旦那様はぎっくり腰


 今日10月30日は俺こと岡崎朋也の誕生日で16日前の14日は俺の嫁の智代の誕生日だった。だったと言う過去形が付くのはおかしな話なんだが、今年は俺自身の身でちょっとした…、まあ幸か不幸かと言われれば不幸な出来事があって今現在床に臥せっているわけで…。と言うのも、腰を言わしてしまい(俗に言うぎっくり腰と言うやつらしく)、身動きが取りにくい状態なのだ。思えばあの時に芳野さんに言われた通りにしておくんだったと当時の俺を殴ってでも聞かせてやりたいと思う今日この頃。一応会社のほうは有給休暇と言う扱いで休みをもらっているわけだが、いつまでも休んでばかりもいられないので自分でも接骨院に通ったりして治そうとは努力しているのだが、最大にして最強の足枷になっているのがうちの嫁と言うわけで…。
 とにかく1人にさせてくれないのが大きな足枷なわけだ。まああいたたこいたた言っている旦那を放ってはおけない気持ちは十分に分かっているし大いに助かっているのも事実だ。昨夜も夜中に寝違えたみたいにずきずき痛み出してう〜う〜唸っているのに気が付いた嫁に一晩中腰をさすってもらって何とか落ち着いた感もある。その辺は感謝してもしきれないくらいなのだが…。とにかく一途になりすぎて俺は嫁が倒れるんじゃなかろうかと不安になっている。嫁自身は、“私はこれでも強いほうなんだぞ?” と言って笑っているし、現に高校時代を見ている俺としてもその辺は安心する。…のだが、嫁の場合、俺への依存度がものすごく高いせいかちょっとしたことでも大げさに捉えられて大変なわけで…。今回のぎっくり腰の件でも会社に担ぎ込まれて10分もしない内にすっ飛んできて、まるで俺が死んだかのようにおいおい泣きながら、“私を1人にしないでくれ〜” と言いながら抱き着いてくる有様で…。会社の社長はじめ芳野さん辺りから、“岡崎(くん)は愛されてるな(ね)” と微笑ましく見られて非常に恥ずかしかったのは言うまでもない。
 とにかく嫁は自分のことをもっと優先すべきだと思う。まあ今はそれどころじゃないことは俺自身が一番分かってはいるんだが。せっかく俺が家にいるんだからもっと自分の時間を持つべきだと考えるんだが、今まで趣味らしい趣味と言うのを嫁自身から聞いたことがなかったな? と思ってそれとなく聞いてみると、“私の趣味か? 私の趣味は朋也の世話だぞ?” と言う実に嫁らしい回答が出てきた。いやいや、俺のことは抜きにして…と言うと、急に悲しそうな顔になって、“私の世話が嫌になったのか…” と言うといつもの定位置にお籠もりになろうとするので古河のオッサンみたくクサいセリフを吐いて何とかごまかした。これは趣味を見つけることから始めないとダメだな? と思う俺がいたわけだ。


