私は今、怒っています。
目の前にいる人に……。ぷぅ〜っと頬を膨らませ、目の前にいる人を睨みつけています。目の前にいる人は、私の無言の圧力にたじたじになっていました。
みっしーの逆襲
「なあ、天野…。俺、何か悪いことしたか? 記憶にないんだけどなぁ…」
そう言って、私の方をちらちら見てくるのは相沢祐一さん。私を怒らせた張本人です。しかしなぜ、私が怒っているのか? そう、あれは一週間前…。
私が応募した懸賞で『熱海温泉一泊旅行』というのが当たり(しかもペアで…)、誰と一緒に行こうかと悩んでいました。…いいえ、もう誰と行くかは決めているんですけどね。ふふっ…。それに、熱海には前から行ってみたかったんです。
かの有名な、尾崎紅葉の小説、「金色夜叉」の舞台となった場所ですから……。と、そこに……。
「おっ? 天野じゃないか? どうしたんだ? こんなところで…」
春の日差しが眩しい、ある4月上旬の日曜日。公園で一人ベンチに座って、悩んでいる私に話しかけてきたのは、私の大好きな人、相沢祐一さんです。相沢さんは、私の横に座ります。
「あっ、相沢さん…。相沢さんはどうなされたのですか? お一人で…」
「あっ? ああ…。ちょっと真琴にな…」
そう言うと、彼は照れ隠しに頬をぽりぽりと掻いていました。多分あの子に勝負事でもして負けたんでしょうね…。相沢さんは私の方を見つめて……。
「で? どうしたんだ? 天野は? こんなところでぼ〜っとして…。こういう風にしてると、まるでおばあ……」
私はギロリと彼を睨みます。相沢さんは怖くなったのか黙り込んでしまいました。
「ふぅ……、相沢さん……。何度も言うようですけど、もう少し違った言い方は出来ないのですか? 例えば、物腰が優雅だとか、大人びて見えるとか……」
ため息を吐きつつそう言う私。その間も半眼で彼を睨みつけます。相沢さんは、
「わ、悪かった。この通り謝るから、機嫌直してくれよ。なっ?」
そう言って、深深と頭を下げました。まあ一応、反省はしてるみたいですね…。いいでしょう…。
「実はこれを見ていたのです……」
そう言って私は懸賞で当たった例のチケットを彼に見せました。
「おおっ!! そっ、それは熱海の温泉の一泊豪華チケットじゃないか!! へぇ〜、天野…。お前って、意外と親孝行なんだな……」
「意外は余計です…。でも……、何がです?」
「あっ…。だ、だってそうだろ? 俺たちはそんなところには行かないしな…。まあ、こんな温泉旅行に行くとしたら、老人会か40代・50代のツアー客くらいだって…。いやぁ、お前がそんなに親孝行だったとは。感心するよ…。全く…。俺も見習わなくっちゃな……」
彼はうんうんと頷きながら私の方を見ていました。私は黙ってしまいました。だって、このチケットは私が懸賞に何枚も応募して、やっと当てたチケットだったんですから…。親になんかあげたくありません。
それに、私の親は私のことを放ったらかしにして、二人で旅行とかに行ったりしてるんですよ? 相沢さん…。
そんな人達に誰が大切なチケットなんかをやるものですか…。だから私は、私と私の好きな人と行くつもりです…。ねっ、相沢さん…。
「はっ!! 今、何やら嫌な視線を感じたんだが……。って、あっ、天野? …あのぉ…、まさかとは思うんだけど…。やっぱりそのチケットは、お前が当ててぇ……。っで、一緒に行ってくれる男を探しているとか?」
「はっ?! はいっ!! よくお分かりになりましたね!! ……。そうです…。その通りです…。……あのぉ〜、出来れば相沢さん…。今度のゴールデンウィークなどは空いているでしょうか? まだ1ヶ月も先の話ですけど…」
私はそう言うと上目遣いで彼を見つめます。年下の女の子の上目遣いは男のロマンだ!! とは北川さんの弁です。卑怯とは思いましたが、私も一介の女の子…。好きな人には積極的にもなります。ですから、私はこうして上目遣いで彼を見つめました。
でも……。彼が言った次の言葉が私を今のように怒らせる一言になったのは言うまでもありません……。
「天野……。やっぱりお前って……。おばさんくさいっ!!」
って……。
で、現在…。学校からの帰り道、彼とたまたま出会ってしまった私は、こうして無理矢理百花屋に連れて来さされました…。相沢さんは、私の顔をちらちらと見ているのでしょう…。彼の視線を感じています。
でも私はそっぽを向いたまま、ぷぅ〜っと頬を膨らませています…。もう相沢さんの顔なんて、見たくもありません!!
