聖なる朝に生まれた少女
「パパ、もうすぐ着くの?」
「ああ、もうすぐだぞ? 汐…」
車に乗って1時間。汐は落ち着きなく外を眺めている。今日は、俺の愛した少女、渚の誕生日だ。一つ年上のやつだったが顔が童顔なため、俺のほうが年上に見えるときもあった。もう……、この世にはいない俺の愛しい女性。オッサンや早苗さんは、もう着てるんだろうな…。そう思いながら車を飛ばす。渚の眠る地へと…。
「おう、小僧。遅かったじゃねーか。寝坊か? ああん?」
着いた早々俺の顔を見るなりオッサンはそう言う。“寝坊じゃねー!! これでも飛ばしてきたんだ!!” そう言う俺。早苗さんは汐と一緒に先に行ってしまったようだ。向こうに汐と手を繋いで楽しげに話をする早苗さん。その後ろ姿があいつにダブって見えた…。
「おめぇもちゃんと親父してるじゃねーか……」
俺の横を歩くオッサンはタバコに火をつけて、ふぅ〜っと一息に吸うとこう言った。“ああ、もうあの頃の俺じゃないからな?” と俺は単簡に答える。そう、すべてから逃げていたあの頃の俺じゃない。ちゃんと汐を守っていけるような親になったんだ。父親に…。そのことを教えてくれたのは、今、俺の横でタバコを吹かしているオッサンと、前で汐と楽しげに話す早苗さんだ。“ありがとう…。本当に感謝してる” 心の中でそう言った。
やがて、目指す目的地が見えてきた。汐は早苗さんの手を振りほどくと一目散に駆けていく。今はもうこの世にはいない母親のところへ。そして俺の愛した妻のところへ…。墓の前までやってくると汐が早速掃除をしていた。“うふふっ、偉いですね? 汐ちゃんは…” そう言うと汐を優しく撫でて一緒に掃除をする早苗さん。俺たちも一緒に掃除をした。ふと黒い黒曜石を見る。岡崎家之墓と刻まれた文字は5年経った今でもあの当時のままだった。俺も歳を取る。いつかはお前の元へ行かなければならない。でもそれは汐を大人にしてからだ…。一人で生きてゆけるようにしてからだ…。それまでお前も寂しいだろうが、待っててくれ…。黒曜石を見ながら俺は心の中で言った。
寺の方に行くと坊さんが待ってくれていた。この坊さん。何となくだが雰囲気が高校時代に俺や春原の恩師の幸村のじいさんに似てるような気がする。落ち着いた表情からしてそっくりだ。ぺコッと頭を下げると、“、よくいらして下さいましたな? さあ、そんなところでは寒かろう…。お上がりなさい” そう言って本堂のほうに通してくれた。しばらく待ってると坊さんが茶菓子を持って入ってくる。汐は嬉しそうに俺の横に座る。オッサンと早苗さんは対面側に座った。
「もう、5年ですかな?……」
しわがれた声で坊さんは一言そう言った。“ええ、そうですね…” 俺も一言そう言う。外を見れば今にも雪が降ってきそうな天気だ。ずずずっ…、と坊さんの茶を啜る音が聞こえた。
「生きていれば、今日があの子の25歳の誕生日ですからね……」
そう言うと早苗さんは悲しそうに瞼を瞑る。“そうですか……” 坊さんは静かにまた茶を啜った。汐は一生懸命にお菓子を食べている。その仕草があいつと似ていた。高校時代の昼飯時、校庭の樹のところで一生懸命にパンを齧っていたあいつに……。
“渚、俺、こいつを一人前に育てる。そりゃあ、一時は育児放棄もした。オッサンや早苗さんにも迷惑をかけた。だけどこいつは俺のことをパパって…、無責任にお前の両親に預けっぱなしだった俺のことをパパって呼んでくれたんだ…。こいつはお前と同じ病気だ。今でも微熱が続いている。でも俺はもう逃げない。だって俺は…、お前の夫で、汐の父親なんだから…”