「朋也、今日は朋也のお誕生日だからケーキを買ってきた。後で一緒に食べような?」
 と夕方、買い物途中で洋菓子店に寄ってケーキを買ってきた。14日の私のお誕生日も兼ねてちょっと奮発して美味しそうなデコレーションがいっぱい乗ったケーキを買ってきたわけだが、朋也は何か難しい顔をしている。何か嫌いな果物でもあるのか? とは思うが特段果物は普通に食べているので、考えてしまう。甘いものが嫌だったのか? とも思うが、この店のケーキはそんなに甘くなくて食べやすいと前に言っていたし…。じゃあ何だろう? と考え込む私。そんな私に今まで黙りこくっていた朋也が、“なあ智代…、手作りのケーキが食いたい。今日でなくてもいいから作ってくれ…” と買ってきたケーキをちらちら見ながらこんなことを言う。手作りケーキか…。ケーキ自体はパンケーキくらいしか作ったことのない私。こんなスポンジケーキとなるとレシピを見ながらになってしまうし、何より時間がないので、パンケーキでもいいか? と訊くと、朋也は、“ああ、いいよ” と言って首を縦に振る。
 確かこの辺に、とパンケーキミックスの素を探すのだが、この間近所の子供に作ってやってなかったんだっけ? と思い出す。まあ今日でなくてもと言う考えも思い浮かぶが、いや、愛する旦那様のためだと思い直し、手作りで粉のところから作ることを決める。まず用意するものとしてはと、パンケーキのレシピを持ってきて見てみる。2人用で、なになに…。“小麦粉 80g、ベーキングパウダー 小さじ1/2がA、卵白 1個分、砂糖 小さじ1がB、卵黄 1個分、砂糖 大さじ1、サラダ油 小さじ1がC、それと牛乳 100ml” か…。あとCのところに、“バニラエッセンス 5・6滴” とあるけど、うちにはないので今日のところは我慢してもらおう。え〜っとまずは、ボウルにCを合わせてもったりするまで混ぜて、牛乳を加えて混ぜる…と。ふむふむ、A合わせてふるいにかけてCに加えて、ゴムベラでさっくり混ぜる。注意点とするとベーキングパウダーは入れすぎると苦くなるので気をつけてください…か。まあこれくらいだろうな? で次は? Bを合わせて混ぜてツノが立つまで混ぜる(所謂メレンゲ状と言うことか)。で、CにBを加えてゴムベラでさっくり混ぜる。 混ぜ終わったら焼きの準備かな? 熱したフライパンを濡れ布巾に置いて作った生地をお玉ですくって流し入れて、弱火で焼く。全体に穴ができたらヘラでそっと裏返し弱火のまま焼くと…。うちはテフロン加工のフライパンだからサラダ油とかは別にいらないけど、テフロン加工のないフライパンならサラダ油はを薄く塗って焼いた方がいいと言うことらしい。載ってある通り表が穴が出来てきた。ひっくり返してまた焼く。美味しい匂いがして来たぞ? そう思って朋也のほうを向くと、本当に嬉しそうに笑っていた。その顔がまるで子供みたいでこっちもにっこり笑顔にさせてしまうんだから不思議だな? と思った。
 早速出来立てのパンケーキから呼ばれるんだが、愛する旦那様と食べると美味しさも一入と言った感がある。まあその旦那様も今は無我夢中で食べているところなんだが…。“ああ美味いなぁ〜。こんな美味い料理を俺1人だけ食べるのはもったいない気がするなぁ〜?” と朋也が言う。私は朋也に喜んでもらえればそれだけで嬉しいんだが…。と思ってると今度は、“なあ、智代…。俺の世話ばかりだけで疲れていないか? 別に俺は病人とは言え自分で出来るんだから気を遣わなくていいんだぞ?” と言ってくるわけで…。最初は嬉しくて、“いいや、全然そんなことはない” と言う。でも、“無理はするなよ?” とか、“料理教室に通ってみたらどうだ?” などと言ってくる朋也。そう言ってやけに私を外に出そうとしているように見えた。こ、これって私のことを煙たい存在だと思ってるんじゃないのか? そんなに私の介護が嫌だったんだな? と思うと何だか涙がぽろぽろ零れ落ちる。上目遣いに恨めしそうに旦那様の顔を見つめる私。いいっ? とびっくりしたような顔になっていた旦那様だったんだが…。


 しくじった、ああしくじった、しくじった…と言う俳句か川柳かが出来てしまうくらいな感覚だ。俺の余計な一言から嫁はいつもの定位置にお籠もり状態になってしまう。普段なら押し入れの戸をやや強引にでもこじ開けて中でグスグス泣いている姫君を天岩戸からお助けできるんだが、ようよう立ち上がれる程度な今の俺にとってはとても無体なことだ。気を使って行なったことが返って仇になるとはな…。そう思いつつ、“智代〜、機嫌を直して出て来てくれ〜。俺が悪かった!” と懇願するように言っても、えぐえぐ泣くばかりで全くもって反応なし…。そうやって膠着状態が小1時間続く。膠着時間中もずっと謝ってるとすっと天岩戸が開いて女神が顔を覗かせる。顔を見ると泣きべそをかきつつ俺の顔を上目遣いに見遣ってくる。いわゆる小さくて甘えん坊な女の子がお兄ちゃんに遊んでもらえなくて拗ねたような顔だ。とその甘えん坊な女の子が、
「これからず〜っとぎっくり腰が治るまで私に面倒見させること! それが出来なければず〜っとここにいて昼夜構わずしくしく泣いてやるんだからな?」
 と俺の最も嫌なことをするように脅してくるわけで…。顔を見れば頬を風船みたいに膨らませてかつ、さっきよりもぐぐぐぐぐっと上目遣いに見遣ってくる甘えん坊な嫁の顔があった。その顔に、“あっ、本気だ…” と思い、否応なく俺はうんと首を縦に振らされてしまう。そんな俺の仕草に今までの泣き顔からパァ〜っと笑顔に変わるんだから、“女心と秋の空” と言う形容が分かるような気がする。“じゃあ早速お風呂に行くぞ。満足に洗えていないんだから垢がいっぱい溜まってるはずだ!” と言うと一気に服を脱いで生まれたままの姿に…。そして俺の服にも手を掛けてくる。“ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってくれ〜” と言うが早いかトランクス一丁にまでされてしまった。そのトランクスにまで魔手が迫ってきている今の状態。なろうと思ってなったわけじゃないが、ぎっくり腰にだけはなりたくはないと思い知らされた今日10月30日は俺の誕生日でその16日前が目の前にいる泣き虫でワガママで、でも愛する嫁・岡崎智代の誕生日だ。って、自分で脱ぐからトランクスに手を掛けるなぁ〜…。

END