「なぁ〜。天野〜……。頼むから機嫌直してくれよ〜……」
「……」
私は、無言の圧力を彼に押し付けます。相沢さんはたじたじになってそんなことを言っていました。それは自業自得だと思いますよ? 相沢さん…。
あなたが普段から私のことを、所帯じみた40代のおばさんだとか、子持ち主婦のようだとか、果てはおばあちゃんの知恵袋だとか…。あることないこと勝手に言いふらして…。
私を何だと思っているのです? これでもれっきとした女子高生なんですよ? 花も恥らう17歳なんですよ?
美坂さんにはちゃんとした一般の男子学生の話し方をしていらっしゃるのに、どうして私だけ、おばさんくさいとか、そんな失礼なことばかり言ってくるのですかっ!!
こうなったらヤケです。私がいかに普通の女の子かを見せつける必要があります…。ですから私はこう宣言しました。
「分かりました……。相沢さん…。私は明日からイメージチェンジします!! ふふっ、相沢さん…。後で後悔しても無駄ですからね……」
ふふふと不敵に微笑むと、私は彼の顔をギロリと睨みつけます。彼が驚いた顔になったのは言うまでもありません。彼は私の顔をまじまじと見つめてこんなことを言いました。それが私をいっそう怒らせることになったのです。
「なあ、天野……。あまり無理しない方がいいんじゃ……」
言ってから、あっ、となる相沢さん…。遅いですっ!! …もう、何も話したくありません。私の淡い初恋は終わった…、そう思いました…。私は立ちあがると、どすっ、どすっとレジの方へ行きます。
バン! と、お金をカウンターに叩きつけると、また、どすっ、どすっと歩き始めました。レジの人はびっくりしていましたけどね…。
彼はというと、慌てて清算をすまし、私の後に着いてきました。彼は言います。
「あの〜。天野さん?……」
「なんかいっ?!(激怒)」
私の迫力に押され何も言えない相沢さん…。
少し可愛そうな気もしますが、私に対する数々の無礼な言動を許すわけにはいきません!! あっ、そういえば今、地元の言葉が出てしまいました。そう、ここは北海道。方言が出ても可笑しくはありません。
彼は少々驚いた顔になると、こう言いました。
「天野? いやさ…。その…。今、方言…、出ていなかったっけ?」
「相沢さんがあずましくねーから、方言くらい出るっしょや!!」
「あずましくねーって、それはつまり……、俺が落ち着きがないって言うことか?」
相沢さんは、そう言うと私の顔をじっと見つめてました…。私はうんうんと頷くとこう言います。
「んだ、んだ。……で、どうしたんだべ? あたしの顔、じっと見て…。なんか、はんかくさいべさ…。じっと見つめんで…。…んっ? …あたしの顔になんかついてるべ?」
「その…、何と言うか…。田舎っていうか……。その話し方のほうがしっくりくるっていうか…。なぁ〜……」
「い…、田舎って…。やっぱり本土の人はあたしたちのこと、田舎もんだって思ってるんだべな?…。あたしのことも田舎もんだって思ってるんだべな? わやな人だべさ!! 相沢さんはっ!! そったらこと言う相沢さん、嫌いだべ!!」
少し美坂さんのようになってしまいましたが、私はそんなことを言うと、また、どすっ、どすっと歩き始めます…。相沢さんはというと…、
「悪かったよ、天野〜。機嫌直してくれよ〜」
そう言いながら私の後をついて来ていました。でも私は無視です。ぷぅ〜っと頬を膨らませたまま、またどすっ、どすっと歩きました。しばらく無言が続き……、と、そうこうしているうちに、私の家が見えてきます。
私は考えます。なぜ彼が私のことを日常的に「おばさんくさい」などと言うのか?