汐を見ながら俺は心の中でそう言った。と、汐が俺の顔を不思議そうに見つめている。“何だぁ〜? 汐。パパの顔に何かついてるのかぁ〜” と冗談めかして言うと、
「パパ……、泣いてるよ? どうしたの? どこか痛いの?」
心配そうな顔をしてこう言った。そう、俺は泣いていた。堪えても堪えてもどんどん涙が溢れてきてしまう。あいつとの、楽しかった日々の事を思い出すと…。でも泣いてばかりもいられない。そのことをオッサンや早苗さんは俺に身をもって教えてくれた。初めて祖母にも会った。いや、会わせてくれたんだ。早苗さんが…。親父と同じ道を歩もうとしていた俺に…。やっぱり俺はこの人たちには頭は上がらない。どんなに頑張っても、この温かい人たちには…。いまさらながらそれを痛切に感じる。汐は泣きそうになりながら俺の顔にハンカチを持ってきて拭こうとしている。
「汐……。パパは、もう大丈夫だから…。だから汐。今度は汐がパパに甘える番だぞ? つらいときにはパパも一緒に泣こう…。楽しかった時には一緒に笑おう…。なっ? …汐。この世に生まれてきてくれて、本当にありがとう…」
俺は汐を抱きしめながらそう言う。汐はやっぱり泣いた。訳も分からず泣きじゃくった。そんな汐を抱きしめている俺。涙は溢れんばかりに目頭を覆う。やがて表面張力に負けた涙は零れ落ちた。でも心はほかほか温かい。オッサンや早苗さんや坊さんは、そんな俺たちを温かく見つめながらにっこり微笑んでいる。きっと渚も…、あいつも微笑んでいるんだろうな…。そう思った。
「じゃあな、汐。こいつのところが嫌になったらいつでもうちに来いよ?」
「秋生さん!! もう! 汐ちゃん。お父さんの言うこと、ちゃんと聞くんですよ? …朋也さん。無理せずいつでも私たちを頼ってきて下さいね? わたしたちは家族なんですから……」
帰り際。早苗さんがそう言う。家族のありがたさ…。俺は今までそんなことは考えもしなかった。だけど、古河渚と言う少女と知り合い、愛し合い。一つの宝物を残していなくなった。でも家族の繋がりは続いている。前より一段と強固になって…。
「はい、分かりました。ありがとうございます。またお正月にでも行かせてもらいます…」
「ええ、美味しいおせちを作って待ってますね?」
「おう、んじゃな。汐。こいつのこと、頼んだぜ……」
汐は元気よくうんと頷いた。去っていく二人。汐が手を振る。俺も振る。二人も振る。やがて見えなくなった。
「さあ、汐。パパたちも帰ろうか?」
汐の目線まで下げてそう言う俺。汐は元気よくうんと頷いた。聖なる朝に生まれた少女はもうこの世にはいない。でも俺たちの愛し合った証は、今を生きている。そう、慎ましくこの世を生きているんだ…。寺を離れる。空はもう陽も沈んで星が瞬いていた。
“渚…、25歳、誕生日おめでとう…。お前はもうこの世にはいないけど、俺もこの通りどうしようもないけど…。汐は育てていくつもりだ…。どんなことがあっても守っていくつもりだ…。だからお前も、どこにいるのか分からないけど、見守っていてくれ…”
星の瞬く夜、横にはチャイルドシートの我が子。星を見ながらそう思うと、俺は車に乗る。エンジンを掛けるとブルンと鳴った。山を抜け町へ出る。車はさすがに多くなる。ラジオを掛けるともう正月の歌が流れていた。横にいる汐が言う。
「パパ、お正月はアッキーん家に行こうね?」
「ああ、そうだな。一緒に行こうな?」
二人してくすくす笑いあった。夕闇の中、車は滑るように走る。もうすぐ俺たちの町だ……。
END