めた俺のシャツに濡れるものは…、それはおそらく……。……いや、何も言うまい……。俺は何も言わず、静かに遠野の体を抱きとめた。
みちるはまだシャボン玉を飛ばしている。ふわふわと空へ上がっていくシャボン玉を見ながら、遠野の体を抱きとめたまま俺はこう静かに言った。
「もう、どこにも行かない…。俺はこの町で暮らしていくことにしたんだからな…」
そう言って、抱きとめていた遠野の体を離して、そっと顔を見る。涙を流しながら、でもにっこりと微笑む優しい顔がそこにあった。ふと、空を見る。
夏のきれいな夕焼け空に、シャボン玉がふわりふわりと上がっていった。それはもう一人の少女に捧げる鎮魂歌のように…。そして、今ここにいる仲のいい姉妹を見守るように…。俺はそう思った……。
暮れなずむ空に、一番星が今、瞬いた……。
END