……結論……。私が地味過ぎるのが悪いのではないかと…。もっとこう、「ナウなヤング(死語)」な格好、そして可愛らしい言い方をすれば、彼も私のことをおばさんくさいなどとは言わなくなるはず…。
そう考えた私は、実験的にこんなことを言ってみました。
「祐ちゃん…、ごめんね……」
某、最終兵器彼女のヒロインのように、いかにも寂しそうに呟いてみます…。声も真似てみました。地元と言うこともあり、とてもいい雰囲気でした。彼は、ビクッとなってこちらを見ています。ふふふっ、驚いていますね…。相沢さん……。
相沢さんが、某、最終兵器彼女のヒロインのファンだって言う事は、真琴との話で調査済み…。卑怯とは思いましたが最後の手段です。それにここは地元ですからね……。
「ななっ? ななななななな……」
「どうしたんかい? 祐ちゃん…。あたしのこと、嫌いなんかい?」
そう言って彼を見上げる私…。やはり“ちせ”の力は偉大ですね。これから相沢さんにおばさんくさいなどと言われた時には、私はこの方法で話すことにしましょう…。そしたら彼は何も言えなくなるはず…。
「お、お、お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお俺はっ!!」
「あたしは、祐ちゃんのこと、好きなのに…。祐ちゃん、あたしのこと…、好きでないんかい? 嫌いなんかい?」
彼の顔を見上げて、さらに追い討ちをかける私……。ふっ、と気が付くと、彼は土下座をして謝っていました。
「あ、天野? その、ちせのような言葉遣いはやめてくれ〜。単行本のラストが…、ラストがぁ!!! た、頼みます天野さんその言い方だけは僕に使わないでくださいぃぃぃ〜〜〜〜〜〜〜〜…」
土下座して頼み込む彼を見て、私は思いました。“勝った…” と…。勝ち誇ったように私は彼を冷ややかに見つめて、こう言いました。
「相沢さん…。どうです? ふふ…。これでもう私のことを、おばさんくさいって言えないでしょう…。もし、次に私におばさんくさいなどと言ったなら、その時は、これから相沢さんと会うときには、ずっとこの言葉で話しますからね…。よ〜く覚えておいて下さいよ?…」
私はそう言って、相沢さんの方を見ます。彼は放心状態のように虚ろな瞳で私の方を見つめていました。ただ、うわ言のように…、
「天野……、ちせ……。天野……、ちせ……」
目の焦点が定まらないまま、彼はそう呟くのでした……。
家に帰ってから、私は考え込みました……。なぜ私はこんなにも、『おばさんくさい』のでしょうかと…。考えた挙句に見つけた結論…。それは私がおばあちゃん子だったから…。
私のおばあちゃんは、人当たりのいい、優しい人でした。子供なんかを集めては一緒に歌を歌ったり、遊んだりしてくれた人でした。私はおばあちゃんのことが好きでした。だから私も将来はおばあちゃんのような人になろう…。そう思ったものでした。
そのおばあちゃんも私が小学校6年生の時に…。一昼夜、泣いていたことを覚えています。そのためでしょうか? 私は「おばさんくさく」なってしまったのです。
でも私は変わります。おばあちゃん、ごめんなさい…。でも、許してくださいね? 私だって恋もするんですから…。
まず普段の生活から、その「おばさんくささ」を除こうと思いました…。しかし、現代の若者たちは何に興味があるのでしょう? ここは北海道…。多少町並みは現代風になっているとはいえ、まだまだ田舎というもの…。
東京から来た相沢さんには、それが身に染みて分かるのでしょう…。
「まずは、髪形を変えてみましょうか……」
そう言って、私は髪を梳きます。と、そこで私は思いました。私の髪の毛は癖毛で直しようがないことに。とりあえず、リボンでも結んでおきましょう…。鏡を見てみると、どこかの犬チックな女の子と同じような気がしてきました。ううう、これではいけません…。
