女の子は脆くも強い


「朋也……。今日、私はまた一つ歳を取ってしまったぞ…」
 しとしとと秋の冷たい雨の降る中、私は一人こう言うと顔を俯かせる…。今日10月14日は私の誕生日。歳が1つ上の朋也とは付き合い始めて…。同棲生活を始めて…。そして……。朋也が天国に召されてから10年が経とうとしていた。写真立ての向こうにはまだ元気だったころの朋也が写っている。病気の名前…。もう相当昔のことなので忘れてしまった。今、私は朋也の墓の前…、立っている。黒い小さな黒曜石の前、秋風に墓地の木々はさびしそうな音を立てていた。閑散とした空気が私には一種異様に思えてくる。墓石に水を掛け、花を手向け、線香に火を灯して朋也の好きだった飲料と菓子折りをを供える。雨の中、傘を肩にかけてしゃがみ込む。手を合わせると心の中でこう言った。
「朋也…、お前が天国に召されてから、もう10年も経つんだな? でも私にはそんなに経ったなんて思えない。いや…、私自身思いたくないんだろう…。そう思う。…出来ればお前と一緒に天国に行きたかった。でも命がある限りは生きてくれってお前の態度から分かってしまうんだからあの当時から不思議な関係だったんだな? 私とお前は…」
 何もない空間。私は墓前に語り続ける。1ヶ月に1回は来ているのでさほど話すこともないだろうと思っていたが、結局1時間以上も話し込んでしまった。遠目から見ればおかしな人だと勘違いをされるかもしれない。でも半分は当たっているかもな? そう思う。朋也を失ってから3年。何をするわけでもなく、ただ生きているだけのような感じだった私。弟は時々心配して見に来てくれる。腹違いの妹も一緒だ。迷惑かけてるな…。私……。いつもそう思っていた。
 いっそのことと包丁を手首に宛がったこともあるが、実際には出来なかった。やっぱり死ぬのは怖い。死にたくないと思った。支えを失うとこんなにもダメなのかと自分自身呆れてきてしまう。そんな毎日の繰り返しだった。そう…、あの手紙を読むまでは…。


 朋也が天に召されてから3年後……。3回忌も無事に終わりやっと朋也のいない生活にも慣れてきたと思う。弟の鷹文は元の彼女の河南子と復縁した。どう言う経過があったのか私には知らない。だけど仲睦まじい二人を見ていて私にもあんな時があったんだなと思った。異母妹のともは近くの小学校に通っている。最初こそおどおどとしていたともだが、今では天真爛漫な性格で友達もたくさん出来ている。それが私には嬉しい。きっと朋也がここにいたら私と同じようなことを思っていたことだろう…。
 私はと言うと、心の中が空っぽのまま今を暮らしているという状態だ。そう、朋也がいなくなったあの日から私の時間は止まっているというほうが正しいんだろうな? そう思う。ともは私のアパートから学校へと向かい、夕方学童保育から私が連れて帰るといった具合だ。弟と弟の彼女と異母妹と一つ屋根の下暮らしている私。ここに朋也がいたらどんなにいいだろう。そう思ってみるがもう朋也はいない。帰ってきて欲しいと思ってももう帰ってこないことは分かっている。私自身こんなにも弱かったんだと朋也を亡くしてから思った。と、明日の図工の準備をしていたともがとてとてと私のほうに歩いてくる。何か足りないものでもあったのか? と思うがそうではないらしい。上目遣いに私の顔を見つめて、“お姉ちゃん、こんなのがあったよ?” と古ぼけた手紙を差し出してくる。“どこにあったんだ?” ともの顔まで目を落としてそう聞く。ともは古い机を指差して、“ともの机の中に入ってたの…” と言った。あの机はもともと朋也が使っていた机だ。だとしたら…。
 夜、みんなが寝静まった頃、私はともの机、いや、朋也の机に座っていた。持っていた封筒を見るとちょうど4年前、そう朋也があの病にかかる前の頃の日付が書かれてあった。そう…、あの忌まわしい事故の前の日付…。仕事中に頭を打って怪我した後遺症から、ある日突然倒れてしまったんだ。その後意識は戻ったのだが、記憶喪失になってしまい私のことをすっかり忘れてしまっていた。私は朋也の記憶を戻すため、いろいろやった。学校や朋也のアパートや二人の思い出の地へ連れて行き、色々な話を聞かせる。治ってほしいと願いながら…。でも、朋也の記憶が戻る様子は無かった…。悔しかったことは未だに忘れない。枕を毎夜の如く濡らしていた。
 そんな日々の繰り返しと正比例するかのように朋也の病状は悪化の一途をたどっていく。目覚めてから一週間程度で気を失い、目覚めた時には、それまでの一週間の記憶を再び失ってしまう。そう言う話だった。医者が言うには手術で治ることもあるんだそうだが、成功率が極めて低い難手術らしい。それでも朋也は一筋の希望にかけた。治ってみんなで暮すんだって、微笑みながら言ってたっけ…。でも…。……もう考えるのはよそう。首を振ると封筒を開けて手紙を取り出す。広げると懐かしい字でこう書かれてあった。

