秋子、誕生日に思う
今日、9月23日はわたしこと水瀬秋子の誕生日です。
今年からちょっと寂しくなった家で、一人誕生日を祝います。なぜって? 名雪は祐一さんと結婚してしまいましたし、真琴とあゆちゃんは隣町の会社に就職して、今は寮で暮らしています。独立心のついた二人。そんな二人をみているとわたしはあの人との暮らしを思い出します。
そう……、もう23年も経ったんですね。あの人とのたった1年だけの暮らしは…。でも、わたしには何だか昨日のことのように思えますよ? あなたがプレゼントしてくれたものは、全部わたしの部屋に飾ってありますよ…。わたしの思い出として……。
些細なことでけんかもしましたね? 今思い出してみると、あの時はわたしが悪かったんだって…。そう思います。拗ねてふくれっ面なわたしを、“ごめん…。ちょっと言い過ぎた”って優しく抱きしめてくれましたよね。名雪がお腹にいるって言った時の、あの人の喜びようときたら…。
でも、あなたは逝ってしまった。わたしを置いて…。名雪という忘れ形見を残して…。悲痛に暮れるまま名雪を産んだ時も…、あの子に乳を飲ませている時にも…、何度涙が頬を伝っていたか…。
再婚の話もいろいろとありましたけど、わたしはすべて断わりました。だって、わたしはあなたのことを愛しているんですもの……。もちろん今でもですけどね?
あれから、23年も経つんですね…。祐一さんと名雪は去年結婚しました。幸せそうな二人を見ていると、まるであの頃を思い出してしまいます。そう…、あなたとわたし、二人でささやかな生活を送っていたあの頃を…。
まだあの頃は料理もあまり出来なくて…。いろいろ失敗もしました。でもあなたは美味しそうに食べてくれましたね。わたしが“美味しくないから…”って言うと決まって、“そんなことない。美味しいよ…”って言って作った料理を食べてくれました。今思うに、本当は美味しくなかったんでしょう?…。ねえ。あなた…。
あれからわたしも一生懸命努力したんですよ? あなたに美味しいって言ってもらえるために…。あなたの微笑んだ優しい笑顔を見たいために……。でも、あなたは…。冷めたシチューを持つ手であなたの手を握り締めたとき、あなたの手は仄かに温かかった。まるで眠っているような顔で、揺すれば起きるのでないかしらと言うような優しい顔で…。
病院の表へ飛び出すと、手をついて泣きました。名雪がお腹にいると言うことにも気付かす…、体が冷えるのも気にもとめずに…、雪の上で泣きました。涙が降り積もった新雪を溶かしてくのも気付かずに…。……神様なんていないと思いました…。そんな失意の中、名雪を産みました…。
名雪は元気に育ってくれましたよ。母親しかいない家庭でもしっかり育ってくれました。ただひとつ、寝坊助なところがあったけど…。そんなところはあなたに似たのかしら…。うふふっ……。
あなたの話はあの子の口からは出ませんでしたよ? …だってあの子…、優しい子ですから。わたしがあなたの話をすると悲しそうな顔をするから…。聞けなかったんでしょうね……。ダメですね? わたし……。
あなたの面影、あなたの声、そして、あなたの温もり…。あなたという存在がこの世からなくなっても、あなたはわたしの心の中で生き続ける。わたしが忘れえぬ限り……。そう思います。
ぴんぽーん。玄関のチャイムが鳴りました。わたしは玄関に向かいます。玄関の戸を開けます。すると…、
「お母さんお誕生日おめでとう」
「お母さん、おめでとうございます。これ、ささやかですけど俺と名雪からのプレゼントです」
そう言って今や義理の息子となった甥っ子と愛しい一人娘から、大輪の赤い薔薇の花を渡されるわたし。その横から…、
「秋子さん、お誕生日おめでとう。え〜っと。あっ、はい、これ。ペンダント…。お給料が入ったからボクと真琴ちゃんとで選んだんだよ?」
「あゆあゆがへんちくりんなペンダント選ぼうとしてたから真琴がこっちがいいって選んだんだよ?」
「うぐぅ……。ま、真琴ちゃんだってスケスケのパジャマとか選んでただじゃない。ボクたちのお給料じゃ買えないからって諦めたけど…。ひどいやひどいや真琴ちゃん、うぐぅ〜っ!」
二人の可愛い女の子が言い合いこをしながら、でも最後にはにっこり微笑んで、ペンダントの入ったケースを差し出します。わたしは微笑みながらケースを開きました。……途端に涙が溢れてきました。
「これ…、誕生石の? ありがとう…あゆちゃん、真琴…」
あの人からもらった初めてのプレゼントと同じ、サファイヤの青い輝きがそこにありました。涙ぐむわたしをやさしく見つめてあゆちゃんは言います。
「あっ、これね? 祐一君が言ってくれたんだよ? “せっかく働き始めたんだからいつもみたいな食べ物じゃなくて残るものでもプレゼントしてみたらどうだ? お金が足らなかったら俺たちも協力してやるぞ?”って…。お金のほうは、やっぱりちょっとだけ足らなくて、祐一君たちに手伝ってもらったんだけどね?……。えへへっ…」
あゆちゃんはぺろっと舌を出すと恥ずかしそうに、わたしの顔を見つめました。真琴も恥ずかしそうにこっちを見ています。祐一さんと名雪の顔を見ると、わたしたちの方を優しく微笑んで見ていました。
毎年の誕生日……。でも今年ほど嬉しい誕生日はありません。涙を拭きつつ…。
「ありがとう……。みんな……」
わたしはこう言いました。大輪の赤い薔薇と青いサファイヤのペンダント…。今までで一番嬉しいわたしの誕生日……。これも、天国にいるあなたのおかげかもしれませんね? 日暮れの秋の空、玄関から見える星に向かってわたしはそう心の中で言いました。あっ、今、あなたの声が聞こえたような気がしましたよ?
“秋子……、誕生日おめでとう……”
って……。
END