思い切ってショートカットに…。いえいえ、髪は女の命なんです。相沢さんにそんなことを言うと、また例の言葉が返ってきそうですけどね…。う〜ん。考えます。そうして何分か考えた後…。……はっ! と私は思い立ちます。そうして…、
「髪形は…。これでよし!!」
私は鏡でチェックして、そう言うとにっこり微笑みました。我ながら似合っていると思います。明日学校へこの髪型で行ったら彼はなんて言うのでしょうね…。ふふっ…。まあ、実際には行きませんけど…。うふふっ…。
服装とあわせるためにもこの髪型はしばらく取っておきましょう…。
次に、衣服を見てみることにしました。私は、前述でも述べたように地味な格好です。センスがないと言われるとそれまでなのかもしれないですけどね…。以前、親に買ってもらった可愛らしい服が何着かあったと思うのですが…。
どこに閉まったのでしょうか…。ごそごそと洋服ダンスの中を捜します。で、数分後…。
「はぁ、はぁ…。み、見つけました…」
そこにはレースのついた、フリフリのいかにもと言う服とシックな大人を思わせるような服がありました。どちらを着ようかと悩みます。シックな服は、大人っぽい=おばさんくさいという風な連想になるかもしれません。
いいえ、彼のことです! 絶対そう言うに決まってます!! となると……。
…さすがにこれを着るには少々(と言うかかなり)抵抗があります。でも、背に腹は返られません…。ここで負けてしまえば彼の思う壺。私はいい笑い者です。
彼の不敵な笑みを思い出し、悔しい気持ちに浸りながら、私は思い切ってその服を着てみることにしました。
…服を着て全身の映る鏡で、服装をチェックします。そこには…、
「こ、これが、私?……」
自分自身でも驚いてしまいました。はぁ〜。変われば変わる者なんですね…。私自身一番驚いています。服装はこれでよし…。後は、一番肝心なものが残っていました。そう、仕草です。
こればかりは一長一短には出来そうにありません。少しずつ自分で体得していかなければ……。少し外へ出てみましょう。そうして、町の女の子達を観察していれば何か得るものはあるはず…。
私はそう思いました。あっ、そうだ…。靴もいつもとは違う可愛いものにしましょうか……。そうですね。そうしましょう…。
「なにか、風がスースーしてかなり歩きづらいですね…。それに寒いです…」
そんなことを呟きながら商店街を歩く私。それもそのはず。スカートはフレア…。少しでも動こうものなら、風が…。
「きゃっ!!」
見えそうです……。やっぱりこんな格好、私には似合わない。そう思いました。やっぱり私は地味な服でおばさんくさい…。そう言う格好の方が似合っています…。そう思いました…。…でも、相沢さんを見返してやりたい…。
そんなことも思っています。
ここにも、一人の男の子が好きな…、平凡な女の子がいるということを分からせたい。いいえ、分かって欲しい…。そう思うと、涙が…、一雫頬に流れました。と、誰かが私の肩をぽんぽんと叩きました。
「キミ、ちょっといいかい?」
振り向くと、そこに立っていたのは相沢さんでした。あっ!! と思いました。ばれると思いました…。でも彼は…。
「キミ…、泣いていたんだね…。…何か悲しいことでもあったのかい?」
彼は目の前にいる女の子が私だと気付くはずもなく、優しく語りかけてきます。
「えっ? ええ…。でも大丈夫ですから……」
「そうかな?…。そうは見えないんだけどな…。何だかキミ…、一人で寂しそうだったしさ……」
「わっ……。あ、あたしがですか?」
いつもの癖で「私」と言おうとした私は咄嗟に「あたし」と言い換えてしまいました。だって、こんな恥ずかしい姿、好きな人には見られたくないんですもの…。
幸い彼は、私のことには気付いていないみたいでした。私たちはいつもの百花屋ではなく、ちょっとおしゃれな喫茶店に入りました。