“智代へ……、
 元気かって言うと元気すぎるほど元気だよな、お前って…。お前のこと毎日見てるんだし、言わなくてもわかるか…。毎日弁当作ってくれてありがとう。ほんとお前は女の子らしいよ…。春原に言ったらなんて言うだろうな? お前は乱暴なところもあるけど実のところ、寂しがり屋で、泣き虫で、女の子らしいところをたくさん持ってるんだなって思う。この前ケンカしたときだってお前、ぷぅ〜って頬を膨らましながらいじいじしてたもんな…。でもお前がいてくれたおかげで俺はこれまで頑張ってこれたし、これからも頑張っていこうと思う。だから智代…、いつもありがとう。


P/S 少し早いけど、誕生日おめでとう…。これからもよろしく頼むぜ……。                朋也……”

 私は涙が溢れて止まらない。大声を張り上げて泣いてしまいたかった。でもそれは出来ない。鷹文たちにも迷惑をかけてしまう。涙は後から後から溢れてくる。眼鏡越しにはもう手紙は見れなくなっていた。しかし、なぜこんな手紙を朋也は書いたんだろう? ひょっとしてあの時から自分の病気に薄々気付いてたんじゃないだろうか…。もしそうだったら私は自分が許せない。そう思った。でも、棺の中の朋也の顔は穏やかで、まるで寝ているような顔だったことを思い出す。揺すれば、“だぁ〜、うるさい!!” って言いながら起きるんじゃないかと思うほど穏やかな顔だったことを思い出す。そう思えば思うほど私は自分のことが嫌になった。しかし私は私だ。嫌なところも受け止めなければならないと思う。こういう考えができるようになったのは、天国にいる朋也のおかげなのかもしれない。そう思ってふと窓を開ける。寒いくらいの風が私の部屋に入り込んでくる。冷たくて心地いい風。空を見上げると、秋の夜空に星が瞬いていた。
「朋也……、お前さえ生きていれば何もいらなかった。でもお前は天国へ行ってしまった。もう私に見せてくれた優しい顔は写真立ての向こう側だけになってしまった……。でも私は生きていこうと思う。お前だって悲嘆に暮れていつまでもぐすぐす泣いているような弱い私など見たくはないだろう? だから見守っていてくれるとうれしい。もしまたくじけそうになったらあの手紙を読ませてもらうぞ? ぐすっ……。ふふっ。私らしくもないな…。涙を見せるなんて…。もう泣かないって決めていたのにな?」
 そう独り言を呟くと顔がくしゃりと歪んだ。でも泣かなかった。泣いてしまえばどんなに楽だろうとは思う。でも私はもう泣かないって決めている。なのに涙だけはどんどん溢れてくる。やっぱり自分は弱い人間だ。そう思うと、声を殺して咽び泣く自分がいた。


「あれから7年か…。短いようで長いものだな? 朋也。私は変わったか? いや、お前のことだ。絶対こう言うに決まってる。“全然変わってないぞ?” って…。ふふっ。って! もうこんな時間か…。あまり長居をすると他の教師連中がうるさいからな? じゃあ、また来るよ…」
 私は教師になった。朋也が亡くなってから4年後。そう…、ちょうどあの手紙を読んだ翌年、私は大学に入った。人並みに勉強をし、教員免許も取得した。そして今、私は朋也と一緒にいた思い出の学校で体育と国語を教えている。当時の感覚からは想像もつかないがまあそんな感じだ。美佐枝さんは今でも寮母として残っている。私の当時を知る唯一の存在であり、良き相談相手でもある。今日も行くって言ったら、“そう…、それじゃあ、あいつにこれ持ってってくれる?” と言って菓子折を持たせてくれた。今ここに置いてある菓子は美佐枝さんからもらった菓子だ。多分こうなることを予想してたんだろう。そう思う。部屋を出て行く時に見せた一瞬の寂しげな美佐枝さんの表情が頭から離れない。
 時計を見るともうお昼前だった。随分な時間佇んでいたんだろうな? そう思うと、何だかおかしくなって笑ってしまう。学校に着くころには多分お昼休みが終わったころだろう。校長や教頭のの長いお説教を覚悟しないとな? そう思うとふふふっと微笑んだ。10月には珍しい雨が降っている。立ち上がり肩にかけていた傘を手に持つと“ばららら” と木の上のあった雨粒が傘の上に落ちて小さな音を奏でた。それは朋也の、“頑張れ” って言う励ましの声のように…。そんなことを思いながら墓地を去る今日10月14日は、私の29歳の誕生日だ…。

 あっ、今、丘の上の墓地から朋也が微笑んだような感じがした……。

END