店内にはおしゃれなジャズがBGMに流れています…。彼は、コーヒーを二つ頼んで私の方に目をやります……。
「ちょっと…、強引過ぎたかな? ごめんね…。キミがあまりに寂しそうだったからさ……」
「いいえ…。わっ……。あ、あたしもちょっと悲しいことがあったから……」
そう言う私…。まだ、「あたし」とは言いづらいですね……。でも、彼に気付かれてはなりません。相沢さんのことです…。きっとまた、からかってくるに決まってます……。と、彼が……。
「……そういえば、自己紹介がまだだったね? 俺は相沢祐一…。キミは?」
「あっ、はい。あ、あたしは、……え〜っと。…か、神崎、神崎真綾です…」
「真綾ちゃんか……。へぇ〜。いい名前だね…」
そう言うと彼は、にこっと微笑みます。私と一緒にいるときには見せたことのない微笑みは…、何だかとても新鮮でした。しかし、この『神崎真綾』という名前…。咄嗟に出た名前だったので、どうしても出所が掴めませんでした。
ドラマのヒロインでしたでしょうか? あるいは小説の主人公でしたでしょうか?…。
「…で、キミはどうして寂しそうに泣いていたの?」
コーヒーを飲みながら、いきなり核心をついてくる相沢さん…。私はドキッとなります。相沢さんは優しそうな瞳で私のことを見つめていました。
「……」
私は黙り込んでしまいました。だって、こんなこと言えるわけないじゃないですか…。彼のことが好きで…、彼に嫌われたくないためにこんな格好をしてる自分のことを…。そうして後悔して泣いていたなんて…。
黙っている私を見て相沢さんは淡々とこう言いました。
「俺の後輩にね。ちょっと変わった子がいるんだ…。その子は、ちょっと年寄り染みたことを言ってくる子なんだけどね…。でも、落ち着いていて、心の優しい、いい子なんだよ…。俺はすぐにイジワルをしたくなるんだ…。それでかなぁ〜。彼女を怒らせちゃってね……。って、ははっ。キミにこんなことを言っても埒はあかないね…。明日、学校に行ったら謝っておくことにするよ…。って言っても許してくれるかなぁ…。彼女、怒ると怖いから…。ははは…。はぁ〜………」
私は相沢さんの本当の心を聞けたような気がしました。会えばいつも「おばさんくさい」って言う相沢さんの本当の心が…。私も言います…。
「あ、あたしにも好きな人がいます。でもその人と喧嘩をしてしまって…。それで、さっき、その人のことを思い出して…。……彼はあたしのことについていろいろ文句を言ってくるんですよ? 酷いと思いませんか? 祐一さん…」
「相沢さん」ではなく「祐一さん」と…。今まで言いたくても言えなかった言葉……。言えました。…でも、やっぱり「神崎真綾」ではなく「天野美汐」として言いたいです…。でも彼のことです。
きっと私だということが分かれば、いつもの「おばさんくさい」を言ってくるに決まっています。
「ははは…。真綾ちゃんの彼って、なんだか俺みたいだなぁ〜。ははははは……」
そう言って、屈託なく笑う彼…。彼の顔を見ていると、胸が締め付けられる思いがしました。自分がとんでもない悪人に思えました。やっぱり騙すのは止めよう…。本当のことを言おう。そう思いました……。が、
「そろそろ出ようか? 日も傾いてきたしね…」
「えっ? あっ、は、はい……」
結局、彼に本当のことは言えませんでした…。
「また会えるでしょうか?」
帰り際…。私は彼に聞こえないくらいの小さな声でそう言いました。でも、どうしてそんなことを言ったのだろう…。自分でも分かりませんでした…。春の夕日が夕闇が迫るビル郡を赤く照らし出していました。お互いに「さよなら」と挨拶を交わし、去って行こうとします。
……と、ふと彼は立ち止まると、私に聞こえるような大きな声でこんなことを言いました。
「真綾ちゃん!! きっと彼はキミのことが好きだよ!! 好きな子には素直に好きって言えなくて、逆にいたずらしたり悪口を言って来るんだと思う!! 現に俺がそうだから! でもこれだけは言える!! 彼は、キミのこと…、大好きだと思う!! 大好きだと思うよ!! じゃあね!!」
ふっ、と、私が彼の声のした方を見ても、もう彼はどこにもいませんでした。
家に帰り着くと日は沈んで、夜空には満天の星が瞬いていました。夜、鏡を見ながら、もう一度今日の出来事を考えています。なぜ私はあんな格好をしたのだろうか…。なぜ私は、自分の名前を偽ったのだろうか…。そんなことが頭の中を駆け巡っていました。
次の日も…。また次の日も…。私は「神崎真綾」として、彼が来るのを待ちました。学校ではいつものように「おばさんくさいなぁ〜」と言うような目で相沢さんが私を見ています。そう言う二重生活が続く中…、私は相沢さんが言った言葉を思い出していました。
“きっと彼はキミのことが好きだよ…”
って……。…と言う事は、相沢さんは私のことが好きなのでしょうか…。どうなのでしょう…。考えれば考えるほど私は自分が分らなくなります。その答えも出ぬまま、ついに一週間が経過していました…。もうこんなことは止めようと思いました。
だけど心のどこかで、客観的な自分がいて…、“神崎真綾”という人がいて…、私はどうしたらいいのか分かりませんでした……。
「また、お会いしましたね?」
そう…、神崎真綾は言うと、彼にたおやかに微笑みかけます。彼もまた…、
「ああ…、そうだね…」
そう言って微笑みます。その微笑みを見たとき、神崎真綾は、いいえ、私は…、自分が情けなくなりました。自分の大好きな人を騙して…、その人を騙すばかりか、自分まで騙して…。
そうしている自分が、自分自身が、嫌いになりました。嫌になりました…。ですから、もう今日で終わりです…。
私は、いいえ、神崎真綾はそう思いながら彼の後をついて行きました。いつもの喫茶店に着きます。彼が神崎真綾を笑顔で見ています。一方、神崎真綾はうかない顔……。
それもそのはず…、神崎真綾と言う人物は存在しません。いえ…、存在してはいけないんです。
「あの……、祐一さん…。実はあたし、明日…、引越しするんです…。突然でごめんなさい…。でも、あなたとお話出来てよかったです。とても楽しかったです。…あなたの彼女も、あなたのこと、きっと好きですよ…。きっと…」
神崎真綾はそんなことを言いました…。コーヒーの香りがする店内は静まり返って、BGMには小気味のいいジャズが流れています。そんな中、彼と神崎真綾は席に座って話をしていました。
神崎真綾はそう言って、彼の顔を見つめました。彼は驚いた顔になって…、
「……また、どうして? ……って、しょうがないか……」
そう言って彼は、またコーヒーを一口飲みました。一呼吸おいて、また彼は話し出します…。
「引っ越すって言っても、この世から消えるわけじゃないんだ…。だからどこかでまた会えるよ…。少なくとも俺はそう信じてる。……でも、彼は寂しいだろうね……。こんな可愛い彼女と離れ離れになるんだから……」
「そう……、ですね……」
相沢さんを騙している。私の心の中にある罪悪感がむくむくと沸き立ってきます。もう、相沢さんの顔を見るのもつらい…。声を聞くのもつらい。そう思った私…、いえ…、神崎真綾は逃げるようにその場を走り出していました。
突然の事に驚いた相沢さんは、神崎真綾を追って表へ……。
「ど、どうしたんだーっ!! ま、待ってくれーっ!!!」
彼は、追いかけてきます。必死になって神崎真綾は逃げました。だけど…。
ガシッ!!!
手を掴まれてしまいました。と、彼は真綾の顔をを見つめて…。
「はぁ、はぁ…。ど、どうして逃げるんだ? 真綾ちゃん……」
そう言います。真綾は…、いえ、私はこう言いたいんです!!
「私は美汐です!! 天野美汐です!! 神崎真綾という名前なんかじゃないんです!!」
と…。それが言えたらどんなに楽でしょう…。でも言えません…。言ってしまったら私は、相沢さんを騙したことになる…。そう思いました……。そのことで、もう彼は私と口を聞いてはくれないでしょう……。
そう思いました……。ただ、悲しくて…。悔しくて…。自分が許せなくて…。泣いていました…。
彼は真綾の体を抱き寄せると…、こう言います。
「真綾ちゃん…。……いや、最初からこう言えばよかったのかな?…。美汐って……」
はっ、となる私。上目遣いに彼を見つめると、彼は優しく私を見つめ返していました。
「……」
「気付いてたさ…。天野……。お前が、『神崎真綾』だっていうことには…。出会ってからすぐに気付いてた…」
「では、なぜっ? なぜ一週間も私のことを『天野美汐』ではなく『神崎真綾』と呼んでいたのですか? 気付いていたのなら、もっと早く『天野』と呼んで頂きたかった…で…す……」
私はそう言うと彼を見上げます。私の目から涙が溢れて……、頬を伝っていきました。彼は私を抱き寄せたまま、私の頭を撫でながらこう言います…。
「ごめん……」
と……。その一言に私は気がつくと、思いっきり…、ありったけの大きな声で泣いていました…。
辺りはしんと静まり返っています。家の近くにある小さな公園のベンチ…。二人はいました。
「天野……、いや、美汐…。悪いことをしたな…。ごめん…。今更こんなことを言っても遅いことは分ってる…。でも好きな子に、面と向かって好きって言うのは何だか気恥ずかしくてな…。天野が『神崎真綾』って言う名前になって、正直俺は嬉しかった…。これで面と向かって好きって言えるって…。でも俺は気がついたんだ…。俺が好きなのは『天野美汐』であって、『神崎真綾』じゃないことに…。って、こんなことを言ってもお前は許してはくれないだろうな…。でも、一言、謝らせてくれ……。ごめん……」
私は無言で彼を見つめます。彼はそう言うと、ふぅ〜っと一息つくと、ベンチから腰を上げてまた話し始めました。
「でも、結構似合ってるぞ。その格好…。最初見たときは俺も正直驚いたくらいだ…。こんなに可愛かったんだってな。もうお前のこと…、「おばさんくさい」だなんて言えないな…。俺は…。ははは…」
「相沢さん……」
一言私はそう言って彼を見上げます。彼は私の顔を見つめると、静かに首を横に振って言いました。
「相沢さんじゃないぞ…。美汐…。『祐一さん』だ………」
彼はそう言うと優しく私を見つめていました。私は言います…。
「祐一さん……」
と………。そう言うと、彼は私の体を優しく抱きしめてくれました。私もまた彼の体をしっかりと抱きしめます。彼と私…。『祐一さん』と『美汐』…。やっと、苗字ではなく名前で呼べることが出来ました…。
嬉しいと言う気持ちでいっぱいの私は、また泣いてしまいました。
彼はそんな私をいつまでも抱きとめてくれました…。ふと桜の方に目をやりました。春風に、遅咲きの桜が静かに舞い踊っていました。
次の日…。私はまた、学校に向かいます。途中で祐一さんたちに出会います。彼は私に向かってこんなことを言ってきました……。
「よう! みっしー!!」
と……。失礼です……。昨日の今日ですよ?…。いきなりこんなことを言うなんて、馴れ馴れしいにも程があります。お仕置きが必要ですね。祐一さん…。ふふっ…。心の中でそう思い、私は彼にこう言いました。
「おはよう、祐ちゃん。今日は早いべなぁ、祐ちゃんは…。なんか用事でもあったんかい?」
って……。と、途端に彼は、早足で校舎の中に駆けていきました。ふふっ、お仕置きは大成功です…。そういえば、ゴールデンウィークは一週間後でしたね…。楽しみです……。うふふっ…。
ふと、空を見ます。そこには、雲一つない澄んだ青空が、どこまでも…、どこまでも続いていました…。
〜END〜